詩についても少し書いてみようと思う。
今回はこの詩。
『風景 純銀モザイク』 山村暮鳥
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。
………………………………
たのしいっ!
この詩、耳で聴いてもたのしいが、目で見てもたのしい!
詩というのは『視覚』の芸術でもあるんですよね。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
と連続させることによって、目の前に野原いっぱいの菜の花畑が浮かんで来る。
それはまるで絵画のよう。
そんないちめんの菜の花の中、
・かすかなるむぎぶえ(かすかなる麦笛)
・ひばりのおしゃべり(雲雀のおしゃべり)
と、ワンポイントでアクセントが入っているのがお見事!
映像がカットインするみたいに一瞬、変化が起きる。
ラストの『やめるはひるのつき』は『病めるは昼の月』。
『病める』は
今ふうに言うと『落ち込む』、
清少納言ふうに言うと『いとわろし』という感じだろうか?
山村暮鳥さん、『昼の月』に何かトラウマがあるのか?
確かに昼間に見える月は趣がなくて、場違いな感じがする。
今回はこの詩。
『風景 純銀モザイク』 山村暮鳥
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。
………………………………
たのしいっ!
この詩、耳で聴いてもたのしいが、目で見てもたのしい!
詩というのは『視覚』の芸術でもあるんですよね。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
と連続させることによって、目の前に野原いっぱいの菜の花畑が浮かんで来る。
それはまるで絵画のよう。
そんないちめんの菜の花の中、
・かすかなるむぎぶえ(かすかなる麦笛)
・ひばりのおしゃべり(雲雀のおしゃべり)
と、ワンポイントでアクセントが入っているのがお見事!
映像がカットインするみたいに一瞬、変化が起きる。
ラストの『やめるはひるのつき』は『病めるは昼の月』。
『病める』は
今ふうに言うと『落ち込む』、
清少納言ふうに言うと『いとわろし』という感じだろうか?
山村暮鳥さん、『昼の月』に何かトラウマがあるのか?
確かに昼間に見える月は趣がなくて、場違いな感じがする。
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