道隆(井浦新)の退場。
その死は、猜疑と哀願と強権──中関白家の権力の維持、権力への妄執に終始した。
「お前と道兼はなぜ手を組んである? まさかわしを追い落とす気か?」
「わしが死んでも酷なことはしないでくれ。伊周を、わが家を頼む」
「御子を、御子を産め!」
「伊周を、関白に!」
道隆の心の中は強風が吹き荒れ、決して穏やかでなかっただろう。
権力に固執したせいである。
一条天皇(塩野 瑛久)には、伊周(三浦翔平)が内覧になることを即時求めて、
「下がれ!」
これはショックだっただろう。
あわれ道隆……。
こんな道隆が、唯一穏やかだったのは妻・貴子(板谷由夏)に手を取られて昔話をした時。
貴子の歌が身にしみる。
『わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな』
(この幸せがいつまで続くか分からないので、幸せな気持ちのまま今日死んでしまいたい)
兼家(段田安則)の時にもそうだったが、人の幸せとは何なんだろう? と考えてしまう。
それにしても井浦新さん、圧巻の演技である。
ちなみに道隆の病は「飲水病(いんすいのやまい)』=糖尿病らしい。
……………………………………………………………
一方、反道隆派は動き出す。
詮子(吉田羊)は道兼(玉置玲央)を次の関白にすべく暗躍する。
理由は、伊周より道兼の方がマシだから。
これに対抗するのが定子(高畑充希)。
伊周が内覧になるべく動き出す。
実資(秋山竜次)は相変わらず正論の君子。
伊周が壁になって、自分たちの意見が一条天皇に届かないことに関して
「わしは間違ったことを申しておらぬ」
素晴しい!
こういう官僚が現代にもいてほしい!
一条天皇もこれを聞いて、考えを改めた様子。
「伊周のことを朕は嫌っておらぬ。だが、若すぎる」
自分が道隆の傀儡であったことを、一条天皇は気づいてしまった。
道長(柄本佑)はこうした政争からは距離を置き、疫病から民を救うことに専心している。
悲田院の増築について、道隆に却下され怒鳴られても「それでもやらねばならぬ!」
結局、倫子(黒木華)の財で増築をすることを決めた。
倫子さま、なかなかの人物である。
道長の心が別の女にあることを知っているにもかかわらず、強く問いつめることをせず、
それどころか道長を援助した。
倫子さまの話が出たので、話題を女性に移すと、
明子(瀧内公美)はすっかり道長の虜になってしまったらしい。
お腹の子を入内させるという兄の目論見を否定して、道長の子をもうけたことのみを喜んでいる。
個人的には明子さま推し、というか瀧内公美さん推しなので、ぜひ幸せになってほしい!
清少納言(ファーストサマーウィカ)は斉信(金田哲)とつき合い始めた。
「深い仲になったからといって、自分の女みたいに言わないで」
「そういうことネチネチ聞くあなた、本当に嫌」
清少納言、実にたくましい!
