。今日天長3年3月10日は大師が桓武天皇の御忌に願文「桓武天皇の奉為に太上御書の金字の法華を講ずる達親」を撰せられた日です。大師五十三歳の御時です。当時は天皇陛下も先祖供養に写経をされていたことが分かります。「桓武天皇の奉為に太上御書の金字の法華を講ずる達親」沙門空海聞く、栗駄の蓮理(かりだ心)は湿凝(因果)を筌魚(経典)に貸り、大我の広神(佛の広大な知恵)は虚金を指兔に仮る(明智によって妄念を止 . . . 本文を読む
今日は大師が東寺に於いて守護国界主経を講ずる事を請われた日です。「高野大師御広伝」にあります。これによると守護国界陀羅尼主経は大師も鎮護国家の為の大経であるとされています。「天長二年三月十日 上奏して云はく東寺にて毎年安居に守護国界主経を講ずる事を請う右沙門空海奏す。空海聞く、法は惟だ甘露、嘗める者は痾を除く。道は惟だ無言、人能く宣暢す。伏しておもう、皇帝陛下、徳は乾坤に斉しく明は日月を超える。法 . . . 本文を読む
今日弘仁十年三月十日は大師が下野の太守に礼状を送られた日です。「下野の太守紀百継宛貧道去んじ弘仁九の冬月をもって閑寂に紀州の南岳に就く。十年春、葛生(大師の使者、葛木魚主かとされる)に附して恵まるるところの銀鈎(ぎんこう、銀の飾り)幷に土物、高雄寺より転送し来たれり。書を開いて指南を承る。物を覩てその人を想う。すなわち還答し奉らんと欲するに葛生鎮西に下って今に未だ帰らず。この事をもって久しく闕如す . . . 本文を読む
今日は道昭遷化の日
(道昭。文武天皇四年700三月十日入滅、七十二歳。河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の僧。白雉4年(653年)、遣唐使の一員として定恵らとともに入唐し、玄奘三蔵に師事して法相教学を学ぶ。玄奘は道昭を自分が西域への道中で飢えたときに梨の実をくれた僧であるとして同室で暮らしながら指導をした。帰朝の際、玄奘から舎利と経論と霊験あらたかな鍋を与えられたが海 . . . 本文を読む
今日3月10日は東京大空襲の日でありますが同時にチベット民族蜂起記念日でもあります。1959年3月10日にチベット民族がチベットの首都ラサにおいて中国共産党の抑圧に対する平和蜂起を行なった事件に対する記念日です。チベット蜂起記念日ともいわれるようです。今日は世界各地の亡命チベット人のコミュニティーや北米・ヨーロッパ等各国で記念行事が行われているはずです。私も貧女の一燈ですこしずつチベット支援の献金 . . . 本文を読む
今日は天台宗僧侶で歌人の藤原高光逝去の日です。藤原高光は正暦五年994三月十日、54歳で逝去。日本の平安時代中期の公家。歌人。藤原北家で右大臣の藤原師輔の八男。官位は従五位上の右近衛少将。法名は如覚。多武峰少将入道と号す。三十六歌仙の1人。捨遺抄に「比叡山にすみはべりけるころ人のはきものをこひてはべりければ侍りけるままにすこしを梅のはなの散のこりたるにつけてつかはすとて。如覚法師。「春たちて散はて . . . 本文を読む
当時の幕府は今と違いちゃんと外敵への備えをしていました。建治二年1276、三月十日は幕府が九州の御家人に筑前海岸石畳構築を命令した日です。[肥前深江文書]「 少貮経資石築地役催促状」 「異国警固の間、要害石築地の事、高麗発向の輩の外、奉行国中に課し、平均に沙汰を 致し候所なり。今月二十日以前に人夫を相具し、博多津に相向かい、役所を請け取り、 沙汰を致さるべく候、恐々謹言。 建治二年三月十日 少 . . . 本文を読む
大般若会の濫觴密教大辞典には「大般若会」として「・・・(大般若経)は玄奘三蔵が訳出せし経典にして、翻訳の功畢るや玄宗皇帝深く歓喜し、齋会を設けて此の経を講讃す。これ大般若会の濫觴なり。我が国にありても往古より此の経の書写印行盛んにして文武帝の大寶三年始めて本経を講讃し、(続日本紀‐大寶三年(703)三月辛未(十日)「四大寺に詔して大般若経を読ましむ。度すること 一 百 人 。」)元明天皇和銅元年十 . . . 本文を読む
「神祇秘抄」・・10/22
十、神の天上天下の事。
問、天開闢の次第、其の義如何。
答、凡そ、無始より以来天は地と為り、地は天と為る。之を不二と云ふ。此の一段、神道の秘説、密教の大事也。地の方形の上に水の一輪を置く、之を両部と定む。次に地の方形を二に分かつ。三角なり。一は體、一は用なり。其の用を以て水輪上に置く。是火輪也。意にいわく、地の気は天に昇りて火と為る故に。又水の円形は二に分かつ。半 . . . 本文を読む