和田義盛(横田栄司)と巴御前(秋元才加)。
「俺は生きて帰る。その時にお前がいないと困っちまうよ」
「我こそが忠臣和田義盛の妻巴なるぞ!」
強い絆で結ばれた夫婦である。
実朝(柿澤勇人)と義盛。
「勝敗は決したこれ以上の争いは無用である!
義盛、お前に罪はない! これからも力を貸してくれ! 私にはお前が要るのだ!」
「これ程までに鎌倉殿と心を通じ合えた者がいるか?
我こそが鎌倉随一の忠臣じゃ! 皆、胸を張れ!」
強い絆で結ばれた主君と家臣である。
…………………………………
一方、義時(小栗旬)。
実朝を脅迫。
「大いくさになってもよろしいのですか? 鎌倉が火の海になります。
それを止められるのは鎌倉殿、あなただけなのです」
政子(小池栄子)からは責められる。
「和田を追い詰めたのはあなたなのですよ」
泰時(坂口健太郎)は酔っ払って、このいくさに否定的だ。
「わたしは戦うつもりはない。なぜ御家人同士で戦わねばならないのだ?」
そして、今の立場から降りたい様子だ。
泰時は聡明でやさしい。
だから、この戦いの理不尽がわかるし、耐えられない。
義盛は死に際して「小四郎~っ!!」
シンプルだが、激しい怨嗟の言葉である。
呪詛の言葉と言ってもいいかもしれない。
こういう憎悪の言葉をぶつけられたら、ぶつけられた者の心は持たない。
心が蝕まれていく。
スペシャル番組で三谷幸喜さんが語っていたが、
こうなってしまうと義時は安寧な死に方はできないと思う。
………………………………
では義時は完全に闇落ちしてしまったのか?
毎回この問いを発しているが、やはりそうではないようだ。
和田義盛の死に際しての涙。
周囲の者に涙を見せないように背を向けて歩いていく。
この時には昔の小四郎に戻ったのだろう。
ただ義時の政治手法は「強権政治」だ。
「人を束ねるのに一番大切なのは力でございます」
「人は力を怖れる」
「敵対する勢力、将来敵対しそうな勢力は潰していく」
「信賞必罰」「私情の入らぬ厳格な裁き」
これが世の中の安寧のために必要だと考えている。
一方、実朝は今回の件で覚醒した。
「わたしは安寧の世をつくる。わたしの手で新しい鎌倉をつくる」
義時の「強権政治」の完全否定である。
力ではなく慈愛によって治める「仁政」である。
いくさで消耗するのではなく、皆で経済的に豊かになっていく道である。
こんな実朝を義時は「父(頼朝)や兄(頼家)を越えようとしている」と評したが、
「仁政」がベストであることをわかっているのだろう。
ただ権力基盤が弱い段階での仁政は脆弱だ。
人の好いことをやっていたら、たちまち滅ぼされる。
だから義時は鎌倉の権力基盤を強くしようとしている。
それに行き過ぎた強権政治には必ず反動が来る。
今回、義実朝や泰時は強権政治とは違う道があることに気づいたが、
義時は彼らを目覚めさせるために、敢えて悪役を引き受けているのかもしれない。
もっとも実朝の「仁政」は「西の方(後鳥羽上皇)に相談する」という危ういものではあるが。
※追記
ところで大江広元(栗原英雄)強すぎ!
「俺は生きて帰る。その時にお前がいないと困っちまうよ」
「我こそが忠臣和田義盛の妻巴なるぞ!」
強い絆で結ばれた夫婦である。
実朝(柿澤勇人)と義盛。
「勝敗は決したこれ以上の争いは無用である!
義盛、お前に罪はない! これからも力を貸してくれ! 私にはお前が要るのだ!」
「これ程までに鎌倉殿と心を通じ合えた者がいるか?
我こそが鎌倉随一の忠臣じゃ! 皆、胸を張れ!」
強い絆で結ばれた主君と家臣である。
…………………………………
一方、義時(小栗旬)。
実朝を脅迫。
「大いくさになってもよろしいのですか? 鎌倉が火の海になります。
それを止められるのは鎌倉殿、あなただけなのです」
政子(小池栄子)からは責められる。
「和田を追い詰めたのはあなたなのですよ」
泰時(坂口健太郎)は酔っ払って、このいくさに否定的だ。
「わたしは戦うつもりはない。なぜ御家人同士で戦わねばならないのだ?」
そして、今の立場から降りたい様子だ。
泰時は聡明でやさしい。
だから、この戦いの理不尽がわかるし、耐えられない。
義盛は死に際して「小四郎~っ!!」
シンプルだが、激しい怨嗟の言葉である。
呪詛の言葉と言ってもいいかもしれない。
こういう憎悪の言葉をぶつけられたら、ぶつけられた者の心は持たない。
心が蝕まれていく。
スペシャル番組で三谷幸喜さんが語っていたが、
こうなってしまうと義時は安寧な死に方はできないと思う。
………………………………
では義時は完全に闇落ちしてしまったのか?
