「坂の上の雲」第1回「少年の国」前・後編を見た。
14年前の放送は見ているのだが、あの頃よりは少しは成長していると思うので
改めて「坂の上の雲」を考えてみる。
………………………………………………………
御維新を経て日本人は「国家」というものを意識するようになった。
自分はその「国民」だと言われた。
その「国民」は学問をして努力を続ければ、政治家・軍人・企業家など何にでもなれる、
と言われた。
このことは当時の人々にとんでもない高揚感をもたらした、と司馬遼太郎は考える。
これが司馬遼太郎の「明治」に対する基本的な史観だ。
確かに僕がその時代に生きていたら、ものすごくワクワクしていただろう。
・「村」という小さな世界に生きていた人間に「国家」という大きなものを突きつけられた。
・自分もその一員だと言われた。
・農民は農民として生涯を終えると思っていたのに、何にでもなれると言われた。
このワクワクは現代に生きていても想像できる。
秋山真之(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)もこのワクワクを抱いて東京にやって来た。
大学に入るために予備校に入る。
そこで後に財務大臣・総理大臣になる高橋是清(西田敏行)に英語を習う。
だが横浜の外国人居留地に行った時、真之たちは自分たちの「国家」の現実を知る。
欧米の西洋人から「サル」と蔑まれている現実だ。
外国人居留地で真之たちはこんな事件を目撃する。
英国人が難癖をつけて日本の商人(蛭子能収)から鎧を奪い取ろうとしていたのだ。
「金を払って下さい……!」と懇願する商人に英国人は「これは盗まれたものだ!」と
突っぱねて、鎧・兜を荷車に乗せる。
なおも食い下がる商人の背中をステッキで叩く。
この横暴に対して、真之は英語で次のように抗議する。
『イギリス紳士は博愛精神に富み、弱きを助け強きをくじく。
常に法を拠り所にして犯罪や不正を憎み、正義を貫く』
高橋是清の英語授業のテキスト『万国記』に書かれていた「英国人像」だ。
英国人にとって、このフレーズは一般的なものらしい。
言われた英国人は一瞬ひるむが、横暴をやめない。
そこにひとりの人物が現れる。
「ひさしぶりに懐かしい言葉を聞きました」
英国人の海軍大尉ジョーンズ(ブレイク・クロフォード)だ。
ジョーンズは英国人にあるまじき行為をした英国人に謝るように言う。
英国人にもまっとうな人がいるのだ。
ジョーンズと真之は握手をする。
事はこれで収まるが、真之は自分たちの国の課題を知る。
『治外法権』だ。
犯罪を犯した外国人を日本人は裁けない。
『治外法権』に対して高橋是清は真之たちに言う。
「この国の法律と憲法をつくり国会を開く。
国としての正義を世界に示すのです。
日本が紳士の国だと世界に認めさせることができたら治外法権はなくなるでしょう」
真之は日本の現実を知り、具体的に自分は何をすればいいかを考え始めた。
少年のようなワクワクから現実的な行動へ。
無邪気な少年は考え悩む青年になっていく。
「坂の上の雲」はこうした青年たちの成長物語でもある。
そして、それが日本という国家の成長・成熟とリンクしている。
物語は「少年の国」の時代から新たなステージへ。
青年たちと日本国家はどのような道を歩んでいくのだろう?
※追記
英国人のアイデンティティは──
『イギリス紳士は博愛精神に富み、弱きを助け強きをくじく。
常に法を拠り所にして犯罪や不正を憎み、正義を貫く』
日本人のアイデンティティはどんな言葉で表わせばいいのだろう?
