小松左京の『エスパイ』
エスパイ=エスパーのスパイ。
東西冷戦時代、
アメリカとソ連の平和条約が交わされようとしている時、
ソ連首相の暗殺計画が実行されてようとしていることがわかり、
エスパイたちはそれの阻止のために戦う。
『007』のような娯楽小説ですね。
舞台もアメリカ、スペイン、イースタンブール、南アフリカと全世界で展開され、
最終的には何と宇宙に行く!
おおっ、何というスケールの大きさ!
日本にもこういうスケールの作品が登場したか!
美女とのエッチシーンもある!
………………………………………
だが、後半はなかなかハードだ。
人間の営みをずっと見つめて来た存在(=神)と主人公が会話をするのだ。
超越した存在は主人公に尋ねる。
「ねえ、人間がなぜ〝悪〟からまぬがれないと思う?
なぜ、人間が、人間同士争い、殺しあい、虐殺行為をくわえあい、牙をむき出して奪いあい、だまし、侮辱し、凌辱しあうのかね?」
さて、皆さんはこの問いにどう答えるだろうか?
主人公も明確に答えられない。
すると超越した存在はその答えを言う。
「それは──人類が、愚劣だからだよ。
彼らの理性的能力には〝種〟としての限界があるんだよ。
彼らはもう生物として、これ以上、高貴なすぐれたものに、なり得ないのだ。
だからこそ、彼らは五千年──いや、何万年にわたって、同じ愚劣さ、同じ蒙昧をくりかえしているのだ」
〝種〟としての限界。
過去、人類は「道徳」「倫理」「宗教」「法律」「イデオロギー」「ヒューマニズム」といった方法で、「高貴なすぐれたもの」になろうとしたが、結局は「同じ愚劣さ」を繰り返している。
もはや理性による解決は限界に来ているのだ。
超越した存在はさらに語る。
「彼ら自身の〝種〟として変化しないかぎり、彼らは決して、この愚行の悪循環から抜けだし得ないし、〝悪〟も決して撲滅することはできないのだ。
──猿にいくら知恵をしこんでも、猿自身には、その知的能力に生物としての限界があるように、
現代人類(ホモ・サピエンス)は、今や一つの生物学的限界に達してしまっているのだ。
──私のいうことがわかるかね? 人類は宇宙的種族になるためには、どうにもならない限界をもった生物なんだよ」
この人間観は、アーサー・C・クラークなどのSF小説でも語られている。
『機動戦士ガンダム』のニュータイプもおそらくこの人間観からつくられている。
そして現在、すべてに行き詰まっている現実を見て、僕はこの人間観にすごくリアリティを感じる。
超越した存在は「人類を滅ぼす理由」をこう語る。
「未開種族は危険な存在だからだ。
科学技術は、自動的に発展していく。
しかし、理性の限界はその種に固有なものだ。
──彼らに、技術を理性的に支配する能力がないとしたら、あらゆる手段をつくして、進出をはばまなくてはならない」
理性では支配できない科学技術。
具体的に言えば、「原子爆弾」がそうだ。
理性で「核ミサイル」のボタンを押してはいけないとわかっていても、
人類はそれを作り続けているし、
やけっぱちになって押すバカが現れるかもしれないし、
テロの道具として売り買いされるかもしれないし、
最近では「戦術核」なるものも登場して、「部分的な核使用ならいいんじゃんねえ」と考えるやつが出て来てるし……。
小松左京の書いたことは、このようにリアリティをもって2021年に突きつけられている。
新型コロナウイルスも「人類粛清」のための宇宙意思なのかもしれない。
エスパイ=エスパーのスパイ。
東西冷戦時代、
アメリカとソ連の平和条約が交わされようとしている時、
ソ連首相の暗殺計画が実行されてようとしていることがわかり、
エスパイたちはそれの阻止のために戦う。
『007』のような娯楽小説ですね。
舞台もアメリカ、スペイン、イースタンブール、南アフリカと全世界で展開され、
最終的には何と宇宙に行く!
