約1000人が参列し、祭壇はバラやスイートピーなど9500本の花で飾られた。沙知代夫人が好きだったあじさいは、オランダから空輸された。とても、85歳の老婆とは思えない、盛大なお別れの会です。お金を貯め込んでもあの世には持ち込めない。人間、生きている間の交友関係が重要です。野村克也氏の人脈が多くを占めているようですが、それでも流石です。ご冥福をお祈りいたします。
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楽天など4球団の監督を務めた野村克也氏(82)の妻で、昨年12月に虚血性心不全のため85歳で死去した沙知代さんの「お別れの会」が25日、都内のホテルで約1000人を集めて行われた。南海(現ソフトバンク)、ヤクルト、阪神、楽天を率いた野村氏を支え続けた「猛妻」。野村氏は感謝の気持ちを涙で伝えた。
お別れの会では気丈に振る舞った野村氏だが、会が閉じ、報道陣の前で思い出を話し始めると大粒の涙がこぼれ落ちた。
「私が窮地に立ったときも常に前向きで“大丈夫よ”の一言で救ってくれた。一言、ありがとうと言いたい。いい奥さんでした」
南海の選手兼監督だった77年、当時は結婚前だった沙知代夫人が現場介入していると批判された。「女を取るか、野球を取るか」と迫られた野村氏は沙知代夫人を選んだ。
「女房の“関西って大嫌い!”の一言で東京に出てきた。災い転じて、というか。いい野球人生を送らせてもらった」
その後、選手としてロッテ、西武でプレー。監督として4球団を率い、ヤクルトでは3度日本一に輝いた。そのかじ取りをしたのが沙知代夫人だった。2人の息子である克則氏(ヤクルト2軍バッテリーコーチ)は「母がプラス思考、父がマイナス思考でバランスの取れた、いい夫婦だった」と振り返った。
約1000人が参列し、祭壇はバラやスイートピーなど9500本の花で飾られた。沙知代夫人が好きだったあじさいは、オランダから空輸された。自らを「月見草」に例えた野村氏とは対照的な華やかさだった。
「まさか私より先に逝くとは夢にも思わなかった。(自宅で倒れた際の)最後の言葉も“大丈夫よ”だった。弱気は100%見せなかった。俺が死んだらこんなに集まるかな」
お得意のボヤキもこの日ばかりは周囲の涙を誘った。克則氏は「まだ野球界に必要な存在」と励ましたが、野村氏は「どうでしょう。私の時代も終わりましたでしょう」と憔悴(しょうすい)の様子。もうすぐ球春到来。野球が野村氏の悲しみを癒やしてくれればいい。
◆主な参列者 王貞治(ソフトバンク球団会長)、衣笠剛(ヤクルト球団社長)、萩本欽一(タレント)、中村玉緒(女優)、和田アキ子(歌手)、周防正行(映画監督)、小川淳司(ヤクルト監督)、宮本慎也(同ヘッドコーチ)、高津臣吾(同2軍監督)、真中満(同前監督)、伊藤智仁(同前投手コーチ)、古田敦也(同元監督)、梨田昌孝(楽天監督)、池山隆寛(同2軍監督)、嶋基宏(楽天)、渡辺直人(同)、辻発彦(西武監督)、橋上秀樹(同作戦コーチ)、山田勝彦(阪神バッテリーコーチ)、吉井理人(日本ハム投手コーチ)、山本浩二(広島元監督)、角盈男(元巨人) =敬称略