フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

母の喪服を解き、ワンピースに再生しようと行動開始

2021-07-25 21:52:03 | 老人一人暮らし
昨日の午後、食堂のテーブルの上が、型紙でゴチャゴチャ。
型紙と型紙を写す用紙で手が付かない状態でした。

以前は食堂のテーブルを広くして使っていましたが、ほのぼの編集も無く、
孫たちも社会人になったり、新潟大学に行っていますから殆ど来ません。
末の孫息子も、大学3年になり就職活動が始まっているのだとか。

それに洋間を”洋裁の部屋”にしています。
テーブルを2つ使える様にしているのですが、洋間のエアコンは目下休止中。
”休止中”と言うより未使用なので、今更スイッチを入れるのが怖いだけ。

それで食堂のテーブルで型紙写しを。
テーブルの上が、ごちゃごちゃになり計が行かず閉口。
参った参ったでした。
でも、久しぶりの経験でしたので、それはそれで楽しかったです。

お茶タイムもせずに、ひたすら型紙づくりにじゃれて居ました。
休憩タイムもせず水分補給を兼ねて、小豆のキャンデーを食べただけ。
80歳を過ぎてからも、このような時間が持てる事に感謝。

今朝もいつも通り洋裁の師を訪ねただけ。
帰宅して何かをするというより、2階の衣類を片付けたり、
何となくチョロチョロしていただけ。

解いた母の喪服を水に浸け、あまり絞らず竿に掛け縫い治しの準備です。
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ボンヤリ、昔々のことを想い出しながら、”日々楽しく過ごしたい”と願います。  

2021-07-25 14:54:14 | 老人一人暮らし
今日も暑くなりそうな予報を聴きながら、ベッドを離れ真っすぐ浴室へ。
この習慣を初めて何年になるのかしら?とゆっくりぼんやり考えていました。

脱サラした夫が、手作りパンとケーキの店”フォンテーヌ”を始める時、
わたしの体調は最悪で、1か月強、入院し退院した直後の事でした。

虚脱状態になり、階段の上りも下りも厳しくなったわたしに、”1週間でも入院して身体を休めましょう”と言われ、急遽入院。
二人の娘は、長女は高校1、次女は中学2年で横浜市の受験制度の”ア・テスト”直前でしたので、
迷いましたが”1週間”と言われたので承諾。

入院し色々検査を始め、1週間たっても退院の言葉は聴けず、
慢性胃炎、慢性肝炎、慢性膀胱炎、慢性咽頭炎等々、覚えきれ無いほどの
病名を告げられ、主治医からは”病気の問屋さん”とオマケの言葉も。

夫は仕事のみ、家事はしません。お掃除などは娘たちにさせていましたが、
食事の支度までは教えていませんでした。
1泊2泊、家を空けることが有っても1か月以上続くと家庭破壊状態に。

偶々主治医が開院なさる為、主治医が変わることが通告されました。
開業される医院まで車を使えば通える範囲でしたので、退院を願いしました。

1週間と言う短い期間のつもりが6週間近くの入院です。
このまま入院していたら、家庭破壊になってしまいそうで心配でした。

新しい主治医からも、段々悪くなってきているみたい…、無責任な言葉も。

ボンヤリ庭を眺めながら、昔々の懐かしい事を想い出していました。
     
         ***  追記  ***

あの時、無理に退院したのですが、その後わたしの人生は一変。
退院したわたしを行きつけのパン屋さんが、お見舞いに来て下さり、
そのパン屋さんがお店を売って閉店すると言われお帰りになりました。

それをわたしから聞いた夫が、なんとその店を買い取り脱サラ。
わたしは経理をするだけで”店は自分がする”と言う事でしたが、
経験も台所仕事もして居ない夫には”手作りパン”は無理でした。

開店と同時にわたしも店に入るしかなかったです。
動ける限りわたしもお店で働きました。足掛け20年頑張りました。

”病人ですよ”と言われ退院したわたしですが、まだ一人で生きています。
81歳、あちこち故障はありますが、自分で動けるのです。

残された時間を感謝しながら、楽しく生きていきたい、それだけです。
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