おおっ、何というスケールの大きさ!
日本にもこういうスケールの作品が登場したか!
美女とのエッチシーンもある!
………………………………………
だが、後半はなかなかハードだ。
人間の営みをずっと見つめて来た存在(=神)と主人公が会話をするのだ。
超越した存在は主人公に尋ねる。
「ねえ、人間がなぜ〝悪〟からまぬがれないと思う?
なぜ、人間が、人間同士争い、殺しあい、虐殺行為をくわえあい、牙をむき出して奪いあい、だまし、侮辱し、凌辱しあうのかね?」
さて、皆さんはこの問いにどう答えるだろうか?
主人公も明確に答えられない。
すると超越した存在はその答えを言う。
「それは──人類が、愚劣だからだよ。
彼らの理性的能力には〝種〟としての限界があるんだよ。
彼らはもう生物として、これ以上、高貴なすぐれたものに、なり得ないのだ。
だからこそ、彼らは五千年──いや、何万年にわたって、同じ愚劣さ、同じ蒙昧をくりかえしているのだ」
〝種〟としての限界。
過去、人類は「道徳」「倫理」「宗教」「法律」「イデオロギー」「ヒューマニズム」といった方法で、「高貴なすぐれたもの」になろうとしたが、結局は「同じ愚劣さ」を繰り返している。
もはや理性による解決は限界に来ているのだ。
超越した存在はさらに語る。
「彼ら自身の〝種〟として変化しないかぎり、彼らは決して、この愚行の悪循環から抜けだし得ないし、〝悪〟も決して撲滅することはできないのだ。
──猿にいくら知恵をしこんでも、猿自身には、その知的能力に生物としての限界があるように、
現代人類(ホモ・サピエンス)は、今や一つの生物学的限界に達してしまっているのだ。
──私のいうことがわかるかね? 人類は宇宙的種族になるためには、どうにもならない限界をもった生物なんだよ」
この人間観は、アーサー・C・クラークなどのSF小説でも語られている。
『機動戦士ガンダム』のニュータイプもおそらくこの人間観からつくられている。
そして現在、すべてに行き詰まっている現実を見て、僕はこの人間観にすごくリアリティを感じる。
超越した存在は「人類を滅ぼす理由」をこう語る。
「未開種族は危険な存在だからだ。
科学技術は、自動的に発展していく。
しかし、理性の限界はその種に固有なものだ。
──彼らに、技術を理性的に支配する能力がないとしたら、あらゆる手段をつくして、進出をはばまなくてはならない」
理性では支配できない科学技術。
具体的に言えば、「原子爆弾」がそうだ。
理性で「核ミサイル」のボタンを押してはいけないとわかっていても、
人類はそれを作り続けているし、
やけっぱちになって押すバカが現れるかもしれないし、
テロの道具として売り買いされるかもしれないし、
最近では「戦術核」なるものも登場して、「部分的な核使用ならいいんじゃんねえ」と考えるやつが出て来てるし……。
小松左京の書いたことは、このようにリアリティをもって2021年に突きつけられている。
新型コロナウイルスも「人類粛清」のための宇宙意思なのかもしれない。
私ごとで恐縮ですが、飲み屋に行くとホステスからいつも言われる。
”触ってばかりいないで、少しは飲んだら?”
全くその通り(笑)。これが理性の限界なんですよね(悲)。
いつもありがとうございます。
”触ってばかりいないで、少しは飲んだら?”笑
エロは時として理性を超えるんですよね。
憎しみ、怒りなどの感情も理性よりも強い。
京王線のジョーカー事件や先日の放火事件など、理性で考えれば割の合わない、愚かなことなのですが、憎しみなどの感情に囚われるとやってしまう。
人間はこういう生き物であることを前提に、社会や人間を見るのが正解なんでしょうね。