フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

日常に 楽しみ探し 独りでも

2014-08-28 21:56:25 | 日記
8月28日 木曜日 小雨

一日中、糠雨の様な細かい雨が降っているようだった。
家の中に居ると、、庭の飛び石が濡れて居るので降っているのかも…、と判断していた。

昨日と同じように気温が低く、半袖では寒いくらいの陽気なので五分袖のシャツを着る。
何時ものように台所や部屋を片付けたり、リコーダーを吹いたり気分良く過ごす。
一昨日から読書会のテーマ本、東野圭吾著「プラチナデーター」を読み始めていた。

400ページ強の少し厚めの本だったことと、苦手な作品のようなので早めに読み始め、
一気に読んでしまおうと頑張り、今日の朝方読み終えた。久しぶりに猛スピードで呼んでしまう。
時間的に余裕がある状態で読めば、ざらついたわたしの感情を癒やす術を考えられるけれど、
読書会間近に迫られて読む場合、辛いまま必死に読むしかない。

読み進むのが辛いとき、余裕があれば平行して癒やしの本を読むようにしている。
自分を癒やす何かを持っていると、大抵のことは独りで処理出来そうな気持ちになっている。

もっとも若いとき、逃げ道を見つけられず自律神経失調症になり、鬱症状になった。
自分の感情を自身でコントロールできなくなるので、当然体調不良になり薬を飲み続けた。
あるじの急逝時も、全く本を受け付けず、再発を心配しながら感情との戦いに苦しんでいた。
でも、あるじが勧めてくれたリコーダーで救われた。わたしが出すその音が救ってくれた。

わたしにとって癒やし系の本は、その時々で違い今は古典がその役を担っている。
特に、中野孝次著「すらすら読める方丈記」を初めて読んだ時、開き直れる自分を感じた。
元々、わたしは中野孝次さんの作品のファンだった…。
それまでは、もっと読みやすい本をあれこれ読みあさっていた。

そうして今は、50年以上前に入り口を覗いていただけの梁塵秘抄を読むことで救われている。
読む者の環境で同じ本の味が違ってくる、と言うことを身をもって感じさせられている。
その体験が出来たこと自体も、今は幸せと思って居る。



最中をお椀に入れ、最中の中央を破り熱湯を注ぐと美味しいすまし汁が出来る。
子どもが居れば喜ぶのに…、と思っても喜びそうな小さな孫はもう居ない。
喜んでいるのは一番年上のわたしだけのような気がする。

最中を並べて 
コメント
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