つぎは香園寺の鎮守高鴨神社です。いままでは横峯寺へ参るとき未明にこの鳥居の前を通るだけでしたが今回初めて神妙な気持ちで参拝します。社伝では、1,500年前、大和葛城山麓の高鴨大御神の分霊を祀ったのが始まりとされているようです。葛城の本社高鴨神社のホームページには、
「主祭神 阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと,注1)(迦毛之(かもの)大御神(おおみかみ))事代主命(ことしろぬしのみこと、注2)阿治須岐速雄命(あじすきはやおのみこと) 下照姫命(したてるひめのみこと)・天稚彦命(あめわかひこのみこと)。
当神社は全国鴨(加茂)社の総本宮で 弥生中期前より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。主祭神の阿治須岐高日子根命は亦の御名を迦毛之大御神と申され この大御神と名のつく神様は天照大御神・伊邪那岐大御神と三神しかおられず 死した神々をも甦えらせる事ができる御神力の強き神様であります。・・」
(注1、阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと,)は農業の神、雷の神、不動産業の神。大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。下照姫命(したてるひめのみこと)の兄。シタテルヒメの夫・天稚彦命アメノワカヒコ(高天原に復命しなかったために反し矢で撃たれた)の葬儀に訪れた。しかし、阿治須岐高日子根命あじすきたかひこねのみことは天稚彦命(アメノワカヒコ)とそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。阿治須岐高日子根命アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメは兄であるアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。「天あめなるや 弟棚機おとたなばたの 項うながせる 玉の御統みすまる 御統みすまるに あな玉だまはや み谷 二ふたわたらす 阿遅志貴あぢしき 高日子根たかひこねの神ぞ(天においでの、織姫が、頚におかけになっている、玉の首飾り。その首飾りの、穴のあいた玉みたいに光っていますよ。でも実は違うのですよあれは、谷二つを輝かせてお渡りになる、阿遅志貴高日子根の神なのですよ)是が和歌の初めとされている。
注2、コトシロヌシは海の神、商業の神、大国主とカムヤタテヒメとの間に生まれた。葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった)。
とあります。朝7時ころでしたがここでも参拝者にはだれも会いませんでした。しかし境内には霊気が満ちています。お遍路さんも寄るようになれば双方栄えるのにと惜しい気がしました。
神社から香園寺へ帰る参道で,行きにはいなかった小蛇が車に轢かれてぐったりして道に横たわっていました。そっと近くの叢へおいてやりました。こうして道に出てくる生き物を車でひき殺すことをロードキルといい10年前の統計(哺乳類対象)で年4万件くらいありました。ミミズや蝶、蟻などもいれると毎年数えきれない「いのち」をひき殺していることになります。人間の業は底知らずです。
「主祭神 阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと,注1)(迦毛之(かもの)大御神(おおみかみ))事代主命(ことしろぬしのみこと、注2)阿治須岐速雄命(あじすきはやおのみこと) 下照姫命(したてるひめのみこと)・天稚彦命(あめわかひこのみこと)。
当神社は全国鴨(加茂)社の総本宮で 弥生中期前より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。主祭神の阿治須岐高日子根命は亦の御名を迦毛之大御神と申され この大御神と名のつく神様は天照大御神・伊邪那岐大御神と三神しかおられず 死した神々をも甦えらせる事ができる御神力の強き神様であります。・・」
(注1、阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと,)は農業の神、雷の神、不動産業の神。大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。下照姫命(したてるひめのみこと)の兄。シタテルヒメの夫・天稚彦命アメノワカヒコ(高天原に復命しなかったために反し矢で撃たれた)の葬儀に訪れた。しかし、阿治須岐高日子根命あじすきたかひこねのみことは天稚彦命(アメノワカヒコ)とそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。阿治須岐高日子根命アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメは兄であるアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。「天あめなるや 弟棚機おとたなばたの 項うながせる 玉の御統みすまる 御統みすまるに あな玉だまはや み谷 二ふたわたらす 阿遅志貴あぢしき 高日子根たかひこねの神ぞ(天においでの、織姫が、頚におかけになっている、玉の首飾り。その首飾りの、穴のあいた玉みたいに光っていますよ。でも実は違うのですよあれは、谷二つを輝かせてお渡りになる、阿遅志貴高日子根の神なのですよ)是が和歌の初めとされている。
注2、コトシロヌシは海の神、商業の神、大国主とカムヤタテヒメとの間に生まれた。葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった)。
とあります。朝7時ころでしたがここでも参拝者にはだれも会いませんでした。しかし境内には霊気が満ちています。お遍路さんも寄るようになれば双方栄えるのにと惜しい気がしました。
神社から香園寺へ帰る参道で,行きにはいなかった小蛇が車に轢かれてぐったりして道に横たわっていました。そっと近くの叢へおいてやりました。こうして道に出てくる生き物を車でひき殺すことをロードキルといい10年前の統計(哺乳類対象)で年4万件くらいありました。ミミズや蝶、蟻などもいれると毎年数えきれない「いのち」をひき殺していることになります。人間の業は底知らずです。