平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

平清盛 第3回「源平の御曹司」~俺はどうしようもない男じゃ! 俺などいらぬ!

2012年01月23日 | 大河ドラマ・時代劇
 鼻っ柱を折られるのが青春だ。
 清盛(松山ケンイチ)は打ちのめされる。
 海賊退治。
 しかし退治したことで、海賊の怒りを買い、逆に助けた民がひどいめに遭うことに。
 そのことに若い清盛は思い至らない。
 囚われた仲間を助けられない自分。
 清盛は、自分の無力を知る。平家の名がなければ何も出来ない自分を知る。
 そして、源義朝(玉木宏)との対決。
 結果は、「まことの武士は源氏だ」と言われて屈辱的な敗北。

 いいですね、こういう主人公の描かれ方。
 人は、自分が無力なつまらない人間であることを知り、それを克服しようとすることで大人になっていく。
 挫折を知らずに大きくなった人間はずっと自分中心の子供で、鼻持ちならない人間になる。
 無力なつまらない人間が克服しようとして立ち上がる所に、人の崇高さがある。

 なので、今回はこのせりふ。
「俺はどうしようもない男じゃ! 赤子のように守られているとも知らず、思い上がってひとりで生きておるつもりになって。俺は何も出来ない、つまらないヤツだ。平氏のもとにいなければ、のたれ死ぬしかない野良犬なのじゃ。俺などいらぬ! いらぬ!」

 前回は「俺は王家の犬にも平氏の犬にもならぬ。されど俺は生きる。野良犬の声がこの面白くない世を変えるまで面白う生きてやる」というせりふだったが、今回は完全な自己否定。
 清盛は、自己肯定し、さらにそれを否定して、どんどん新しい自分に生まれ変わっていく。
 肯定と否定を繰り返す激しい心の中の振幅。
 そして若さは生命力に溢れ、たとえ打ちのめされても、すぐに立ち上がる力を持っている。

 でも、こういう主人公が迷いながらたくましく成長していく作品って視聴率を獲れないんですよね。
 少し前の作品だが、宮本武蔵を描いた『武蔵』などを思わせる。
 <上昇志向><努力><挫折><迷い>といった主人公像が、時代に合わないのか?
 まあ確かに、家族や人と人の絆なんかを描いた作品の方が<今の時代>という気がしますが。
 だから、宗子(和久井映見)の「清盛は私の子でございます! 私の子なのです!」というせりふがグッと来るんでしょうね。

 さて、今回登場したライバルの源義朝。
 義朝は、静かに刃を研ぐタイプですね。
 北面の武士になり、王家に取り入ろうとしながら、「武士が王家を守っているのだ」という思いを心に秘めて、権力奪取を目論んだり、清盛の舞を見て、「この男に勝ちたい」と思って武芸を磨いてきたり。
 感情をあらわにして叫びまくる清盛とは対照的。
 「源義朝なくして平清盛なし。平清盛なくして源義朝なし」
 このふたりは、互いの良い所を取り入れ、刺激し合いながら成長していくのでしょうね。


コメント (8)
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