日本中の人が、3月11日は、絶対忘れられ無い日だと思いますが
わたしも13年前の今日は、辛い日でした…。
29年前の3月11日に孫娘が生まれましたので、毎年お誕生祝いの日…。
わたしの初孫が授かった日。我が家の、記念日だったのでしたが…。
わたしの初孫が授かった日。我が家の、記念日だったのでしたが…。
子供は余り好きで無いと言っていました夫が、娘が生まれたとたん大変貌。
大の子供好きになリ、可愛くて、可愛くて…。
大の子供好きになリ、可愛くて、可愛くて…。
子供好きになった夫に、初孫誕生…。
生まれたばかりの初孫に、孫の名前を何度も呼びかけ、嬉しそうでした…。
そして、13年前の3月11日、わたしは大森の実家に居ました。
動脈瘤破裂で急逝しました、わたしの母のお通夜でした…。
動脈瘤破裂で急逝しました、わたしの母のお通夜でした…。
母は葬祭社の車が迎えに来ましたので、その車を見送り、
家に入って間もなく、あの大地震に襲われたのです。
和室に置いていました、母の三面鏡が倒れ、鏡が粉々に割れましたし、
洋間の食器棚の扉が、地震で開いてしまい床に落ち、粉々に…。
洋間の食器棚の扉が、地震で開いてしまい床に落ち、粉々に…。
大阪からやってきていました、末の弟の子供と孫たちが怖がり、泣き騒ぎ、
恐怖でジッとしていられず、部屋を走り回っていました…。
ガラスが飛び散っていましたので、怪我をしては大変ですから、動かない様
声をかけても、怖さでジッとしていられなかったようです。
恐怖でジッとしていられず、部屋を走り回っていました…。
ガラスが飛び散っていましたので、怪我をしては大変ですから、動かない様
声をかけても、怖さでジッとしていられなかったようです。
停電はしてませんでしたので、わたしは掃除機を掛け続けていました。
大きなガラスは、拾い集めて空き箱に入れながら、掃除機を掛け続けました。
大きなガラスは、拾い集めて空き箱に入れながら、掃除機を掛け続けました。
少し地震が治まってから、濡れ雑巾でガラスの破片を拾い集めたり…。
母の急逝でバタバタしていましたので、横浜の我が家のお雛様は、そのまま…
きっと、お雛様はひな壇から落ちて、壊れている…と覚悟していましたが、
雛あられの袋が落ちていただけで、お雛様は異常なし…。嬉しかったです。
雛あられの袋が落ちていただけで、お雛様は異常なし…。嬉しかったです。
夫はすでに亡くなり、わたしは一人住まいでしたので、雛壇が壊れていたら、
お雛様の始末は、辛い…と思っていましたので、本当に嬉しかったです。
お雛様の始末は、辛い…と思っていましたので、本当に嬉しかったです。