平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~ 第36回「男の覚悟」

2011年09月19日 | 大河ドラマ・時代劇
 「思えば私は年上のおなごが好きなようじゃ」
 「……」
 「そなたを、という意味じゃ」
 「もう一度言って下さいませ」
 「言えるか」

 秀忠(向井理)と江(上野樹里)のやりとり。
 何と甘く、少女漫画のような。

 人間同士の葛藤が少ないのが、この作品の特徴。
 秀忠遅参に関する家康(北大路欣也)の対応もあっさり。
 家康は物わかりのいい父親でしかない。今までの父と子の葛藤はどこにいったのか?
 遅参した秀忠の苦悩に関してもあっさり。
 「たくさんの兵を死なせて苦しめた。ならばいくさなどまっぴらじゃ!」と秀忠に叫ばせたのはいいが、次のシーンでは三成(萩原聖人)との話になり、江戸に帰ってからは、なつの子供の話になっている。
 秀忠が本当に苦しんでいるのならば、もっと深く描き込むべきなのでは?と思ってしまう。
 なつとのことでも江は「私は心が狭いのだろうか」と寝込むほど悩んでいたのに、最後のシーンでは「わびるのはこちらの方じゃ」となつを許している。ここへ至る江の葛藤がまったく描かれていない。

 あっさり薄味のこの作品。

 三成も、家康への<憎しみ>とか、自分の人望のなさへの<無力感><孤独>とか、淀や豊臣家への<愛>とかが渦巻いて、描き込めば相当深く面白くなるはずなのだが、うわべだけ。
 うわべの気持ちをせりふだけで描いたダイジェスト。

 「江」はあっさり薄味、おまけにコクもない。
 それに歯ごたえもない。
 おそらく作家のエネルギーが枯渇してしまったのであろう。
 たまには脂ぎった肉を食べたい。



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2 コメント

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夫婦愛その2 (TEPO)
2011-09-19 12:00:57
>何と甘く、少女漫画のような。

私は愛情ドラマが好きなので、この「甘い」夫婦愛の場面、結構楽しみました。
一般に男女の愛には互いに相手の内に「可愛さ」-自分が庇ってあげなければ、と思わせる弱さ-を見出すことが必要だと思います。
以前書いたように、前々回江は秀忠の中に「可愛さ」を見出せたのだと思いますが、今回は秀忠の方が江に「可愛さ」を見出し、優しさを発揮した番だったように思います。
鍵となるのは「強そうに見えて、感じやすく、脆いところがある子です」という淀殿の言葉。
そして実際に今回、侍女のなつに男の子が産まれたことで妻として自信喪失に陥る。
(ちなみに江がなつを許せたのは秀忠の揺るぎない愛情に自信を回復できたからでしょう)。
今回表に出てきた江のそうした「感じやすく、脆い」面に、私はむしろキャラとして魅力がでてきたように感じています。
だから最近は、別に「英雄女傑の」話でなくてもいいのかも、と思い始めているわけです。

ただし
>うわべの気持ちをせりふだけで描いたダイジェスト。

これまでの江の言動の中に、淀殿の台詞にあった「感じやすさ、脆さ」の描写、そして江のそうした面について秀忠自身が薄々気付いていたことを示唆する伏線が欲しかったところ。
そうでないと、秀忠の江に対する優しさの発動を示す「江はそういうおなごではないのだ」という台詞が淀殿の入れ知恵によるもののように見えてしまいます。
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夫婦の描き方 (コウジ)
2011-09-20 10:19:22
TEPOさん

いつもありがとうございます。
そう言えば、淀が言ってしましたね、「強そうに見えて、感じやすく、脆いところがある子です」と。
僕も
>これまでの江の言動の中に、淀殿の台詞にあった「感じやすさ、脆さ」の描写
があれば受け入れられたのですが、それが今までになかったので、<脆い江>は唐突で、受け入れがたいものでした。

夫婦の描かれ方としては、トラックバックいただいた<徒然“腐”日記>さんで書かれていることが「なるほど」と思いました。

・なつの妊娠を大きな心で受け止める江。徳川の正妻として気丈に振る舞う→その江の気丈な姿を見て、秀忠はなつと子を江戸城の外に出す。

この方が、江が主人公であるような気がします。
寝込むのはどうもおかしい感じが……。
やはり今回、脚本の田渕さんは、江を捉えきれていない感じですね。
視聴者の方がよくわかっている。
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