最近祈願が数件叶えなくてかなり懐疑的になっていました。以前も書きましたが四国61番香園寺中興の祖・山岡瑞円師の本「人格的生活をめざして」(昭和8年香園寺子安遍照会発行)に、師が荒れ果てた寺で肺病に伏せっていて「仏が人を救うなどとそんなことがあるものか、こんな苦しいときにも仏様は私を救うてくれないではないか、この世に神も仏もあるものか、 お経は人を誑かす架空の妄談ではないか」と自暴自 . . . 本文を読む
「古今著聞集」「慈覚大師如法経(法華経か)を書きける時住吉神託宣の事幷に住吉社由来の事」
「慈覚大師(1)如法経書き給ひける時、白髪の老翁杖にたづさはりて、山によぢ登りけるが、『あな苦し。内裏の守護といひ、此の如法経の守護といひ、年は高く成りて、苦しう候ふぞ』
との給ひけり。『誰が御渡り候ふぞ』と尋ね申されければ、『住吉の神なり』とぞ名乗り給ひける。皇威も法威もめでたかりけるかな。
住吉は . . . 本文を読む
お陰を祈って叶わなかったがその後一転して救われた例。本来自己の現世利益を願うのは自我を離れることが出来てない証拠で邪道といいますがしかし「露の世は露の世ながらさりながら」です。お釈迦様も「四門出游」で老病死をご覧になり衆生済度を目指して修行され悟りをおひらきになり、御大師様も「支離懸鶉(しいりけんじゅん:不条理に泣く人々)をみては因果の哀しみ休せず(三教指帰)」とおっしゃり不幸な人々を救済せんと入 . . . 本文を読む
「神祇秘抄」・・6/22
六、御鎮坐の事。
問、御鎮坐の事、異説不同也。何の義を以て之を定むべきや。
答、日本紀の意、上古より當代に至る、御鎮坐の處幷に時代等の事、大都、定置かれる所なり。仍て代々の帝王之を以て指南と為し、祭祀を送らる云々。
重問、しからば天照太神は何代に天臨り給へるや。
答、彼の神は天上に在り、御降給はざるなり。
又問、若し此の神下天せざれば、鎮坐の社殿何を以てか神躰 . . . 本文を読む