そして、まひろ(吉高由里子)。
道長が悲田院から運んで来て、一晩中看病したことを聞いて嬉しそうな様子。
でも昔のように情熱的に突っ走ることはしない。
冷静に現状を見ている。
道長が民の救済のために動いていることを聞くと、かつて道長が言った言葉を思い出した。
「地位を得て、まひろが望む世をつくるため精一杯努めようと思うておる」
もはや、まひろと道長は「望む世をつくるための同志」なのだ。
道長は、まひろの容態を聞きにいかせたり、まだ未練があるようだが。
そして、まひろ。
さわ(野村麻純)がまひろの手紙を書き写して勉強していたことを知った。
本作では、まひろが中国の古典を書き写す場面がよく出て来るが、
『書き写す』は重要なモチーフなのだろう。
おそらく、まひろは女性たちに書き写してもらうために『源氏物語』を書く。
書き写してもらうことで女性たちは学び、世の中を知っていく。
漢文はハードルが高いが、和文の物語なら入りやすい。
まひろの『源氏物語』への模索は続いている。
その死は、猜疑と哀願と強権──中関白家の権力の維持、権力への妄執に終始した。
「お前と道兼はなぜ手を組んである? まさかわしを追い落とす気か?」
「わしが死んでも酷なことはしないでくれ。伊周を、わが家を頼む」
「御子を、御子を産め!」
「伊周を、関白に!」
道隆の心の中は強風が吹き荒れ、決して穏やかでなかっただろう。
権力に固執したせいである。
一条天皇(塩野 瑛久)には、伊周(三浦翔平)が内覧になることを即時求めて、
「下がれ!」
これはショックだっただろう。
あわれ道隆……。
こんな道隆が、唯一穏やかだったのは妻・貴子(板谷由夏)に手を取られて昔話をした時。
貴子の歌が身にしみる。
『わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな』
(この幸せがいつまで続くか分からないので、幸せな気持ちのまま今日死んでしまいたい)
兼家(段田安則)の時にもそうだったが、人の幸せとは何なんだろう? と考えてしまう。
それにしても井浦新さん、圧巻の演技である。
ちなみに道隆の病は「飲水病(いんすいのやまい)』=糖尿病らしい。
……………………………………………………………
一方、反道隆派は動き出す。
詮子(吉田羊)は道兼(玉置玲央)を次の関白にすべく暗躍する。
理由は、伊周より道兼の方がマシだから。
これに対抗するのが定子(高畑充希)。
伊周が内覧になるべく動き出す。
実資(秋山竜次)は相変わらず正論の君子。
伊周が壁になって、自分たちの意見が一条天皇に届かないことに関して
「わしは間違ったことを申しておらぬ」
素晴しい!
こういう官僚が現代にもいてほしい!
一条天皇もこれを聞いて、考えを改めた様子。
「伊周のことを朕は嫌っておらぬ。だが、若すぎる」
自分が道隆の傀儡であったことを、一条天皇は気づいてしまった。
道長(柄本佑)はこうした政争からは距離を置き、疫病から民を救うことに専心している。
悲田院の増築について、道隆に却下され怒鳴られても「それでもやらねばならぬ!」
結局、倫子(黒木華)の財で増築をすることを決めた。
倫子さま、なかなかの人物である。
道長の心が別の女にあることを知っているにもかかわらず、強く問いつめることをせず、
それどころか道長を援助した。
倫子さまの話が出たので、話題を女性に移すと、
明子(瀧内公美)はすっかり道長の虜になってしまったらしい。
お腹の子を入内させるという兄の目論見を否定して、道長の子をもうけたことのみを喜んでいる。
個人的には明子さま推し、というか瀧内公美さん推しなので、ぜひ幸せになってほしい!
清少納言(ファーストサマーウィカ)は斉信(金田哲)とつき合い始めた。
「深い仲になったからといって、自分の女みたいに言わないで」
「そういうことネチネチ聞くあなた、本当に嫌」
清少納言、実にたくましい!