14年前の放送は見ているのだが、あの頃よりは少しは成長していると思うので
改めて「坂の上の雲」を考えてみる。
………………………………………………………
御維新を経て日本人は「国家」というものを意識するようになった。
自分はその「国民」だと言われた。
その「国民」は学問をして努力を続ければ、政治家・軍人・企業家など何にでもなれる、
と言われた。
このことは当時の人々にとんでもない高揚感をもたらした、と司馬遼太郎は考える。
これが司馬遼太郎の「明治」に対する基本的な史観だ。
確かに僕がその時代に生きていたら、ものすごくワクワクしていただろう。
・「村」という小さな世界に生きていた人間に「国家」という大きなものを突きつけられた。
・自分もその一員だと言われた。
・農民は農民として生涯を終えると思っていたのに、何にでもなれると言われた。
このワクワクは現代に生きていても想像できる。
秋山真之(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)もこのワクワクを抱いて東京にやって来た。
大学に入るために予備校に入る。
そこで後に財務大臣・総理大臣になる高橋是清(西田敏行)に英語を習う。
だが横浜の外国人居留地に行った時、真之たちは自分たちの「国家」の現実を知る。
欧米の西洋人から「サル」と蔑まれている現実だ。
外国人居留地で真之たちはこんな事件を目撃する。
英国人が難癖をつけて日本の商人(蛭子能収)から鎧を奪い取ろうとしていたのだ。
「金を払って下さい……!」と懇願する商人に英国人は「これは盗まれたものだ!」と
突っぱねて、鎧・兜を荷車に乗せる。
なおも食い下がる商人の背中をステッキで叩く。
この横暴に対して、真之は英語で次のように抗議する。
『イギリス紳士は博愛精神に富み、弱きを助け強きをくじく。
常に法を拠り所にして犯罪や不正を憎み、正義を貫く』
高橋是清の英語授業のテキスト『万国記』に書かれていた「英国人像」だ。
英国人にとって、このフレーズは一般的なものらしい。
言われた英国人は一瞬ひるむが、横暴をやめない。
そこにひとりの人物が現れる。
「ひさしぶりに懐かしい言葉を聞きました」
英国人の海軍大尉ジョーンズ(ブレイク・クロフォード)だ。
ジョーンズは英国人にあるまじき行為をした英国人に謝るように言う。
英国人にもまっとうな人がいるのだ。
ジョーンズと真之は握手をする。
事はこれで収まるが、真之は自分たちの国の課題を知る。
『治外法権』だ。
犯罪を犯した外国人を日本人は裁けない。
『治外法権』に対して高橋是清は真之たちに言う。
「この国の法律と憲法をつくり国会を開く。
国としての正義を世界に示すのです。
日本が紳士の国だと世界に認めさせることができたら治外法権はなくなるでしょう」
真之は日本の現実を知り、具体的に自分は何をすればいいかを考え始めた。
少年のようなワクワクから現実的な行動へ。
無邪気な少年は考え悩む青年になっていく。
「坂の上の雲」はこうした青年たちの成長物語でもある。
そして、それが日本という国家の成長・成熟とリンクしている。
物語は「少年の国」の時代から新たなステージへ。
青年たちと日本国家はどのような道を歩んでいくのだろう?
※追記
英国人のアイデンティティは──
『イギリス紳士は博愛精神に富み、弱きを助け強きをくじく。
常に法を拠り所にして犯罪や不正を憎み、正義を貫く』
日本人のアイデンティティはどんな言葉で表わせばいいのだろう?
>諭吉先生が差別的な人だった可能性は、かなりあり得ると思ってます。
僕の福澤諭吉に対する理解は前コメントに書いたとおり
・庶民に対する差別→どうかな? 論理として飛躍しすぎ。
・アジア各国に対する差別→西洋化した唯一の国として、優越感みたいなものはあったかな?
・貧しい者が大学に行くと共産主義者になる→福澤の共産主義への嫌悪?
