ユーロ通貨の闇<o:p></o:p>
かつてサザーランド一族の一部は、アイルランドから米国へ移住した米国南部最大の綿花農園の経営者一族であった。映画「風と共に去りぬ」の舞台となった米国南部では、黒人が奴隷として酷使され綿花の大農園が経営されていた。その南部最大の大農園経営一族=奴隷所有者がサザーランド一族であった。米国における黒人虐殺の最大の主役がサザーランド一族であったと言える。
綿花と麻薬アヘンのケシ栽培は、育成条件が極めて近似している。綿花畑はそのまま同時にアヘン畑である。米国南部最大の綿花農園経営者サザーランド一族は、ブッシュ大統領一族と共に米国政府の麻薬専売企業ラッセル社の創立メンバーであった。
サザーランド一族とブッシュ一族は、南北アメリカ大陸で先住民=インディオを虐殺し土地を奪い、その土地を農園とし、そこで黒人を奴隷として酷使する自分達のビジネスへの一般市民からの批判を「かわす」ために、2つの方法を考案した。
1つは麻薬により一般市民の批判意識をモウロウとさせる事。もう1つは有色人種は人間ではなく動物であり、殺害し奴隷とする事は自由であるという宗教、キリスト教原理主義教会を作る事であった。
現在、米国人の4人に1人が熱心な信者であるキリスト教原理主義教会は、麻薬専売企業ラッセル社により創立された。
19世紀、黒人奴隷を使い人件費が無料の安価な綿花を米国から世界中に大量販売したサザーランド一族は、インドの綿花生産を窮地に追い込み壊滅させてしまう。インドを植民地としインドの綿花農園を経営していた英国政府から、サザーランド一族は厳しい苦情を突き付けられる。サザーランドは英国政府にインドの綿花農園をアヘン畑に転換させる計画を提出する。綿花とアヘンの栽培条件は「等しい」。
こうして19世紀世界最大のアヘン生産地帯インドが生み出される。中国と英国の間にアヘン戦争を引き起こしたインド・アヘンはこうして発祥した。
サザーランド一族は、日本の江戸時代、幕末に英国ジャーディン・マセソン社により日本にアヘンを持ち込むが、販売に失敗する。マセソンは日本では鉄砲と火薬の方が売れると判断し、薩摩、長州藩に徳川幕府打倒のための火薬と鉄砲を大量に販売する。鉄砲と火薬の代金は、九州の炭鉱(自民党の麻生太郎・元幹事長の麻生炭鉱等)から産出される良質の石炭と、薩摩、長州藩が「押し立てた」天皇一族が、三井三菱財閥と協力して誘拐した日本の農村、商家の良家の子女の「体で支払われた」。マセソンと天皇一族により誘拐された50万人の日本の良家の子女達は、売春婦としてヨーロッパに「売り飛ばされた」。良家の子女達を売春婦として「運搬」したのは、炭鉱企業の石炭運搬船、つまり三菱財閥の日本郵船と三井財閥の商船三井、麻生炭鉱の自家船舶である。これ等日本を代表する財閥と政治家は、良家の子女を誘拐し売春婦として世界中
に「売り飛ばす」事で巨万の富を築いた。そのボスが天皇一族である。