NHKスペシャル『歴史ミステリー』で邪馬台国とヤマト王権をやっていた。
3世紀の邪馬台国の象徴は「前方後円墳」
5世紀のヤマト王権の象徴も「前方後円墳」
つまり邪馬台国がヤマト王権になったのだ。
音もヤマタイ、ヤマトですしね。
番組では、AIで全国の「前方後円(□○)」の地形を探す試みをしていたが、
前方後円墳は全国の至る所にあるらしい。
つまりこれはヤマト王権が全国に勢力を伸ばしていったことを表わしている。
ちなみに邪馬台国と覇権を争った狗奴国は「前方後方墳(□□)」らしい。
狗奴国が征服されて「前方後方墳」は少なくなり、「前方後円墳」が増えていった。
…………………………………………………………………………
邪馬台国と言えば卑弥呼。
さまざまな国が乱立する3世紀の日本で邪馬台国が国をまとめるため、
卑弥呼は中国の「巍」に使者を送り「魏の倭国王」に任ぜられた。
その外交交渉が面白い。
折しも中国は「魏」「呉」「蜀」の『三国志』の時代。
卑弥呼はこんな駆け引きをしたらしい。
魏の皇帝に対し、
「もしわたしたちと組めば、呉を挟み撃ちにできます」
「もし手を組まなければ呉と手を組みます」
これで魏の皇帝は卑弥呼に「魏の倭国王」の金印を与えた。
倭の五王が活躍したヤマト王権でも同じ外交交渉がおこなわれたらしい。
ヤマト王権は、当時北魏と争っていた宋に対し、
「もしわたしたちと組めば、朝鮮半島経由で北魏を挟み撃ちにします」
「もし組まなければ北魏と手を組みます」
結果、ヤマト王権の王・珍(仁徳天皇?)は『安東将軍・倭国王』に任ぜられた。
………………………………………………………………………
ヤマト王権が全国制覇した背景には『鉄』と『馬』があったらしい。
鉄があれば剣や鎧が作れる→武力UP
鋤や鍬も作れる →生産力・経済力UP。
ただし日本には鉄鉱石があまりなかった。
だから鉄鉱石を求めて、朝鮮半島に攻め込んだ。
当時、朝鮮半島は高句麗が勢力を拡大していて、ヤマト王権は百済と同盟を組んだ。
しかし高句麗には『馬』があり、その騎馬部隊に散々な目に遭わされた。
何しろ馬は時速39キロで走り、1日で200キロ移動できるのだ。
走る馬から矢を放つことも出来る。
当時、馬は今でいう『戦車』のような存在だったらしい。
騎馬部隊の必要を痛感したヤマト王朝は百済から馬を得て繁殖を東日本でおこなった。
当時の日本は『無馬』、馬がいなかったらしい。
こうして『鉄』と『馬』が日本に統一国家を作る原動力となった。
古代の日本は東アジアと強く結びついていたし、技術も大陸から得ていた。
ただし日本は昔から加工の技術には優れていて、
長さ2m37センチの蛇行剣や量産型の甲冑を作ったりしていた。
そして6世紀。
日本には『仏教』が入り、『漢字』『木造建築の技術』が入って来た。
『漢字』は『古事記』『日本書紀』などの史書となり、
『木造建築の技術』は法隆寺となり、
『仏教』は国教となった。
そして──
『仏教』の浸透に拠り、『前方後円墳』は造られなくなった。
邪馬台国やヤマト王朝の象徴だった『前方後円』。
これは何だったんでしょうね?
単なるシンボルだったのか?
それとも何らかの意味があったのか?
