9月29日 水曜日 快晴
今日は久しぶりによいお天気でした。
家に居られれば少し部屋の片付けや衣類の整理をしたかったのですが、母の所へ行きました。
母が病院へ行く日なのです。
もっとも母と病院へ行くのは弟の車で二人だけで行くのですから、わたしは本来不用なのです。
ただ母の生活支援は弟には出来ません。わたしの担当はその生活支援です。
ヘルパーさんが来て下さっていますが、母がその方たちにお願いしないことをわたしがしてきます。
台所や部屋の片づけはお願いしていないようです。お掃除だけを頼んでいるようなのです。
食器乾燥機の入れ方なども、全て母の思い通りにして頂けないと不機嫌になってしまう母です。
ヘルパーさんにそれをお願いするのは申し訳ないですし気の毒です。
ゴミの分別からです。汚れが付いているプラは洗って乾燥させ、缶瓶もゆすいだり紙ゴミを区分けします。
以前は分別の必要が有りませんでしたし、数年前までは畑で燃やしてしまっていたようです。
母に説明するのですが、どうしても理解出来ないようです。
母の所で生活支援もかなり大変なのですが、持ち帰ってきました野菜等の整理がまた大仕事です。
今日は母が畑から紫蘇の実をかなりとってきました。
自然に芽が出て成長した青紫蘇がりっぱな実をつけていたのです。
母は自分の畑で取れた物を何一つ捨てたくないのです。今回は紫蘇の実とカボチャでした。
シルバーの方に草刈りをお願いしているのですが、その方たちがカボチャに傷を付けてしまったのです。
カボチャがあるのに電動草刈り器を使ったようで、カボチャに切り傷が入ってしまいました。
弟は「ゴミ」というのですが、母は食べられるところだけでもなんとか使って欲しいと云います。
みんなわたしの家に置いていきました。紫蘇の実もカボチャの整理も後で・・・は許されません。
母は地続きの畑へ弟の車に乗っていきます。歩けないのです。
お隣のかたから、生姜茶ように生姜を沢山戴いてきましたし、落花生も掘って下さいました。
それも洗って切ったり茹でたり、量が多いのでそれなりに大仕事になります。
玄関に泥付きの生姜や落花生が置いてあります。カボチャは明日に持ち越すしかないですね。
フォンテーヌのパンやサンドイッチが残った時、わたしも捨てられませんでした。
捨てられるパンが可愛そうで、それに戦後の物のない時代を経験していますから捨てられません。
母もそんな心境なのだと思います。それに何時も「今年が最後かも知れない」と思ったりします。
いつまでこの状態の生活を続けられるか・・・。
無理をしても疲れた身体にむち打っても頑張ってしまいます。
野菜の処理は時間が勝負ですから、結構大変な仕事になります。母の作品を大切にしたいです。
今日は久しぶりによいお天気でした。
家に居られれば少し部屋の片付けや衣類の整理をしたかったのですが、母の所へ行きました。
母が病院へ行く日なのです。
もっとも母と病院へ行くのは弟の車で二人だけで行くのですから、わたしは本来不用なのです。
ただ母の生活支援は弟には出来ません。わたしの担当はその生活支援です。
ヘルパーさんが来て下さっていますが、母がその方たちにお願いしないことをわたしがしてきます。
台所や部屋の片づけはお願いしていないようです。お掃除だけを頼んでいるようなのです。
食器乾燥機の入れ方なども、全て母の思い通りにして頂けないと不機嫌になってしまう母です。
ヘルパーさんにそれをお願いするのは申し訳ないですし気の毒です。
ゴミの分別からです。汚れが付いているプラは洗って乾燥させ、缶瓶もゆすいだり紙ゴミを区分けします。
以前は分別の必要が有りませんでしたし、数年前までは畑で燃やしてしまっていたようです。
母に説明するのですが、どうしても理解出来ないようです。
母の所で生活支援もかなり大変なのですが、持ち帰ってきました野菜等の整理がまた大仕事です。
今日は母が畑から紫蘇の実をかなりとってきました。
自然に芽が出て成長した青紫蘇がりっぱな実をつけていたのです。
母は自分の畑で取れた物を何一つ捨てたくないのです。今回は紫蘇の実とカボチャでした。
シルバーの方に草刈りをお願いしているのですが、その方たちがカボチャに傷を付けてしまったのです。
カボチャがあるのに電動草刈り器を使ったようで、カボチャに切り傷が入ってしまいました。
弟は「ゴミ」というのですが、母は食べられるところだけでもなんとか使って欲しいと云います。
みんなわたしの家に置いていきました。紫蘇の実もカボチャの整理も後で・・・は許されません。
母は地続きの畑へ弟の車に乗っていきます。歩けないのです。
お隣のかたから、生姜茶ように生姜を沢山戴いてきましたし、落花生も掘って下さいました。
それも洗って切ったり茹でたり、量が多いのでそれなりに大仕事になります。
玄関に泥付きの生姜や落花生が置いてあります。カボチャは明日に持ち越すしかないですね。
フォンテーヌのパンやサンドイッチが残った時、わたしも捨てられませんでした。
捨てられるパンが可愛そうで、それに戦後の物のない時代を経験していますから捨てられません。
母もそんな心境なのだと思います。それに何時も「今年が最後かも知れない」と思ったりします。
いつまでこの状態の生活を続けられるか・・・。
無理をしても疲れた身体にむち打っても頑張ってしまいます。
野菜の処理は時間が勝負ですから、結構大変な仕事になります。母の作品を大切にしたいです。