今回の大河ドラマは恋愛ドラマだった。
まひろ・紫式部(吉高由里子)と三郎・藤原道長(柄本佑)。
「まひろ、お前は誰なんだ?」
「三郎こそ誰なのよ?」
お互いの素性を知らない恋。
身分など関係ない恋。
つまり純粋な人と人の恋。
「三郎は名前しか書けないから偉くなれないか。はっはっはっ」
この笑い方にハマった!
吉高由里子さんの作品はいろいろ見て来たが、吉高さんの演じる女性はすべて魅力的だ。
平安時代の元服の年齢は12歳~16歳、平均で13歳らしいから、今のメイクは幼い感じ。
等身も子供体型にしているように見える。
「お前は誰なんだ?」で始まった恋。
お互いの素性があきらかになった時、哀しい恋になるのだろう。
特にまひろには三郎の兄・道兼(玉置玲央)との確執がある。
家の格も違いすぎる。
もうひとつの恋愛は藤原詮子(吉田羊)と円融天皇(板東巳之介)だ。
といっても、ふたりの関係は恋愛ではない。
政治的な動機でつくられたものだ。
求愛の歌を送った詮子に帝は言う。
「汚らわしい! お前は親王の母として生きよ」
詮子は帝に思いを残しているから、拒まれてつらい。
まひろと道長の関係を見ていると、詮子のつらさが一層伝わって来る。
脚本の大石静さん、さすがベテラン!
まひろと詮子を対照的に描いて、上手い語り口だ。
………………………………………………………………
対照的なまひろと詮子はこんなことでも描かれた。
「この世に楽しいおなごがいるのか?」
代筆屋の仕事が楽しいと語るまひろに道長はこう言った。
道長は政治に利用された姉・詮子の状況を知っているから、まひろに驚く。
この前に詮子は道長に
「この世の中に幸せな女なんかいるのかしら」
と愚痴をこぼしている。
一方、まひろも楽しいだけの女性ではなかった。
代筆をやっていることを父親に咎められると、
「あそこは私が私でいられる場所なのよ! あそこにいれば私は六年前のこと忘れられる」
と語る。
明るいまひろも苦しみを抱えていたのだ。
これまた上手い語り口だ。
歌や文の代筆から『源氏物語』へ。
まひろは自分の中に渦巻くさまざまな思いを昇華するために『源氏物語』を書いていく。
そんなまひろを詮子は応援していくのだろう。
まひろの書くものに慰められて、早く続きを読ませてほしいとせがむのだろう。
※追記
絵師の役は三遊亭小遊三師匠。やはり語りに味がありますね。
※追記
履き物によって再会するまひろと道長。
ネット民はこれを「シンデレラ」と喝破。
別のネット民は中臣鎌足と中大兄皇子の出会いの故事が元ネタではないかと指摘。
中臣鎌足は藤原家の始祖。
鎌足が蹴鞠で飛ばした履き物を中大兄皇子が拾ったという故事があるらしい。
やはりネット民の分析力はおそろしい。
まひろ・紫式部(吉高由里子)と三郎・藤原道長(柄本佑)。
「まひろ、お前は誰なんだ?」
「三郎こそ誰なのよ?」
お互いの素性を知らない恋。
身分など関係ない恋。
つまり純粋な人と人の恋。
「三郎は名前しか書けないから偉くなれないか。はっはっはっ」
この笑い方にハマった!
吉高由里子さんの作品はいろいろ見て来たが、吉高さんの演じる女性はすべて魅力的だ。
平安時代の元服の年齢は12歳~16歳、平均で13歳らしいから、今のメイクは幼い感じ。
等身も子供体型にしているように見える。
「お前は誰なんだ?」で始まった恋。
お互いの素性があきらかになった時、哀しい恋になるのだろう。
特にまひろには三郎の兄・道兼(玉置玲央)との確執がある。
家の格も違いすぎる。
もうひとつの恋愛は藤原詮子(吉田羊)と円融天皇(板東巳之介)だ。
といっても、ふたりの関係は恋愛ではない。
政治的な動機でつくられたものだ。
求愛の歌を送った詮子に帝は言う。
「汚らわしい! お前は親王の母として生きよ」
詮子は帝に思いを残しているから、拒まれてつらい。
まひろと道長の関係を見ていると、詮子のつらさが一層伝わって来る。
脚本の大石静さん、さすがベテラン!
