地蔵菩薩三国霊験記 11/14巻
地蔵菩薩三国霊験記巻十一(全)
摂津國や難波の事か法ならぬと見へたれば、幼きうないごの遊戯より始めて無墓老が身の言捨てよしあしの言葉に至るまでも悉く是佛教に漏れたることはなし。麁言軟語も皆第一義に皈す。狂言綺語も即ち讃佛乗の縁となるべし。凢そ佛種は縁より起こり、諸業は心より生ず。春の花を見ては必ず秋の果たらんことを悟る。楽しみを聞ては定めて苦の始めなりと知るべき。盛んなる人も終に衰るときもあり、若き前に老は来るべき者なり。化し世の露の命なれば夕べの日影をまたず幻の身をもちながら末の世を遠しと思ふ心ありて、明れば花を詠じ、暮れには月に暇なくして只だ愛念に心を迷して明々たる佛道をも願はず暗々たる迷路をも恐れずして立ち居に名利を望み、寝て爰に婬食を増し、寤て斯に愚欲を益すもの仮令千年の松も終に朽ちす。況や槿花(アサガオ)の身なれば日影を待たず露の壽の消へなん(白楽天の詩「放言五首」「松樹は千年なるも 終に 是に朽つ、槿花は一日なるも自ら栄を為す」)後は何をか頼みとして何方へとて行くべきぞや。かからん人はそれとまでこそなくとも、物の哀れをも片知り玉ひて罪ある事をも悔るべし。其の故は、よしなきあだごとより、をそろしき奈落へは沈むものなり。浅きより深き法淵に入る如くなる佛教なれば、すこしき罪を恐れ、などか佛道に入らざらんや。凢そ佛道遥かにあらず、念ずれば親りに有り(「それ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。真如外に非ず。身を棄てていずくにか求めん」(般若心経秘鍵)」)。必ずしも遥かなる唐や遠き天竺に求めずとも目近き因果の物語どもを見聞きて罪ある事には恐れて道心をも起こさましかば必ず正に覚りを成ずる因縁となるべし。砂をあつめて塔となし、草を結んで寺と名付ける人は真に佛智に契ひ、朽木を取て佛と称する族は忽ちに正覚の縁となるものなり。
中古駿河國久能の御山とて貴き山寺在しき(補陀落山久能寺は平安末期から鎌倉初期にかけては、360坊、1500人の衆徒をもつ大寺院であったが明治の廃仏毀釈で廃寺と成った後、山岡鉄舟が再興して現在は静岡市に補陀落山鉄舟禅寺として残っている)本尊は自然湧出の観音補陀落現成の山也。行基中興の砌、霊場無双の御寺にて前には南海漫々として涯もなし。是を弘誓の深きになぞらふ。後ろは北の嶺峩々として聳へたり。彼を悲願の高きに形どり、されば代々の重宝も此の寺に収めたり。世世の明聖も斯に住み給ひき。然れば往昔、堂舎甍を並べ佛閣軒を續ぎ、浄行三昧の道場にて女は登らぬ御寺なりしを、代も末になりて人巧機を以て女を使ひ参詣の女姓根堂へも参る世に成りにけり。されどもなべての田舎山寺には似るべからず。六時不断の護摩の煙は雲にあらそひ、梢を埋め、法華讀誦の法音は嵐とともに峰にこたふ。後夜(明方)晨朝の鐘の響には、浮世の夢も覚めぬべし。振鈴の音にこそ無始劫の罪も消へなん。崢嶸(そうこう、山高く険しい)と高き峯には霞を分けて樒を摘み(樒は密教の行に使う)幽邃と深き谷には露をしのびて閼伽を結ぶ。勤行の僧数百人信仰の輩は数をしらず。