そして、まひろ(吉高由里子)。
道長が悲田院から運んで来て、一晩中看病したことを聞いて嬉しそうな様子。
でも昔のように情熱的に突っ走ることはしない。
冷静に現状を見ている。
道長が民の救済のために動いていることを聞くと、かつて道長が言った言葉を思い出した。
「地位を得て、まひろが望む世をつくるため精一杯努めようと思うておる」
もはや、まひろと道長は「望む世をつくるための同志」なのだ。
道長は、まひろの容態を聞きにいかせたり、まだ未練があるようだが。
そして、まひろ。
さわ(野村麻純)がまひろの手紙を書き写して勉強していたことを知った。
本作では、まひろが中国の古典を書き写す場面がよく出て来るが、
『書き写す』は重要なモチーフなのだろう。
おそらく、まひろは女性たちに書き写してもらうために『源氏物語』を書く。
書き写してもらうことで女性たちは学び、世の中を知っていく。
漢文はハードルが高いが、和文の物語なら入りやすい。
まひろの『源氏物語』への模索は続いている。
今回筆写していたのは、荘子の「胡蝶の夢」でした。
荘子(人間)が蝶になった夢を見たのか、それとも蝶が夢の中で人間になっているのか、よく分からないというエピソードです。
おそらく、道長さんに看病された自分を「夢」として考えようとしたまひろの意図でしょう。
だからこそ、為時パパにいろいろ言われたときも、冷静に舞い上がらずにいられたんでしょう。
さて、一方では疫病蔓延の状況があり、にもかかわらず、貴族たちは相も変わらず「わが家繁栄のための政争」に血道を上げているさまも描かれます。
さて、道兼お兄ちゃんも、次回は病になりそうですが、内裏はポーの赤死病の仮面のように死屍累々になるんでしょうか。
いつもありがとうございます。
>看病された自分を「夢」として考えよう
「胡蝶の夢」にはそういう意味があったのですね。
教えていただき、ありがとうございます。
これで、まひろの切ない気持ちが一層伝わって来ました。
道兼は今回の疫病で亡くなるようですね。
となると、次は道長の出番。
詮子の後押しと「伊周には任せておけない」と思いから重い腰をあげるのでしょうね。
なので、伊周と定子と権力闘争を繰り広げることに。
道長にその気はないのに、仕方なく巻き込まれていく感じが面白いですね。
これは、やはり「関白」だった豊臣秀吉の最晩年と完全に重なりますね。
ところで、予告編にも「道兼は民の為によい政をと奮起していたが、関白就任の日に倒れ、七日後にこの世を去る」とあるように、以前は紳士だった道隆の「闇堕ち」と入れ替わるように、「人殺し」―まひろにとっては「母の仇」―だった道兼が完全に「善い人」になったようです。
「闇堕ち」の反対語で「光落ち」―「堕ち」ではなく「落ち」と表記することが多いようですが、「光」の方に「落(堕)ちる」というのには違和感がありますが―という言葉があるそうです。
今回、道兼の他にも何件か「光落ち」(明子、さわ)が見られました。
私は「光落ち」キャラには魅力を感じるのですが、個人的には「光落ち」のきっかけとなるエピソードの描写が欲しいと思っています。
たとえば「進撃の巨人」のガビの場合、サシャの父や「命の恩人」サシャを敬慕するカヤなどとの間にかなり濃密なドラマが展開していました。
道兼の場合、その「きっかけ」は彼が「堕ちるところまで堕ちた」時に道長が示してくれた「優しさ」だけ?
かつては「怨念の人」だったコウジさんの「推し」明子さまも、道長の「お渡り」が遠のいているにもかかわらず恨みがましい様子はなく、「光落ち」は本物のようです。
しかし、そのきっかけは流産の時に道長が示してくれた「優しさ」くらい?
さわに至っては、兄弟たち―腹違いで、おそらくあまり良好な関係に無かった―があっけなく病死したことが台詞で紹介されただけ。
かなり視聴者の「脳内補完」に委ねた感じですが、これが大石流なのでしょうね。
今回まひろは「書く」ことへのモチベーションが触発されたようです。
「作家・紫式部」への道を少しずつ進んでゆく感じですね。
他方、道長の権力闘争、「あと6回」と書いた時から3回(つまり半分)経過しました。
今回で「対道隆」が終わり、次回道兼がおそらく道長の「同志」として惜しまれつつ退場することで、残り2回半が「対伊周」という計算。
おそらく、道長自身は野心を持つのではなく、状況と周囲とに流される形で闘争の当事者になってゆくのでしょう―おっと、直前の「2020-08-15 21:07:49さん」への返信でコウジさんもそう書かれていました―。
>道長にその気はないのに、仕方なく巻き込まれていく感じが面白いですね。
道長は、上を目指したからこそ、源倫子を嫡妻にしたのでしょう?
