平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

西郷どん 第23回 「寺田屋騒動」~軸がない久光。京にのぼった当初の目的を忘れて討幕派の粛正をおこなう

2018年06月18日 | 大河ドラマ・時代劇
 寺田屋騒動。

「懐かしきかな」
「今日はよか日じゃったのう」
 昔に戻れば、いつでもわかり合える郷中の仲間。
 このウナギ捕りのシーンがあったから後半の惨劇が悲痛なものになる。
 政治やイデオロギーは人を分断するのだ。

「兄さがおったら、こんなことをしたらいかんと言う。もうたくさんじゃ! 戦いたくなか!」
 信吾(錦戸亮)も成長しましたね。
 しかし、これも「軟弱者!」のひと言で一蹴されてしまう。
 暴力の前に言葉は無力?
 吉之助(鈴木亮平)は長州の久坂玄瑞らに「まずは一献やり申そうぞ」と言ったが、百の言葉より共に飯を食うことの方が有効なのかもしれない。
 今回、腹の音が何度も強調されたが、人間、誰でも腹が減る。
 空腹はどんなイデオロギーも吹き飛ばしてしまう。
 ………………

 久光(青木崇高)には〝軸〟がないな。

 帝から「都の不逞の輩を取り締まれ」と言われれば、「ははあ!」とかしこまってしまう。
 そこに自分の意思はない。
 すべては天子様の言うとおり。
 久光が兵とともに都にやって来た目的は、帝の詔を得て幕府の政治をただすことだったのに、いつの間にかどこかにいってしまっている。
 しかも、取り締まりの方法は〝説得〟や〝懐柔〟ではなく〝暴力〟だ。

 まあ、久光は穏健な〝公武合体〟で、有馬新七(増田修一朗)らは血気にはやった〝倒幕〟だから、基本的に折り合えないんですけどね。
 しかし、これで薩摩は会津とともに京で討幕派を取り締まる存在になり、倒幕の盟主ではなくなった。
 薩摩と長州は憎み合う関係になる。

 とは言え、この時点では久光の判断は正しいんでしょうけどね。
 幕府の力は依然として強く、討幕など思いも寄らぬこと。
 倒幕派はただの過激分子でしかない。

 だから、倒幕の機運が高まってきた時、吉之助のこの言葉が活きてくるのかもしれない。

「政治の潮目は刻々と変わりもす。
 日本が変わるためには、まずは国父様が変わらねばなりません」

 倒幕の機運が高まってきた時、久光は変われるのか?
 西郷吉之助という〝棒〟を使いこなすことができるのか?

 吉之助はいったん納得して腹が据われば、とんでもない能力を発揮する人なんですよね。
 しかし、そうでない時は「この方が西郷吉之助殿か?」と言われてしまう平凡人。
 勝海舟の〝鐘〟の人物評しかり、斉彬の〝棒〟のたとえしかり。

 吉之助は〝政治の潮目〟がまだ来ていないと考えている。
 
コメント (4)
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