毎回この問いを発しているが、やはりそうではないようだ。
和田義盛の死に際しての涙。
周囲の者に涙を見せないように背を向けて歩いていく。
この時には昔の小四郎に戻ったのだろう。
ただ義時の政治手法は「強権政治」だ。
「人を束ねるのに一番大切なのは力でございます」
「人は力を怖れる」
「敵対する勢力、将来敵対しそうな勢力は潰していく」
「信賞必罰」「私情の入らぬ厳格な裁き」
これが世の中の安寧のために必要だと考えている。
一方、実朝は今回の件で覚醒した。
「わたしは安寧の世をつくる。わたしの手で新しい鎌倉をつくる」
義時の「強権政治」の完全否定である。
力ではなく慈愛によって治める「仁政」である。
いくさで消耗するのではなく、皆で経済的に豊かになっていく道である。
こんな実朝を義時は「父(頼朝)や兄(頼家)を越えようとしている」と評したが、
「仁政」がベストであることをわかっているのだろう。
ただ権力基盤が弱い段階での仁政は脆弱だ。
人の好いことをやっていたら、たちまち滅ぼされる。
だから義時は鎌倉の権力基盤を強くしようとしている。
それに行き過ぎた強権政治には必ず反動が来る。
今回、義実朝や泰時は強権政治とは違う道があることに気づいたが、
義時は彼らを目覚めさせるために、敢えて悪役を引き受けているのかもしれない。
もっとも実朝の「仁政」は「西の方(後鳥羽上皇)に相談する」という危ういものではあるが。
※追記
ところで大江広元(栗原英雄)強すぎ!
>「お前たちの理屈もわかるからしょうがねぇな。お前たちにはお前たちの立場もあるし、考え方もあるからな。だったら戦で決着つけて、俺が死ねば済むのか」と考えた
とのこと。
このあたり、上総広常が死に際に義時を見ながら「微かな笑み」を浮かべた場面に通じるものがあるように思います。
実際、キャラとしての義時は、鎌倉殿を「ブエイ」(すぐに「ウリン」に修正されますが)と呼んだり、「上総介」の官位を欲しがるなど、明らかに自分を広常と重ね合わせようとしているように見えました。
無論、義盛自身は広常の不吉な運命まで真似ようとは思わなかったでしょうが、結果はそうなってしまいました。
少なくとも、作者三谷氏の作劇構想の中では、今回の「義盛の最期」は「広常の最期の再現」として意図されていただろうと思います。
>周囲の者に涙を見せないように背を向けて歩いていく。
今回の義時は、広常の時の頼朝と義時自身との「二役」を独演していたのではないかと思います。
>義時は彼らを目覚めさせるために、敢えて悪役を引き受けているのかもしれない。
どうも義時は「進撃の巨人」(コウジさんは原作読了されているのでネタバレは大丈夫)のエレンに似てきていますね。
「義時の最期」の仕掛けが気になります。
> ところで大江広元強すぎ!
本来「文官」である彼が、公家風の平服姿で鎧武者を次々と倒す姿はトウ顔負けでした。(笑)
いつもありがとうございます。
横田さん、インタビューでそんなことを語っているんですね。
義盛らしい心の中。
畠山重忠もそうですが、彼らは深い所では繋がっているんでしょうね。
義盛が上総介と重ね合わせていたという考察、まったく気づきませんでした。
ふり返ってみると、義盛の言動の端々に上総介がいましたよね。
それは義盛が意識していたのか、無意識だったのか?
梶原景時が義経に憧れていたのと同じなのかもしれません。
義時はエレン!
これまた深い考察です。
でも、こう考えるとスッキリしますね。
本当に最終回が楽しみになって来ました。
通常の大河ドラマだと主人公が亡くなるだけの最終回ですか、今回は謎の解決、伏線の回収がなされるんでしょうね。
大江さんは……。
ネットでは政子に手を握られたからパワーアップしたという説が流れていましたが、果たして?
大江さんは元々強かったのか?
これまた謎ですね。