されば彼の寺の僧徒は位も高く智もめでたき学匠にて、顕密最頂の道場霊場無双の砌なり。然れば彼の寺の別當職を持つ人は禄に奢り、威に耽りて怖るる方もなくして上のをぼへ下の貴み何事こそ心に不足と思ふこともなし。人々に仰がれ衆徒にかしずかれて目出度き僧にてましましけり。されば善にも悪にもあまりに事に超へて執心することあるべからず。必ず妄執となりて輪廻の業を成就し正覚の妨げとなりぬべし。却って天魔の眷属と成りて苦を受くべき者をや。或寺の別当に源清僧正と申す在り。七歳の時より師匠の傍に侍りて習學しること他に勝れ明智世を照らす僧と成り給き。観念の窓の前には本尊忽ち顕れ誦講の庭の面には立ちどころに枯木春に逢ふ。さるから法位と云ひ僧禄と申し樂しみ以て憂を忘れて六十余の行年なり。餘命既に幾程もなかりければ、灯の消残る影の如くに心細くや思し召しけるに、清風朗月の夜、閑にして座禅入定の床の上にして三世を観行し玉ひけるに、萬事は皆夢の如し。生死は車の輪にことならず。彼に死し此に生じて沈淪し流轉して暫くも止まる時なし。此の輪廻の中は万事只夢中に咲く花幻の前の影の如し。されば愚老、彼に遷り電光の中に當寺の院主となりて衆徒の頭をふみ、法侶を育ててたのしみかしずかれて既に二十餘年の星霜を送り迎る事は但だ一弾指の夢よりも尚すみやかなり。受けがたき人界に生を受け幸いに値ひがたき佛教に逢奉り、僧と成る效(しるし)に何れの行をか修してか上四恩に報じ下三途八難に沈める苦悩の衆生を済度する方便門を推開かんと思案し玉ひて大蔵経巻を披見し玉ひけるに、一度目にも見奉り耳にも觸奉る人は前生四十劫の罪も消て永く悪道に落ちず。況や心を致して供養し奉らん輩は長へに生死を離れて正覚を成ぜんと見へたれば、はからざるに落涙して有り難く覚ふ。今の五部の大乗経(華厳経、大集経、大品般若経、法華経、涅槃経)これなり。又悲願甚深の菩薩在す、忝くも本師覚王の御手を垂れて六道能化の遺勅をなし玉ひて形は僧形にて一切の罪人を救取りて安養の浄土(極楽浄土)に引導し玉ふ。若し重罪人あらば其の苦に代玉ひて地獄に入り其の苦を受けて彼の衆生を助玉ふ菩薩在す。地蔵菩薩と号し奉ると。唯し是の如き微細甚深の御誓願ましませども無縁の人をば済度しがたくや思し召しける、至心に礼拝供養せざらん輩は我が名を呼び出してぞ知るべし。即ち子の言を以て正覚の縁となして必ず佛土へ引接すべしとぞ誓玉へり。是を有難き御事に思奉りて其れより後は偏に地蔵三昧の行者とぞ成玉ひける。同じくは形像を造立し奉りて末世の人の化導の縁をも結ばしめんと思立て道場を造立して、本尊地蔵菩薩の御長三尺金色の立像なり。彼の仏前にをいて件の本願五部の大乗経を書き、佛を礼拝し念誦等を致し玉ひけれども猶天魔の障碍も怖ろしく老耄すでに傾きて餘命残灯に似たりければ、合掌して眼を開き玉ひける。其の文に曰、