という理解です。
引用の尾原氏の論文はよく読むと、かなりメチャクチャですよ。
現慶応学長の発言と福澤諭吉との関係については、本人に聞いてみないとわかりません。
福澤諭吉についても『学問のすすめ』『文明論之概略』などの原典を読んでいませんし、体系的に学んだわけではないので、これ以上は語れません。
というか、司馬遼太郎から離れてしまいましたし、今、福澤諭吉を論じることの意味がどこにあるのか、と思っています。
つい先週くらいに、来年度からの東大の授業料が年53万から64万にアップすると発表されましたが、この学費値上げに先だって、国立大は学費を3倍に値上げすべきと主張したのが、慶応の塾長先生でした。今年の春に文科省の審議会か何かで発言があって、報道もされたので、一時期話題になったと思います。
この塾長先生の発言に関連して、国の文教予算がもともと少ないことや、その少ない文教予算さえドンドン減らされて、国立大も私立大も財政が厳しいという状況を、大学の先生の一部が指摘しておいでです(この発言以前からこの種の指摘はあったようですが)。
教育は一種の投資ですから、国立私立問わず補助を厚くして、私立の学費を少しでも値下げできるようにと主張してもいいところなのに、塾長先生は、逆に国立の学費を3倍に値上げすべきというご意見を出したわけです。
この「学費値上げ提言」は一見すると奇妙な印象ですが、諭吉先生がおっしゃったと伝わっている「貧乏人が高い教育を受けると、余計な知恵をつけて不平分子になってKョーサン党が跋扈するようになるからよくない」といった「貧しい連中に教育など不要」論を脈々と受け継いでいると考えると、合点がいくわけですね。
諭吉先生は「学問をすゝめて」はいますが、誰もが学問をできるような環境を整えようとは言っていないわけです。学問をするかしないかは、あくまでも自己責任です。しかも「偽書」かどうかは分かりませんが、貧乏人に教育は不要と言った発言もあるわけですね。
>そして大切なのは、現代に生きる僕たちがこれをどう考えるか?
これに関しては全く同意です。能力のある人に学問を修めてもらうことが、本人にも社会にとっても利益になる、というところまで社会が進歩したわけですから、いまさら「貧乏人に学問はいらない」という時代に戻るのも困るわけです。
まあ、塾長先生もさすがにマズいと思ったのか、奨学金の充実と言ったことはおっしゃっているようですけどね。
参考までに↓
https://www.tokyo-np.co.jp/article/323124
教えていただき有難うございます。
リンクの論考のラストで、筆者の尾原氏はこうも結論づけていますよね。
「時に極端に振れながらも、福澤は一貫して『官尊民卑』の打破を訴え、『民』のレベルを引き上げることに尽力しました。日本の近代化において、福澤と慶應義塾が果たした役割は非常に大きいものがあります」
なので、リンクの論考は「庶民差別」というよりは
「官学と私学のあり方・不公平への問題提起」
「福澤の共産主義への嫌悪」
という論点で読んだ方がいいかもしれません。
実際、僕はそう読み取りました。
そして、尾原氏の『東大に行っていいのは金持ちだけなのだ』という結論は強引すぎますよね。
こんな論文を「PRESIDENT」がよく採用したと思います。
………………………………
「脱亜論」は新聞「時事新報」の無署名の社説で、福澤が書いたかどうかは定かでないようですね。
内容は──
・西洋に学べ
・東洋の価値観や学問を捨てよ
・アジアで西洋化を成し遂げた国は日本だけである
問題は最後の文章ですが、これを他のアジアの国々への優越感・差別と読むかは詠み手次第。
まあ、福澤を含めて、当時の人々には優越感や差別意識はあったと思います。
そして大切なのは、現代に生きる僕たちがこれをどう考えるか?
「そうだ! 日本スゴイ!」なのか、
「明治の話だろう。今はGDPで中国に抜かれてるし、過去の栄光にすがっていてもしょうがない」と考えるのか?
