米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?
2013年8月 6日 『今この時&あの日あの時』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ba5e.html
-現人神と神格化され、国民は直接会う事が出来ずご真影を拝まされていた昭和
天皇の、これが実像だったのか。戦前昭和、先の戦争、戦後日本に幻滅 を覚える-
本日8月6日は「広島原爆の日」です。昭和20年(1945年)のこの日人類
初となる原子爆弾が投下されてから、今年で満68年となります。
今回はこの広島原爆投下に関して、大変語りづらい「昭和史の真実」を見てい
こうと思います。
こと「日本史」に限ってみても、さまざまな新資料の発見などにより近年各時代
に新たな光が当てられ、従前の定説を覆す学説や見方が現われてきて います。
その一つが上古に起きた有名な大化の改新です。従前はこれによって我が国
は、より文明的な律令国家へと向かうことになったなど肯定的な捉え方が主 流
でした が、それとは異なる負の側面が最近クローズアップされてきているので
す(これについてはいずれ記事にするつもりなので、今回種明かしはしませ ん)。
また一昨年の『真実の近現代概略史(4)』で既に見たとおり、坂本龍馬をはじ
めとする薩長土肥の下級武士たちが原動力と教えられた明治維新は、 実はユダ
金ロスチャイルド(&フリーメイソン)が裏で糸を引いていたのでした。
その構図は日清戦争、日露戦争、日米戦争まで変わることなく続いたのでした
(ただし日米戦争頃から米国ロックフェラーが新たに加わった)。
お断りしておきますが、私が今回のようなことを述べるのは、虚飾に覆われた偽
りの歴史ではなく、あくまで「真実の歴史」を知りたいからなのです。
タイトルとした『米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?』
は、実は2011年8月『昭和天皇の戦争責任(1)』記事の中で既に述べられ
ていたことです。「述べられていた」と他人事なのは、この記事は私自身 が書
いたものではなく、あるサイト記事の転載であるからです。
この記事には「昭和天皇の戦争責任は明白だ」としか思えないエピソードがふん
だんに盛られていますが、今回はそのうち「広島原爆投下」に特化し て見てい
こうということです。
その前に、昭和天皇は先の戦争に本当に関与していたのかどうかだけは簡単に見
ておかなければなりません。
これについては、極東軍事裁判における、日米開戦時の首相だった東條英機の
「我々は、陛下のご意志に逆らうことは有り得ないのであります。」と いう証
言がすべてを物語っています。
なおこの証言を知った昭和天皇は、超A級の戦争犯罪人として処刑されるので
はないか、と焦ったそうです。それから天皇は、キーナン主席検事に上 流階級
の女性を提供するなどの裏工作を必死で行ったというのです。
終戦までの昭和天皇は宮中の書斎にナポレオン像を置いていたほどの大のナポレ
オン狂で、太平洋戦争はナポレオンの戦略・戦術をなぞったものだっ た、とい
う指摘もあります。
緒戦となる真珠湾攻撃「成功」の報に接した時は、欣喜雀躍したそうです。
戦時中の天皇は十分聡明で、一つ一つの作戦に御前会議などで直接指令を発し
ていた、というのです。
このような「戦争好きの馬鹿ロマンチスト」(戦後のある華族の昭和天皇評)と
いう戦時中の天皇の実像の延長線上に、今回問題となる「原爆投下地 広島」決
定問題があるのです。
広島に原爆が投下された8月6日の2ヶ月前となる6月、この時点で昭和天皇は
原爆投下の情報を当時の実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官か らの指令
で受け取っていたのです。
もちろんスティムソン陸軍長官から直々にということではありません。同長官
はまずグルー駐日大使に伝えました。それから日本側の「ヨハンセング ルー
プ」に伝えられ、それを経由して宮中の天皇に届いたのです。
ヨハンセングループとは何でしょう?これは当時の日本最大の米国スパイグルー
プを意味しています。驚くべきことに「鬼畜米英」が叫ばれていた戦 時中に、
米国のスパイたちが暗躍していたのです。
ヨハンセンとはある特定の個人を指す米国のスパイコードネームです。誰かと
いえば当時外交官だった吉田茂です。戦後名宰相とうたわれ最長政権を 築いた
吉田の戦前・戦時中の姿はスパイだったのです。
中心人物の吉田茂のほかに、牧野伸顕、樺山愛輔、岡田啓介、米内光政ら外交官
や海軍首脳がいました。当然のことながら彼らは戦後A級戦犯指定を 免れてい
ます。
余談ながらー。ヨハンセン吉田の孫が、今「ナチス容認」発言で国際的物議をか
もしている麻生太郎副総理です。なお戦後A級戦犯指定を解かれ、首相 となり
60年日米安保条約を締結した岸信介は、戦後米国CIAのスパイでした。その
“偉大な祖父”を尊敬しているのが安倍晋三首相なのです。
今この国を牛耳る極右政治家二人の祖父が、共に米国の売国スパイだった。何
ともグロテスクな構図ではありませんか。
終戦直後の昭和天皇とマッカーサーとの会見は単なるセレモニーで、実は終戦の
前に連合国側は天皇家の存続と昭和天皇の生命、財産の保全を決めて いたので
す。天皇制をうまく利用する方が日本統治上好都合と判断したからです。
それを事前に知らされていた昭和天皇は、だからこそポツダム宣言も安心して
受諾したのです。
それはともかく。米国側からヨハンセングループを通して原爆投下地を決定する
よう要請された昭和天皇は、「広島」と返答しました。
なぜ広島だったのか?それには理由があったのです。
その時点で終戦決定していた天皇にとって、一番の障害となることが予想された
のが陸軍の存在です。終戦と聞いてクーデターを起こしかねなかった からです。
ついでに言えば昭和天皇は大の陸軍嫌い、裏を返せば「大の海軍びいき」でし
た。緒戦の真珠湾攻撃からミッドウェーなど各海戦がまず行われたよう に、日
米戦争は海軍主導の戦争だったのです。
しかし海軍の責任を追及することは天皇の戦争責任に直結するため、戦後その
事実は隠蔽され、陸軍にすべての責任を押しつける「陸軍悪玉説」「海 軍善玉
説」が広く流布することになったのです。
さて広島には陸軍の半分を指揮する第二総軍司令部がありました。ここが壊滅す
ればクーデターが防止できる。そう読みきった天皇は、「広島」と米 国側に伝
えたのです。
マンハッタン計画により史上初の原子爆弾を完成させることに成功した米国は、
第2次世界大戦のどこかでその威力を確かめたくてうずうずしていまし た。し
か し同じ白人種であるドイツ国民に対して使用するつもりはまったくなく、当
初からターゲットは黄色人種の日本国民だったのです。
歴史の皮肉として昭和天皇が介在し、人類初の原爆が「広島」に投下されまし
た。しかし広島ならずとも、日本の主要都市のどこかに原爆が落とされ るのは
確定的だったと言えます。
だから以上述べたことが史実だったとしても、今さらあの世の昭和天皇を責めて
も詮無いところがあります。しかしこれ一つ取っても、「昭和天皇の 戦争責
任」は大有り、言い逃れ出来ないはずです。
それにしても米国の手口は巧妙かつ狡猾です。日本の天皇を人類初の原爆投下の
共犯者にしてしまったのですから。以来68年経っても米国政府が日 本国民に
謝罪しないのは、それが大きな理由なのかもしれません。
(大場光太郎・記)