和田性海師は密教辞典によると「明治12年8月2日~昭和37年3月9日。号不可得。兵庫県佐用郡の人。明治26年清林寺伊達義禅に得度。同35年東京哲学館卒業。林本応から苾蒭戒と灌頂を受け、同42年御室派伝道部主任。以布教師として内地・朝鮮・ホノルルに巡教。昭和9年高野山大学学長、24年高野山真言宗管長・・昭和29年平井巽・藤田清・亀井宣雄等と共に月刊「全人」を発行。著書、仏教修養講話・ . . . 本文を読む
「神祇秘抄」・・9/22
九、神の變する所の事
問、神の變する所、無盡云々。其の姿如何。
答、神は情非情に及び一偏に堕すべからず。或は人と為り、畜と為り、或いは鬼と為り、或いは虵(じゃ)と為り、又草木と為り、山河と為る。只利生に依る。又化用无邊なるが故なり。弘法大師曰、法身三密は繊芥に入りて而も迫らず、大虚に亘り而も廣からず、草木瓦石を簡ばず、何者にも遍せず鬼畜人天を擇ばず。何物をか摂らざら . . . 本文を読む
慶応4年(1868年)3月9日、山岡鉄舟は討幕軍の進駐していた駿府に行き上伝馬町の松崎屋源兵衛宅で滞在していた西郷隆盛と会見をします。ここで江戸城無血開城の道筋をつけました。このとき山岡は群がる官軍のなかを「朝敵徳川慶喜家来 山岡鉄舟まかり通る」といって一人悠然と入っていったという話は有名です。わたしも大昔二回ほど大勢の人間にかこまれたことがありますがとてもこうはいきませんでした。いかに肝がすわ . . . 本文を読む