「礼三劫三千の諸佛菩薩、願はくは此の經書寫の間、内外の魔縁の障難を除き大乗真文の霊光朗らかに三途八難の苦患を抜き、諸の有情と共に成等正覚なさしめ玉へ。沙門源清祈る所は平等利益、望む所は無生忍也。仰ぎ願はくは地蔵薩埵幷に自界他方の護法諸天同じく悉く證明を垂れ給へ」と申し經を書き給ひける程に三部は書写し供養を得にけり。又一部書寫の志切にして書き給ふに既に法華経に及びて方便品の如我昔所願今者已満足(妙法蓮華經方便品第二「我が昔の所願の如き、今者[いま]已に満足しぬ」法華經全体の最初の方)と説かれたる文を貴び給ひて別に心を発し焼香礼拝して如法の儀式に及びけるほどに、時刻移りて八旬に充ちて老眼のかすみを拭て志は金剛の如くに思ひけれども心のごとくにあらずして筆の力失せにけり。病相は人をえらばず、遷化は聖凢を同うして打ち臥し給ひける。されども少し減を得て沐浴し志切にして衆徒の會合にのぞみてありければ大風呂を焼かせて大鐘を鳴らし大衆を集め同じく浴室に入り給ひけり。若同宿達僧正の御輿を仕り供し侍りける。僧正は浴室に入り玉ひ半時ばかりありければ、頓に絶入り給ひけり。同宿周章騒ぎ秘薬力を盡しけれども更に以て験なく、存命不定にぞ成玉ひぬ。されども僧正はとりなをし玉ふ心地して後の壁に倚りて氣打ち吹きかすかに見へ玉ひければ、人々皆涙を流し音を呑み哀しみ歎き、立ち所に髪を切り轉び伏し大音あげて悲しみなげく志切に見へけり。如是の躁ぎ相て僧正の御身には近付き御垢に参る人更になかりけり。只だ偏に泣き哀れむばかりにて勤(ややもすれ)ば此の人々涙の隙には唯僧正不思議の挙動仕るものどもかな。御垢に参れ夭怪なりと訇(ののし)り、瞋り給へども聞く人なく、唯件の御衣裳に向居て愛別離苦の哀み或は忍びに陀羅尼を誦して志を僧正に廻向し奉りける。僧正心得ざることに思召して扨ては此の老僧を内外の衆徒等一揆して呪詛するにこそあれと思召けるこそ、真には未證の果位、愚鈍の地位を離れ玉はず。煩悩かと覚へて哀れなれ、大衆泣く々御輿を大坊へ入れ奉りける。僧正は只我がぬぎ置きたる衣をとりつくろひて、これに入れて吾をば此の浴室に捨置きて皈るとぞ見玉ひける。僧衆並居て成しけることを見給ふに偏に葬礼の用意なり。僧正はかなくも浮世を厭ひ有漏の穢身を脱ぎ置き給へる衣装と見玉ふ。魂魄こそ實も覚少なき御心迷うとおぼへて哀れなり。されば教中に、魂は籠の中の鳥に異ならずと云は是也(佛説護國尊者所問大乘經「色聲五欲塵 非是菩薩境 福盡無福生 業盡復生業 如鳥禁籠中 長不得自在」)。御輿を野邊に送り出しけり。僧正はこれをも心得玉はず、件の衣装を煙となすと思し召し、葬の儀式濃やかに師弟の契約なりければ僧正見る所は有難く思ひけれども、いまだ狐疑の心は破り玉はずして生を背きける身とはしり玉はずして、人々化壇より皈りければ僧正も本坊へ皈玉ひけり。七日毎の追善をも只存生の供の如くにぞ思し召しけり。
中陰既に過ぎける説法の廻向の鈴を打ちける響きに浮世の夢醒めぬること悟り給ひて今生の妄執早く尽きて親族の境界の人も目をそばにし物をも申さぬ年比(ごろ)扶持の輩も恩を忘れ、相傳の弟子に至るまで心替りに見ける所に久しく徘徊してよしなし、何ならん所へも立ち越へて佛法を廣め、迷黨化度の方便をなさばやと思立玉ひて、いずれのところと指所はなけれども、鳩の杖を先にして(中国の史書『後漢書』礼儀志には「仲秋之月、県道皆案戸比民。年始七十者、授之以王杖、餔之糜粥。八十九十、礼有加賜。王杖長〔九〕尺、端以鳩鳥為飾。鳩者、不噎之鳥也。欲老人不噎」)故郷久能の山を立ち出でて雲に隨ふ風に靡きて出去給ひけるこそ有為転変の有様にて涙も更にせきあへず。