僕は後者です。
………………………………
福澤の人格については勝海舟が『氷川清和』で悪口を書いていますよね。
「あいつは江戸城開場の時、部屋の隅で脅えていた」と書いていたのを読んだことがあります。
………………………………
書き忘れましたが、最近映画化された司馬遼太郎作品は「峠」と「燃えよ剣」。
「峠」→河井継之助
「燃えよ剣」→土方歳三
いずれも滅びゆく人たちです。
作品は時代を映す鏡。
「滅びゆく人たち」の映像化はやはり「衰退している日本」を象徴しているのかもしれません。
逆に経済が成長している時代なら「新史太閤記」や夫婦で力を合わせて出世していく山内一豊を描いた「功名が辻」が映像化されたと思います。
これが比較的フラットな立場からの論考かと思います。
https://president.jp/articles/-/81470?page=1
また、安川・平山論争と呼ばれるものもあるようです(wikiにもページがあります)。
これは「福沢諭吉はアジア諸国民を見下す差別主義者だった」とする安川さんと、「脱亜論は福沢が唱えたものではない。岩波書店が刊行した福澤諭吉全集には、福沢本人ではない文章が混入している」とする平山さんの対立のようですね。
ただ、本当に「偽書」が混じっていたのであれば、慶応が黙っているとは思えません。岩波に抗議するなり、訂正の申し入れをするなり、そういった展開になると思いますが、そういった話もないわけです。
なので、慶応側も、そういった差別的な発言を否定できるほどの強い材料がない、ということだと思います。個人的には、諭吉がそういった民族差別や職業身分差別的な考えを持っていた可能性は「否定できない」と「かなり高い」の間くらいだと思っています。
そして、その差別意識ですが、当時の華族や士族全体を覆っていた標準的な気風だったのか、それともその時代の基準に照らしても諭吉が差別的だったのか、そこまでは何とも分かりません。
ただ、啓蒙的な教育者の印象もあるので、当時の華族や士族よりは、少しは開明的であってほしいとは思うんですけどね。
一方、学問のすゝめを見ても、平民を見下すような文章のあとに、平民であっても唯々諾々ではなく、意欲気力を備えれば、欧米列強にも伍していけるといった意味に読めるところもあります。
また、わたしが「日本から平民を追い出せ」とした部分は、平山さんが偽書としている部分にあるようです。
安川・平山論争のほかにも、福沢諭吉はそれほど人徳者ではなかったとする研究は出てきているようです(大学の若手研究者のようで、ネットで見たのですが、ブックマークし忘れのようで、今ちょっと見つかりません)。新しく見つかった諭吉の書簡をもとにした研究も出始めているようです。いまのところ主流派ではない感じですが、注目はしています。
とは言っても、新自由主義の弊害が明らかになっている今の時代に「諭吉さんですら貧乏人は学校に行くなとおっしゃっているんだから、国立大の学費を上げるのは全く正しいのだ」といった文脈で引用するのはやはりまずいですね。
志賀直哉も戦後「公用語を英語にしよう」と言っていましたね。
こんなふうに簡単に母国語を捨てられる、あっさりした所が、日本人らしさかもしれません。
「鬼畜米英」だったのが、すぐに「アメリカ万歳」ですからね。
明治の否定と江戸への憧憬は、漱石や永井荷風にも見られますね。
山田風太郎の明治ものの主人公も、江戸っ子として明治を否定していました。
福澤諭吉の発言は知らなかったのですが、面白いですね。
ソースはどこですか?
