★「それがしも上杉の養子でございました。
今の私があるのは、おのれの定めを受け入れたからにございます。
兼続と出会い、菊と結ばれ、良き仲間に恵まれました。
定めには、あらがえぬもの。ご心中、お察し申し上げます」
景勝(北村一輝)の毛利の養子になる秀吉の養子・秀俊(上地雄輔)への言葉。
この考え方には一長一短がある。
すべてを自分の定めと思ってしまえば、現状肯定、ある意味満足して生きていける。
景勝が「兼続と出会い、菊と結ばれ、良き仲間に恵まれました」と満足して語ったように。
でも、これは一面、諦めの生き方。
すべてを<定め>と思えば、抗(あらが)うことも進歩のための努力もしない。
流されるまま。
だから朝鮮出兵にも加担してしまう。
<定め>というのは自分を納得させる便利な言葉なのだ。
一方で<定め>を否定し、抗う人生はハード。
様々なものと戦わなければならない。
満足できないから心の中は常に嵐が吹き荒れている。
これは自分の思うがまま、欲望のままに生きることでもある。
でも一方で、こういう生き方でないと進歩、前進はない。
すべてを<定め>だと思って生きるか、<定め>を否定して生きるか。
これは人の生き方として根本的な命題。
この命題に対する作者の答えは何なんだろう?
景勝がこう語っているということは<人はすべてを定めと思って生きるべき>とこの作者は考えている?
僕は抗う生き方の方が好きだな。
特に若者は抗わなければ。
若者が「すべては自分の定めです」なんて言って生きていたら気持ち悪い。
★兼続(妻夫木聡)は甘くてただの優しい男のようですね。
家康(松方弘樹)や輝元(中尾彬)から非難された三成(小栗旬)を励ますが、家康たちが批判するのは当然のこと。
朝鮮出兵は無益な戦争であったし、伏見城もムダな建築。
結果、国が疲弊する。民が苦しむ。
民を慈しむ<愛>の兼続であれば、家康たちと共にひと言釘を刺すのが筋。
現に兼続は前回までは三成を批判していたではないか。
兼続には定見がない。
ただ流されるだけ。
妻の膝枕で眠るような良き家庭人ではあるが、それ以上ではない。
※追記
脚本の小松先生は経済がわかっていない。
今回、兼続が検地を甘くして領民たちに感謝されるという描写があったが、検地を甘くするということは上杉の財政が苦しくなるということ。
もちろん民を潤すのは大事だが、国の財政のひっ迫と両天秤に掛けて葛藤するのが為政者。
兼続にはその葛藤がない。
上杉はそんなに豊かだったのか?
だとすると兼続のそれは金持ちのボンボンの国の経営でしかない。
何代か後の上杉鷹山を見習ってほしい。
無益な戦争もムダな建築もそう。
家康たちの主張は経済をわかっている人間からすれば当然のことなのだ。
今の私があるのは、おのれの定めを受け入れたからにございます。
兼続と出会い、菊と結ばれ、良き仲間に恵まれました。
定めには、あらがえぬもの。ご心中、お察し申し上げます」
景勝(北村一輝)の毛利の養子になる秀吉の養子・秀俊(上地雄輔)への言葉。
この考え方には一長一短がある。
すべてを自分の定めと思ってしまえば、現状肯定、ある意味満足して生きていける。
景勝が「兼続と出会い、菊と結ばれ、良き仲間に恵まれました」と満足して語ったように。
でも、これは一面、諦めの生き方。
すべてを<定め>と思えば、抗(あらが)うことも進歩のための努力もしない。
流されるまま。
だから朝鮮出兵にも加担してしまう。
<定め>というのは自分を納得させる便利な言葉なのだ。
一方で<定め>を否定し、抗う人生はハード。
様々なものと戦わなければならない。
満足できないから心の中は常に嵐が吹き荒れている。
これは自分の思うがまま、欲望のままに生きることでもある。
でも一方で、こういう生き方でないと進歩、前進はない。
すべてを<定め>だと思って生きるか、<定め>を否定して生きるか。
これは人の生き方として根本的な命題。
この命題に対する作者の答えは何なんだろう?
景勝がこう語っているということは<人はすべてを定めと思って生きるべき>とこの作者は考えている?
僕は抗う生き方の方が好きだな。
特に若者は抗わなければ。
若者が「すべては自分の定めです」なんて言って生きていたら気持ち悪い。
★兼続(妻夫木聡)は甘くてただの優しい男のようですね。
家康(松方弘樹)や輝元(中尾彬)から非難された三成(小栗旬)を励ますが、家康たちが批判するのは当然のこと。
朝鮮出兵は無益な戦争であったし、伏見城もムダな建築。
結果、国が疲弊する。民が苦しむ。
民を慈しむ<愛>の兼続であれば、家康たちと共にひと言釘を刺すのが筋。
現に兼続は前回までは三成を批判していたではないか。
兼続には定見がない。
ただ流されるだけ。
妻の膝枕で眠るような良き家庭人ではあるが、それ以上ではない。
※追記
脚本の小松先生は経済がわかっていない。
今回、兼続が検地を甘くして領民たちに感謝されるという描写があったが、検地を甘くするということは上杉の財政が苦しくなるということ。
もちろん民を潤すのは大事だが、国の財政のひっ迫と両天秤に掛けて葛藤するのが為政者。
兼続にはその葛藤がない。
上杉はそんなに豊かだったのか?
だとすると兼続のそれは金持ちのボンボンの国の経営でしかない。
何代か後の上杉鷹山を見習ってほしい。
無益な戦争もムダな建築もそう。
家康たちの主張は経済をわかっている人間からすれば当然のことなのだ。