福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は山本玄峯老師ご遷化の日です

2024-06-03 | 法話

今日は山本玄峯老師ご遷化の日です。老師は昭和36年6月3日竜択寺自坊で断食後に遷化されています。96歳でした。午前一時に当番で就いていた中山玄寿老師に「旅に出る、着物を用意せよ」とおっしゃり其の儘遷化されたということです。(「明治の仏教者」)
慶応2年、和歌山県東牟婁郡本宮町の湯の峰温泉で私生児として生まれ、路傍に放置されていたのを 素封家岡本善蔵・とみえ夫妻にもらわれ養子となる。 16歳で筏流しとなるが盲目となり、裸足で四国八十八ヵ所 を 巡礼していたが7回目の途上、33番臨済宗雪蹊寺で行き倒れとなったところを山本太玄和尚に助け られ25歳で得度し玄峰となる。滋賀の永源寺、神戸の祥福寺、井山の宝福寺、岐阜の永保寺、八幡の円福寺等に掛錫、文盲であったため夜本堂で隠れて線香の火で勉強したと伝えられます。円福寺宗般和尚の法を嗣でいます。 三島龍沢寺、松蔭寺、瑞雲寺など白隠慧鶴の古刹を再興。臨済宗妙心寺派管長にも就任されています。この間、鈴木貫太郎、米内光政、吉田茂、岡田啓介、迫水久常、入江相政、池田 成彬等が教えを乞うたと言われます。老師はまた陰徳を積むこと大切にされ
、四国遍路の納経代一万円(当時)をお接待したり、33番雪蹊寺境内の甘酒屋に千人分の線路の甘酒代を払っていたとか、龍択寺入寺の際も天井裏の鼠にいつも餌を与えていたといいます。

以下は私が十数年前に四国遍路をした時の33番雪蹊寺のところの描写です。
「32禅師峰寺から33番雪蹊寺へは、浦戸大橋を渡って桂浜経由で行く道と、種崎から県営フェリーに乗って長浜経由で行く道がありますが、いつもフェリーに乗ることにしています。1時間に1便あり無料です。一回目の時は舟の人に「運賃はいくらですか?」と尋ねて怪訝な顔をされました。
 この渡しまでも きびしい道のりですがこの最後に渡船にのるところがありほっとするのです。向こう岸についてから少し歩くとすぐに33番雪蹊寺です。弘法大師によって弘仁6年に開創され「高福寺」と称したがのちに廃寺となっていた寺を土佐藩主長宗我部元親が再興、臨済宗の月峰和尚を中興の祖とし後に元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっているといいます。ご本尊の薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩像は運慶作、その子、湛慶は毘沙門天像、吉祥天女像、善膩師童子像を彫造して安置したとされます。
澄禅の「四国遍路日記」でも「高福寺、中古より禅宗に成って本尊薬師如来の堂なり。玄関・方丈の関わり、禅宗の寺立なり。当寺住職は妙心寺流の大和尚なり。保福山雪蹊寺と号す」とあります。


ここはなにより尊敬する山本玄峰老師誕生のもととなった寺です。白隠禅師の再来とまで言われた三島龍沢寺の山本玄峰師(妙心寺管長)は、若いころ文盲の上、失明に近い眼病を患い、その回復を祈願して素足で7回目の遍路をしましたが、焼山寺で少し目が見れるようになったと云います。そしてなおもお参りする途中行き倒れて、当時の大玄住職に「心眼をこそ開け」といわれて禅の道にはいったとされます。17年のときは納経所で90才という檀家のおじいさんが納経してくれました。おじいさんのいうことには
 「山本玄峰老師はここで行き倒れて当時の太玄老師に助けられたことになっているがわしは当時の本当のことを知っておる。じつは渡しの近くの東屋で倒れていたのを地元の者がこの寺にかつぎこんだんじゃ。それを新聞記者が面倒なのでこの寺で倒れたことにして書いたんじゃ。記者はいいかげんじゃ。」と延々とはなしてくれました。玄峰老師は東京谷中の全生庵で提唱をされていました。私は全生庵にも昔出入りしており、三島龍沢寺から当時みえていた鈴木宋忠老師にご指導いただいていました。この雪蹊寺は玄峰老師のあと鈴木宋忠老師も住職をされています。雪蹊寺には玄峰老師の胸像と鈴木宋忠老師の胸像も並んであります。40代のころ全生庵で「寺に入りたいのですが」と宋忠老師にご相談すると「大きな寺はだめだ。維持費におわれて大変だぞ。」とお話をしていただいたこともあります。 なつかしいおふたりです。

鈴木宋忠老師は太平洋戦争で出征し、サイパン島でジャングルに何年も一人で隠れ生き残った方です。以前読売ホールで涅槃会に説法されたときは客席をぐるっと見渡して開口一番、「皆さん方はここからみるとみな因果の博覧会じゃ」とおっしゃいました。我々の現存在の中にすべての因果が詰まっておりまた一瞬一瞬新しい因果をつくっているのだということでしょう。過去現在未来の無限の縁をひいてうごめいている自分の現存在の重さにぞっとする言葉です。
ここは88箇所中珍しい禅宗の寺です。 11番藤井寺、15番国分寺とここの3か寺が禅宗です。
大師堂では禅宗の寺では理趣経もあげておられないであろうから、お大師様がおさみしいのではないかとおもわれていつも座って特に念入りに理趣経をあげることにしています。」

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