まひろからも、上に立って世の中をただしてくださいと言われていましたよね。
確かに、兄2人の早世と姉・詮子の引き立てもあって、思ったより早く機が熟してしまいそうですが。
いつもありがとうございます。
>視聴者の「脳内補完」に委ねた感じですが、これが大石流なのでしょうね。
確かに道兼、明子の『光落ち』の動機の描写は少ないですね。
道兼の場合、父親の呪縛、明子の場合、復讐という呪縛から解放された結果でしょうか。
ふたりとも憑き物が落ちたような、いい顔をしています。
このふたりが『光落ち』するまでにどんな葛藤があったのかは視聴者の「脳内補完」「行間を読む」作業に委ねられているんでしょうね。
僕の場合、道隆のいきなりの『闇落ち』の方が説明不足の印象を受けました。
>残り2回半が「対伊周」
ここ、見物ですよね。
道長がどう変わっていくのか?
大きな山場になりそうです。
いつもありがとうございます。
道長の場合、ギラギラの権力志向じゃないんですよね。
娘・彰子の入内に関する倫子との会話でも「普通に生きてくれればいい」みたいなことを言っていましたし。
伊周との弓競いでも「関白なる」と宣言して、後で後悔していました。
道長は基本おっとりしているので(ときどき熱くなりますが)、父・兼家や兄・道隆を見て、あんなふうになるのはご免だと思っているかもしれません。
ただ理想を実現するためは権力が必要であることは理解しているので、これから道長がどう変わっていくかは注目ポイントになりそうです。
21世紀初めに亡くなったフランスの社会学者に、ピエール・ブルデューという人がいますが、この人が提唱した概念に「文化資本」というものがあります。
このブルデューは、田舎の小さい農村の出身でしたが、学校の勉強はよくできたので、中学高校大学と進むことができたわけですが、進学するにつれ、周りのクラスメイトにだんだん「エリートの子弟」が増えていき、自分のバックボーンが彼らと違うことを強烈に感じたんですね。
学校の勉強ができても、家庭環境や社会階層により受け継いだ文化的なバックボーンが違うと、クラスメイトや先生とも話が通じにくくなるし、仲間意識や共感も得にくくなる、といったことですね。
ブルデューさんは学者になって、この文化的なバックボーンを「文化資本」と名づけて、一生かけて研究したわけです。
さわさんは、性格的にはまひろと合うとしても、そういった「文化資本」的な部分ではどうも合わないところがあり、その合わないところを、劣等感のような嫉妬のような感情で、意識していたのかもしれません。
石山寺で蜻蛉日記の作者さんに会ったとき、さわさんは、何が何やら分からない感じで放っておかれたわけで、オマケに人違いの夜這いまであったわけなので、まあ、お気の毒です。
とはいっても、さわさんもまひろを失いたくないと思ったんでしょうね。この「文化資本の違い」を筆写で乗り越えようと試みたわけで、まひろもそれを察したと感じました。
一方ききょうの清少納言ですが、性格的にはまひろとはどうも合わなさそうです。ただし文化資本的には似たようなものがあるので、ききょうは何かというとまひろを訪ねてきては「あなたしか友だちがいないのよ」といったことを言っては、くっついてくるんでしょう。この感じも面白いです。
この「さわ」と「ききょう」の対比が今後出てくるかどうかは分かりませんが、なかなか面白いと思っています。
「文化資本」インプットしました。
教えていただきありがとうございます。
さわさん、これからどんどん変わっていくんでしょうね。
清少納言は、今回、道隆が定子に「御子を産め」と言って修羅場になった時、機転を利かせて御簾を下ろしました。
斉信との恋の駆け引きも楽しんでいるようですし、宮廷でどんどん存在感を増しているようです。
さわささんも清少納言も、おそらく脚本家・大石静さんが描きたいと思っている女性。
今後、どんなふうに描かれるのか楽しみですね。