過去記事をアレンジしてもう一度。
ボクシングのモハメド・アリはベトナム戦争の時、徴兵を拒否した。
その時の言葉がこれだ。
「俺にはベトコンと戦う理由がない。奴らは俺をニガーとは呼ばなかった」
「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。アラーの教えに背くわけにはいかない」
アリは「国家」ではなく、「個人」「自分のルール」に従った。
周囲の目や空気に流されることもなかった。
結果、アリは王座剥奪、長期間の試合禁止へ。
それでもアリは自分にこだわった。
安倍晋三氏の国葬。
政府は黙祷を要請して来るだろうが、僕はやらない。
ウクライナに侵攻しているロシア兵もなあ。
「俺にはウクライナ人と戦う理由はない」と武器を捨てれば、戦争はすぐに終わるのに……。
アリはこんなことも言っている。
「あなたが、私に対して、なって欲しいという者に私はなる義務がない」
………………………………
無敵のチャンピオン・ジョージ・フォアマンとの死闘を演じた<キンシャサの奇跡>。
この時、アリはすでにピークを過ぎたと言われていた。
試合もロープにもたれながら逃げまわっているだけ。
観客は、そんなだらしないアリにブーイング。
しかし、これがアリの作戦だった。
「ロープ・ア・ドープ」
アリは相手に打たせるだけ打たせて、フォアマンが疲れるのを待っていたのだ。
結果、フォアマンは不用意にアリを追い、左、右のワンツーパンチを喰らってノックダウン!
この経緯は、沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』で描かれているが、沢木さんはこのKOシーンに鳥肌がたったという。
アリは、逃げまわる防戦一方のカッコ悪い自分を見せることを気にしなかった。
ファンのブーイングにもめげず、あくまで自分の作戦を貫き通した。
これも、強烈な「個人」をもっていたアリならではエピソードである。
…………………………
アリは「ビッグマウス」のボクサーであった。
有名なのがこれ。
〝Float like a butterfly, sting like a bee. Your hands can’t hit what your eyes can’t see(蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう)〟
その他にもこんな言葉。
「私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい」
「私は神話を作り、神話の中で生きる」
これらの「ビッグマウス」も強烈な「個人」の表れだろう。
凡人が「神話の中で生きること」など出来ないが、
がんばって国家や周囲に左右されず「個人」を貫いて生きていきたいと思う。
ボクシングのモハメド・アリはベトナム戦争の時、徴兵を拒否した。
その時の言葉がこれだ。
「俺にはベトコンと戦う理由がない。奴らは俺をニガーとは呼ばなかった」
「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。アラーの教えに背くわけにはいかない」
アリは「国家」ではなく、「個人」「自分のルール」に従った。
周囲の目や空気に流されることもなかった。
結果、アリは王座剥奪、長期間の試合禁止へ。
それでもアリは自分にこだわった。
安倍晋三氏の国葬。
政府は黙祷を要請して来るだろうが、僕はやらない。
ウクライナに侵攻しているロシア兵もなあ。
「俺にはウクライナ人と戦う理由はない」と武器を捨てれば、戦争はすぐに終わるのに……。
アリはこんなことも言っている。
「あなたが、私に対して、なって欲しいという者に私はなる義務がない」
………………………………
無敵のチャンピオン・ジョージ・フォアマンとの死闘を演じた<キンシャサの奇跡>。
この時、アリはすでにピークを過ぎたと言われていた。
試合もロープにもたれながら逃げまわっているだけ。
観客は、そんなだらしないアリにブーイング。
しかし、これがアリの作戦だった。
「ロープ・ア・ドープ」
アリは相手に打たせるだけ打たせて、フォアマンが疲れるのを待っていたのだ。
結果、フォアマンは不用意にアリを追い、左、右のワンツーパンチを喰らってノックダウン!
この経緯は、沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』で描かれているが、沢木さんはこのKOシーンに鳥肌がたったという。
アリは、逃げまわる防戦一方のカッコ悪い自分を見せることを気にしなかった。
ファンのブーイングにもめげず、あくまで自分の作戦を貫き通した。
これも、強烈な「個人」をもっていたアリならではエピソードである。
…………………………
アリは「ビッグマウス」のボクサーであった。
有名なのがこれ。
〝Float like a butterfly, sting like a bee. Your hands can’t hit what your eyes can’t see(蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう)〟
その他にもこんな言葉。
「私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい」
「私は神話を作り、神話の中で生きる」
これらの「ビッグマウス」も強烈な「個人」の表れだろう。
凡人が「神話の中で生きること」など出来ないが、
がんばって国家や周囲に左右されず「個人」を貫いて生きていきたいと思う。
アリのセコンドのアンジェロ・ダンディに言わせると
元々リングが小さかったらしく、ロープを幾ら強く締めてもユルユルだったとか・・
試合の途中でダンディが、”打たれるのが嫌ならロープにもたれて休んでろ”と半ばやけくそで叫んだとか・・
策士で知られるダンディも見事ですが、(アリの脚を封じる為に)小さいリングを用意したフォアマン陣営は、策に溺れたって感じですよね。
教えていただき、ありがとうございます。
ロープ・ア・ドープにはそんな裏話があったんですね。
アリのしたたかな作戦では必ずしもなかった。
一方、ファマンの作戦が裏目に出たことで、これもまた皮肉なドラマですね。
むしろ、こちらの方が人生のレアリティを感じます。