まひろと詮子を対照的に描いて、上手い語り口だ。
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対照的なまひろと詮子はこんなことでも描かれた。
「この世に楽しいおなごがいるのか?」
代筆屋の仕事が楽しいと語るまひろに道長はこう言った。
道長は政治に利用された姉・詮子の状況を知っているから、まひろに驚く。
この前に詮子は道長に
「この世の中に幸せな女なんかいるのかしら」
と愚痴をこぼしている。
一方、まひろも楽しいだけの女性ではなかった。
代筆をやっていることを父親に咎められると、
「あそこは私が私でいられる場所なのよ! あそこにいれば私は六年前のこと忘れられる」
と語る。
明るいまひろも苦しみを抱えていたのだ。
これまた上手い語り口だ。
歌や文の代筆から『源氏物語』へ。
まひろは自分の中に渦巻くさまざまな思いを昇華するために『源氏物語』を書いていく。
そんなまひろを詮子は応援していくのだろう。
まひろの書くものに慰められて、早く続きを読ませてほしいとせがむのだろう。
※追記
絵師の役は三遊亭小遊三師匠。やはり語りに味がありますね。
※追記
履き物によって再会するまひろと道長。
ネット民はこれを「シンデレラ」と喝破。
別のネット民は中臣鎌足と中大兄皇子の出会いの故事が元ネタではないかと指摘。
中臣鎌足は藤原家の始祖。
鎌足が蹴鞠で飛ばした履き物を中大兄皇子が拾ったという故事があるらしい。
やはりネット民の分析力はおそろしい。
しかし、だからと言って権門の御曹司なら何をやっても許されるというほど無法な世界でも無いようなので、少し安心しました。
道兼の身分であっても、一応殺人は少なくとも「まずいこと」で、父兼家自身が手を汚して生き証人の従者を「始末」せねばならなかったくらいのことではあったわけです。
今後、道兼は結構兼家一家の「汚れ役」的な仕事をすることになりますが、彼はそうせざるを得ないだけの「弱み」を父に対して持つことになったので、視聴者(まひろは違うでしょうが)としては少しだけ溜飲が下がった感じ。
ただし、道兼は父に密告したのが三郎だと信じた―真偽の程は不明ですが―ようで、これが今後の兄弟の確執へとつながるのでしょう。
>履き物によって再会するまひろと道長。
私も「ネット民」の一人として別系統の材料を一つ。
またまた韓国時代劇ですが、朝鮮王朝よりもさらに旧い新羅時代を舞台とする「花郎(ファラン)」という作品のヒロインである「アロ」は、やはり飛ばした履き物をぶつけることでヒーロー「ムミョン」と出会います。
このアロは、貴族の身分にありながら「医は仁術」を実践しているために貧しい医者の娘で、巷で物語の語り部のアルバイトをしてお金を稼いでいました。
さらにアロは、やはり権力者の横暴のために母親を殺されていました。
ここまで共通していると、何か万国共通の「エピソードの型」のようなものがあるような気がします。
でも、若い娘さんってそんなによく履き物を飛ばすものなのでしょうかね。
いつもありがとうございます。
これもネット情報ですが、貴族が自ら殺傷をおこなって血を浴びることは「穢れ」の行為らしいですね。
第1話ではこの点で「歴史考証」がメチャクチャと批判されていました。
しかし今回の兼家と道兼のやりとりでフォローされていて、案外しっかりした作品と再評価されたようです。
「花郎」にそんなエピソードがあるんですか。
というか、そのまんま今回のまひろと道長ですよね!
この作品、韓流王朝ものの雰囲気があると指摘する人がいますが、「花郎」はサブスクにあったと思いますので見てみます。