僧正いまだ見も習はぬところに至り給ひて暫く徘徊しけるにも故郷の事も忘れやらず。愛執多くはあとにのこし給ふほどに、諸經の要文胸中に浮かび論談にさかひて口に泡のたまりたるを吐き出し給ひければ何方よりか来たりたまふらん小馬なんどの如くなる狗其の數をしらず吠え来るが、僧正に立ち向て吠えける。其の聲耳に徹て多くの雷の落ちかかる如く怖ろしき事限りなし。僧正の行くべき道の末に立塞がりて吠ければ餘のをそろしさに傍を見玉ひければ草を食ける牛のありけるが、げに立ち隠れ玉へば狗は皆かき消す如くに失にけり。又立ち出て去んとし給ひければ、例の犬ども吠え来たりけり。僧正彼の牛にはなれては犬の害遁るべきにあらずと思ひ牛に副ひて共に家に行き玉へばいかに、ととかがむる人もなし。角して久しくそひ玉へば或時牛の主申しけるは、此の牛こそ草腹もちたりと云けり。僧正心に思はく、いつまで畜類に恐れ、又畜生に睦んで久しく厩に立ち留るべき。佛法流布の行人なるものを、と思し召して牛の陰を走り出させ給へば、牛の主見付けて牛の子生めりとて取止め奉る。僧正奇怪也、罷り退け吾は是久能の別当なるぞ、と宣へば、やらいかめしの牛の子の音や、と申してをさへて鼻を通し羈(つなぎ)けり。力無く牛の屋に栖玉ひけるがいつまで煩悩のきつ゛なにつながれて生死の火宅には留るべき旧業に誘れて畜生の家に入りあさましさよと思ひ切て、牛の家を走り出玉ひければ、或人申しけるは、されしもいみじかりつる牛の子の死したることよなんど申し合へり。僧正心得たまはずして東国さして下向し玉ひけるほどに、何地ともしらぬ野原に松の木一本あり。木陰涼しく見へければ休息居て行末の事を思ふに、三界安きこと無く猶如来火宅一所として怖畏なからざらんやと観誦し玉ひける所(妙法蓮華經卷第二譬喩品第三「三界無安 猶如火宅 衆苦充滿 甚可怖畏 常有生老 病死憂患 如是等火 熾然不息 如來已離 三界火宅 寂然閑居 安處林野」)に小便の用起玉へり。亦犬どもかずを知らず吠え来るほどに僧正逃走し玉ひける。原中に白狗の見へけるに其の影に立ち寄り身をやすめ玉ひければ、件の犬、忽然として失せぬ。僧正いつまで彼の犬のかげにかくれ居べき、煩悩は家の犬に喩たり。離れ難きに依てなり。されば生死の家を出ばやと思切りて犬の影を走り去り給へば、犬の主、犬の子生まれたりとて取り上げて愛しけり。僧正吾は是久能の別当なりと申さるれば、子の犬の子いかめしの声や毛色の白ければ御房白と呼び付けたり。昔つとめ玉ふ誦経なんどし玉へば此の犬の子は長吠すとて童部などがよりふさがりて打擲こそしたりける。僧正あさましく思召し一切有情の六道に輪廻すること猶車輪の如し、我身拙くいつまで卑しく畜生の家に沈淪して鄙(いやしき)童の杖をば受くべきと思切りて、彼の犬の家を出玉へば、人是を見て、あら不便の犬の子の死したることよなんど唱ければ、猶不審の晴れやらで東國さして下向し玉ひければ磯部の邊に松の村立て滄海漫々として面白き浦に出給ひけり。晴嵐梢を鳴らし𦾔苔根を埋みける。沙を拂ひて其陰の涼しき松の見へければ亦此に立ちよりて休息し教内教外の法文を案じ思ひ玉ひけるに件の犬ども吠来たりて僧正を咬倒さんとしける。