平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

篤姫 第32回「桜田門外の変」

2008年08月11日 | 大河ドラマ・時代劇
★井伊直弼の歴史的役割
 天璋院(宮崎あおい)に茶をたてる井伊直弼(中村梅雀)。
 その主張は次のようなもの。
 「攘夷などすれば外国に攻められ国が滅ぶ。自分はそれを防ぐために攘夷勢力を弾圧した」
 「そのために恨みを買うことはやむを得ない。おのれの役割を果たしたまで」
 
 歴史の詳細については詳しい方に譲るが、井伊は国を守るために<弾圧>という<外科手術>を行った様だ。
 外国勢力から日本を守りたいというのは当時生きた人の共通の<目的>であったろうが、<手段>が違う。
 幕府主導でやるのか(→直弼)、朝廷主導でやるのか(→尊皇派)。
 弾圧で反対勢力を一掃して国をまとめるのか(→直弼)、穏やかな話合いで国をまとめるのか(→天璋院)。
 医学にたとえれば、外科手術でやるのか(→直弼)、投薬治療でやるのか(→天璋院)という所だろうか?
 
 直弼は解決のために外科手術を行った。
 その方が速いからだ。
 薬の治療では時間がかかり、歴史の流れに対応できない。
 天璋院は茶を飲みながら、手段は違っていても目的は井伊と同じであったことを確認した。
 直弼の行動は単なる権力欲ではなく、恨みを買ってでもやらなくてはならないことだったことを理解した。

 この様に「篤姫」は理解の物語である。
 篤姫は人に出会い、その人間を理解する。
 夫・家定もとんでもない人物だったが、篤姫は理解し、最後には心を通じ合わせた。
 今回の井伊もそう。
 理解されたことを喜ぶ井伊。
 ミシンで作った贈り物。
 死ぬ前にこの様な心の交流が得られたことは幸せであったことだろう。

 しかし暴力は暴力を呼ぶ。
 桜田門外の変。
 暴力は暴力を呼ぶことを知っていた井伊。
 彼はこの日が来るかもしれないことを覚悟していた。
 暗殺されるかもしれないと思いながらも弾圧を行った人物として井伊は描かれている。

※追記
 司馬遼太郎は「桜田門外の変」という短編(文春文庫「幕末」収録)の中で井伊をこう評している。
「井伊は政治家というには値しない。その理由が国家のためでも、人民のためでもなく、ただ徳川家の威信回復のためだったからである」
「井伊は固陋な攘夷論者に過ぎなかった。洋式調練を廃止して軍制を『権現様以来』の刀槍主義に復活させているほどの保守主義者である」
「支離滅裂、いわば精神病理学上の対象者である」
「井伊の弾圧には政見というものはない。彼は水戸斉昭の政治的容喙(ようかい)を嫌い、憎悪し弾圧した。いわば一徳川家の私的な問題を国家の問題とした人物である」
 一部文章を省略・改変させていただいているが、司馬さんの井伊の評価は最悪の政治家という評価。

 当然の事ながら歴史の評価は見る人によって様々なのだ。
 これはそのいい例。


 今回は内容盛りだくさんなので2回に分けて。
 「桜田門外の変」その2はこちら。




コメント (2)
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