……………………………………
さて、ここからが司馬遼太郎論。
司馬遼太郎は高度経済成長期の人気作家です。
つまり「一億総中流の時代」の作家。
皆が中流階級で、「今日より明日がもっと良くなる」と信じられていた時代だから司馬遼太郎はウケたんですね。
「士族の商法」などで没落していった下級武士もいたでしょうが、社会的な地位を上げていった下級武士はひたすら文明開化で、日本の文化や社会は見ていなかったと感じています。
森有礼など「日本語は文明的ではないので廃止して、英語を日本の国語にしろ」と唱えたわけですし、福澤諭吉も意外に差別主義だったようで、「日本の農民や商人といった連中は頭脳の程度が低いので、移民にして外国に追い出し、かわりに欧米文明人を日本に移住させれば日本国のレベルが上がる」といったことを言っていたようです。
諭吉は、人の上に人をつくらず、が有名ですが、彼の考える「人」は武士階級限定だったんでしょうね。
なので、没落した下級武士の物語は浅田次郎的になるでしょうし、上昇した下級武士は司馬遼太郎的になると思っています。
いつもありがとうございます。
明治時代は、下級武士・富農・豪商のための時代なんですよね。
秋山兄弟は「下級武士」の出身。
正岡子規は「中級武士」の出身。
三菱の岩崎弥太郎は「下級武士」で渋沢栄一は「富農」の出身。
つまり彼らは「ブルジョワジー」です。
なので、おっしゃるとおり、下層階級(プロレタリアート)の視点が少ないのは司馬遼太郎の弱点です。
例にあげていらっしゃる浅田次郎さん、あるいは山本周五郎は逆にそちらを描いていますよね。
小林多喜二などのプロレタリア文学者は、それを社会問題として描いています。
…………………………………………
というわけで、どの作品を読むかは個人の好み。
僕は全部読みたいと思っています。
下層階級も中流階級も上流階級の物語を全部読みたい。
2020さんは下層階級を描いた作品がお好きなようですね。
『坂の上の雲』は下級武士の人々が明治という時代にどう生きたかを描いた物語です。
ただ夢ばかりではなく、さまざまな現実も描かれています。
第1話、2話では──
・薩長政治に反発した自由民権運動
・外国人の差別と治外法権
・下宿先の旗本の娘(上級武士)に好奇の目で見られる好古(いずれふたりは結婚しますが)。
が描かれました。
これらの社会矛盾を真之たちがどう乗り越えて行くかが、本作のドラマになります。
…………………………………………
>希望に満ちた少年の国を強調してしまった
「少年の国」というのは第1話・2話の段階の話です。
今後は「青年の国」「大人の国」「老年の国」というコンセプトで描かれていきます。
さて、老年の国になった明治の終わりを真之はどのように見るのでしょう?
あとは2020さん次第ですが、世界観を広げる意味で、下級武士の明治時代の物語も見てみませんか?
>このワクワクは現代に生きていても想像できる。
>秋山真之(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)もこのワクワクを抱いて東京にやって来た。
>大学に入るために予備校に入る。
ただ、こういった「何にでもなれる」という「夢」はやはり虚構なんですよね。
庶民クラスだと、やはり学問はできないんです。
わたしは浅田次郎の「天切り松闇語り」も読みます。これは歴史小説ではなくフィクションですが、一面の真実があると思っています。
残飯屋が、青山の第一師団から兵隊さんの食い残しを仕入れてきては、四谷あたりの貧民街に運んできて売りつける、といった冒頭のシーンに圧倒されます。この食うや食わずの姿に、坂の上の雲のワクワクはありません。
わたしも途切れ途切れですが、ドラマの坂の上の雲、本放送で見ていました。
ただ、あのドラマはやはりどこかウソくさいと感じました。夏目漱石のいう生きづらさの空気感もあったはずなのに、また、薩長土肥のコネクションが政府の要職を独占してしまったという状況もあったはずなのに、希望に満ちた少年の国を強調してしまったため、ちょっと違和感がありました。
わたしの祖父祖母はとうに身まかりましたが、やはり戦前の明治の世代でした。さすがに残飯屋のお世話にはならなかったようですが、小学校の高等科にもとうとう行けずじまいだったとか、そういった庶民でした。
そして今、四代目政治家のS次郎さんが、奨学金の返済が大変だという「しもじも」に「大学だけが人生ではない」と放言しています。
このS次郎さんが明治にいたら、若い秋山兄弟にも同じことを言って、伊予に帰るように促したのかもしれませんね。