建治二年(1276)、三月五日は性助法親王が蒙古調伏のため孔雀経法を仁和寺大聖院に修した日です。(性助法親王は後嵯峨天皇の第6皇子。母は三条公房の娘。建長3年1251親王。正嘉元年仁和寺法助について出家,翌年六勝寺検校・総法務となる。和歌にすぐれ,「続古今和歌集」などに収録されている。) . . . 本文を読む
今日は紫宸殿に於いて六十僧で大般若経を転読等した日です。三代実録に「貞觀八年(八六六)三月五日辛巳○五日辛巳。延六十僧於紫震殿。限以三日。轉讀大般若經。於近京廿六ケ寺及大和國香山。長谷。壼坂等寺。三ケ日間。轉讀金剛般若經」 . . . 本文を読む
きょうは盲目の首藤清吾氏が若草神社で開眼した日
宮城県登米市若草神社にある「首藤先生開明由来」
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亀山法皇南禅寺起願文
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今日は後嵯峨上皇が石清水八幡宮に仁王經法を修して、異國降伏を祈られた日
八幡愚童記・文永五年1268三月五日の条「後嵯峨法皇(注1)の御賀をおこなはるべしとて天下の営他事なかりしも閣れ異国降伏の御祈祷諸寺諸社に始めらる。當宮には三月五日より浄行の社僧四十五人を以て毎日仁王講を行はる。同月十三日十四日には八幡の善法寺(注2)の長老實相上人(注3)、法園寺長老中道上人(注3)、先とし . . . 本文を読む
天長二年三月五日は東寺にて真雅僧正に大師が「天長の大事」(金剛・胎蔵の両部阿闍梨位印信を授与された日です(三宝院文書)両部阿闍梨位印信について「「御入定大事」の研究・森田龍僊」では、「両部大阿闍梨位印、又は天長印信ともいひ、『天 長 二年 乙巳三月五日、於東寺眞雅大法師傳之』 と の奥書ある大師親筆の印信なりとして、諸流には大抵これを傳ふる。 就中、地藏院覚雄方や安流なぞは特に秘重 するものである . . . 本文を読む
「神祇秘抄」・・5/22
五、地神第一尊(天照大神)は欲界天主の元初の事
問、地神第一尊(天照大神)は欲界天主の元初とは、其の義如何。
答、伊弉諾伊弉冉二人の尊は始夫婦の契りを為し四人の御子を生む。一女三男云々。一女は日神(天照大神)、二男は月神(月読尊)、三男は蛭子(西宮神)、四男は素戔嗚尊(出雲大社)。上に云う陰陽二神は以て両部大日と為す。四人の尊を以て四佛(金剛界では、阿閦・宝生・無量 . . . 本文を読む