『鉄』も注目すべきもので、漫画家の星野之宣さんは、『ヤマタイカ』『宗像教授シリーズ』など、『鉄』をテーマにした作品を描いている。
古代史のロマンは尽きない。
3世紀の邪馬台国の象徴は「前方後円墳」
5世紀のヤマト王権の象徴も「前方後円墳」
つまり邪馬台国がヤマト王権になったのだ。
音もヤマタイ、ヤマトですしね。
番組では、AIで全国の「前方後円(□○)」の地形を探す試みをしていたが、
前方後円墳は全国の至る所にあるらしい。
つまりこれはヤマト王権が全国に勢力を伸ばしていったことを表わしている。
ちなみに邪馬台国と覇権を争った狗奴国は「前方後方墳(□□)」らしい。
狗奴国が征服されて「前方後方墳」は少なくなり、「前方後円墳」が増えていった。
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邪馬台国と言えば卑弥呼。
さまざまな国が乱立する3世紀の日本で邪馬台国が国をまとめるため、
卑弥呼は中国の「巍」に使者を送り「魏の倭国王」に任ぜられた。
その外交交渉が面白い。
折しも中国は「魏」「呉」「蜀」の『三国志』の時代。
卑弥呼はこんな駆け引きをしたらしい。
魏の皇帝に対し、
「もしわたしたちと組めば、呉を挟み撃ちにできます」
「もし手を組まなければ呉と手を組みます」
これで魏の皇帝は卑弥呼に「魏の倭国王」の金印を与えた。
倭の五王が活躍したヤマト王権でも同じ外交交渉がおこなわれたらしい。
ヤマト王権は、当時北魏と争っていた宋に対し、
「もしわたしたちと組めば、朝鮮半島経由で北魏を挟み撃ちにします」
「もし組まなければ北魏と手を組みます」
結果、ヤマト王権の王・珍(仁徳天皇?)は『安東将軍・倭国王』に任ぜられた。
………………………………………………………………………
ヤマト王権が全国制覇した背景には『鉄』と『馬』があったらしい。
鉄があれば剣や鎧が作れる→武力UP
鋤や鍬も作れる →生産力・経済力UP。
ただし日本には鉄鉱石があまりなかった。
だから鉄鉱石を求めて、朝鮮半島に攻め込んだ。
当時、朝鮮半島は高句麗が勢力を拡大していて、ヤマト王権は百済と同盟を組んだ。
しかし高句麗には『馬』があり、その騎馬部隊に散々な目に遭わされた。
何しろ馬は時速39キロで走り、1日で200キロ移動できるのだ。
走る馬から矢を放つことも出来る。
当時、馬は今でいう『戦車』のような存在だったらしい。
騎馬部隊の必要を痛感したヤマト王朝は百済から馬を得て繁殖を東日本でおこなった。
当時の日本は『無馬』、馬がいなかったらしい。
こうして『鉄』と『馬』が日本に統一国家を作る原動力となった。
古代の日本は東アジアと強く結びついていたし、技術も大陸から得ていた。
ただし日本は昔から加工の技術には優れていて、
長さ2m37センチの蛇行剣や量産型の甲冑を作ったりしていた。
そして6世紀。
日本には『仏教』が入り、『漢字』『木造建築の技術』が入って来た。
『漢字』は『古事記』『日本書紀』などの史書となり、
『木造建築の技術』は法隆寺となり、
『仏教』は国教となった。
そして──
『仏教』の浸透に拠り、『前方後円墳』は造られなくなった。
邪馬台国やヤマト王朝の象徴だった『前方後円』。
これは何だったんでしょうね?
単なるシンボルだったのか?
それとも何らかの意味があったのか?
『鉄』も注目すべきもので、漫画家の星野之宣さんは、『ヤマタイカ』『宗像教授シリーズ』など、『鉄』をテーマにした作品を描いている。
古代史のロマンは尽きない。
いつもありがとうございます。
「王」というのはそういう意味があったんですね。
教えていただきありがとうございます。
歴史認識。
少なくとも古代においては、中国の影響あり、いろいろなことを学んで日本という国の礎がつくられたことは明白ですよね。
平安時代の律令制度などもそう。
それをねじ曲げようとする姿勢は困ったものです。
日本が誇るとしたら、大陸から導入した技術や文化を独自に発展させたこと。
仮名しかり、日本刀しかり。
先週のDNAの記事で書きましたが、嫌中や嫌韓の人たちの中にも大陸の遺伝子はあると思いますし、客観的な現実を見てほしいです。
>結果、ヤマト王権の王・珍(仁徳天皇?)は『安東将軍・倭国王』に任ぜられた。
「日本はスゴい国」と言いたがる人たちが、あまり認めたがらない事実です。
当たり前のことですが「皇帝」は「王」より上です。そして中華的な秩序では、皇帝は王を家来として任命するシステムになってます。
王といっても、中国国内の地方長官的なものもありますが、異民族の場合は扱いが違い、皇帝は自分から「王」を任命することはなく、異民族の自己申告(朝貢)があれば随時任命することになっています。
つまり「倭の国王」も、足利義満の「日本国王」も、実は日本から「家来になります」と申告したから「王」に任命されたわけですね。
日本スゴい型の歴史を言う人は、このあたりのシステムについては触れず「日本は中国に支配されたことはない」といいますが、形式だけとはいえ、中国の家来だった時代があったことも忘れてはいけないんですね。
オチが見えない話で済みません。