「高野春秋」に「延喜廿一年921正月十一日、長者觀賢僧都御修法壇に登り觀行之間定窟排拜之誓願を発す。是れ内熏外縁之萌動に依る也。願文別にあり。開廟記碩に云ふ。『願はくは我高野山に参詣し奥院石窟を開発し高祖定慈顔を拜見し必ず遮那之妙體を證せんと念ず。』」
この年十月二十七日に大師号諡号と天皇下賜のお衣替えで観賢は実際に御廟を開き大師尊体を拝しています。
「高野春秋」に「延喜廿一年921正月十一日、長者觀賢僧都御修法壇に登り觀行之間定窟排拜之誓願を発す。是れ内熏外縁之萌動に依る也。願文別にあり。開廟記碩に云ふ。『願はくは我高野山に参詣し奥院石窟を開発し高祖定慈顔を拜見し必ず遮那之妙體を證せんと念ず。』」
この年十月二十七日に大師号諡号と天皇下賜のお衣替えで観賢は実際に御廟を開き大師尊体を拝しています。