12月3日。16回目の夫の祥月命日。
今朝、お参りをするとき、16年前の朝を想い出しながら手を合わせました。
これと言う病気が無かった夫の急逝、辛かったです。
ドラマでは大きな声を出すケースが多いけれど、”あり得ない”と実感。
瞬間、固まってしまい動けませんでした。
動けるようになるまで、どの位だったか全く覚えていません。
”毎年、この時期になると、わたしの精神状態が少し平常でなくなる”と、
長女に言われた事があります
結婚した時、わたしは父の会社の経理兼財務をしていましたから、
わたしにも収入が有りましたが、わたしの収入を使わず、自分の収入だけで
生活をして欲しい、と言われたのです。
夫の収入がどの位なのか、生活費にどの位必要なのか、見当もつきませんが、
夫からの言葉に、”はい”と返事をしました。
結果、わたしの収入は家に持ち帰らず、その場で銀行に預けていました。
さらに、夫の母から”ボーナスは貯金すること”と言われていました。
大した金額でなくとも積み重ねは大きく、自然に建築費が出来たのです。
偶然、工事監督で横浜に通うので、自宅の建築を勧められました。
学生の時、”家を建てる時は、言いなさい。設計管理をしてあげる。”と、
恩師の息子さんから言われていました。一級建築士になったばかりでした。
まさかそれが現実になるなど、予想もしていませんでしたが、
何度も声を掛けられ、わたしたちも決心。オイルショックの直前でした。
工事が終わるころ、オイルショックになり、物価が高騰し建材も高騰…。
その頃のことを時々思い出します。
工事の件で訪ねて来られると、夫と二人でボトル1本空にするのが常、
楽しそうに飲んでいました。気が合っていたようです。
引っ越しは12月10日でした。丁度50年前の事です。
多少変えていますが平面図は、ほぼわたしの作図の儘。
わたしは、思い出一杯のこの家で生涯を終えたいと思っています。
一日遅れで、明日二人の娘とお墓参りに行く約束をしています。