平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

あしたの私のつくり方

2008年08月13日 | 邦画
 これも自分探しの物語。

 <自分>とは何であろう?
 かつてはクラスの人気者だったが、ある日突然いじめられる存在になってしまう日南子(前田敦子)。
 彼女は思う。
 人気者の自分こそが本当の自分であり、ハブられる自分は本当の自分でないと。
 でも、実はそのいずれも自分。
 <自分>とは他人との関係の中で作られるもの。
 人気者であれ、いじめられっこであれ、他人に認められている自分が<自分>。
 そんな哲学的命題をこの作品は描いている。

 それはこんなエピソードにも。
 いじめられた日南子は逃げる様に転校をする。
 しかし転校先でもいじめられるのではないかと不安でしょうがない。
 そこへ送られてくるメール。
 小学校の時のクラスメイト寿梨(成海璃子)が不安になっている日南子を心配して送ったのだ。
 間違いメールのフリをして。コトリという偽の名前を使って。
 そこから寿梨と日南子のメール交換が始まる。
 寿梨は日南子が学校で人気者にあるためにアドバイスを送る。
 「初日にコケてドジな女の子という印象をつけなさい」
 「カラオケで受けるには替え歌」
 「クラスで人気の子と同じクラブに入りなさい」
 寿梨のプロデュースで人気者になっていく日南子(ノブタ?)。
 彼氏も出来た。
 だが日南子はある時思う。
 今の自分は作られた偽物の自分ではないか?
 またもや<自分探し>の始まりだ。

 一方、寿梨。
 彼女も<自分探し>をしている。
 現実の自分は嫌われない様に他のクラスメイトの顔色を見て、離婚した母親にも気を遣っている。(本当は家族いっしょに暮らしたいのに)。
 寿梨はそんな自分が嫌いだ。
 唯一の救いは日南子へのメール。
 アドバイスを送るコトリという女の子こそ恋愛や人間関係の達人で理想の自分。

 でも寿梨は最後には気づく。
 母親にいい顔をしている自分も、コトリも自分であることを。
 いくつもある自分は他人との関係において成り立っているのだ。
 いい顔をしている自分は、友達や母親に対しての自分。
 コトリは日南子に対しての自分。

 そして彼女はもうひとつ重要なことに気づく。
 今、嫌だと思っている自分は行動や考え方次第でいくらでも変われることを。
 例えば母親との関係では父親のことを恋しいと母親に言えばいい。
 そうすれば新しい自分になれる。

 まとめます。

 <自分探し>の結論とは
★自分とは他人との関係で成り立っていること
★他人のいない世界で「自分探し」をしても何も見つからないこと
★他人に働きかけることで人はいくらでも新しい自分になれること  

 これらのことがわかるだけで人は<自分探し>でムダな時間を過ごさずに済む。
 哲学的命題を持ったいい青春映画でした。
 夢や恋愛を語るだけが青春映画ではない。


コメント
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