をそろしさに走り逃げ玉へば追結て吠えけるほどに一身を隠すに所なかりければ、白馬のありけるをこだてにして立隠れ給へば犬どもは皆うせにける。今はよも犬も来らじと思ひ馬のかげを去り玉へば、或人是を見付けて、あらいみじや馬の子を産たりとて取止め奉りき。吾は久能の別当なるものをとの玉へば此の馬の子はいななきたる音の大きさよ、母馬に似て白やとぞ申しける。僧正是の如く生滅し玉ひけれども苦みなき身にて痛くもなく、異形に生じたる事をもしらずして地蔵薩埵の正に宿命智を授け玉へば昔より佛法流布の志をもわすれ玉はず、当代流転の砌、小怖畏を受け玉ひけるこそ苦患にて御座(をはします)。爰に香染の衣着給ふ沙門来て僧正に立ち向て一偈を挙げて曰く、「如是畜生發菩提心」と云々(おまえは畜生であるが菩提心を起こせ。梵網經盧舍那佛説菩薩心地戒品第十卷下「若見牛馬猪羊一切畜生。應心念口言。汝是畜生發菩提心」)。ときに僧正驚きて、我身を見るに白馬に似ける。浅間敷やと思念していそぎ彼の厩を出て走り給へば家主、能き馬の子のにわかに死にけることぞ歎きける。僧正東国に下向し玉ひけるに、或古寺の傍に菩提樹と申す木の枝葉しげりたる下に立ち出て、此の木を禮して今我等が師、菩提樹下にして成道し玉へり。凢常の樹ならざるをやと合掌し三世を了達し玉ひ天をあをいで祈り申させけるは、源清いかなる故業によりてか獣に轉ぜられて畜生の家にやどりつらん。願くは菩薩、力を励まして此の報を救玉へと涙を流して祈り給ひける處に彼の木の梢に気高き御声にて示し玉ひけるは、汝佛法を行ずれども更に慈悲なし。法門を學すれども心散乱せり。故に假に畜生の為に久住して已に本覚の道絶へなんとす。汝人道に皈らすれば此の道成就しがたかるべし、と示し玉ひて梢より雲に紛れて飛び給ふ御形見奉れば地蔵菩薩にてぞまします。其後は僧正旨を得て大道を成就せんとぞ志給ふ。扨ては人間に生を受け人世より寂光土に入るべきにて侍りける。地蔵菩薩化儀(仏が衆生を教化し導く方法)に任せてまず如何してか人間に生をからばやとぞ思立ち給ひける。爰になまじひに山寺法師の習がたくなしきくせとして女人に近くことを慎み付けたる習にて女人に立ち寄らば人や怪しく見てましなんと思煩て疑心の巷に足うら踏みけるこそ中々生死輪廻の根となりぬべきことなれ。角あやしみて久しく中有に立ち迷けるを地蔵菩薩は憐れみ給ひて僧正の手を取りて引向て、汝が菩提を学ぶことは心外に有りや、又何の所にか有る灯を掲げて街に迷ふ。小智は菩提を妨と云ふは是也(唯信鈔 ・聖覺撰「逆者ノ十念スラ宿善ニヨルナリ。イハムヤ盡形ノ稱念。ムシロ宿善ニヨラサラムヤ。ナニノユヘニカ。逆者ノ十念オハ宿善トオモヒ。ワレラカ一生ノ稱念オハ宿善アサシトオモフヘキヤ。小智ハ菩提ノサマタケトイエル。マコトニコノタクヒカ」)。凢そ人身を受る者はしばらく女人に縁を假ずんばあるべからず。凢そ善心を開発し群生利益の為には仮令女人に生れたりとも是を最勝とすべしとて、錫杖を打ち振りて隠れさせ給ひける。扨ては樂の中に生るる人は善根の種となるべきならば源清も樂の人に生をからばやと思立ちて、其の後は此彼に立ちて人を擇び家を嫌ひ宿を尋ねて流轉し給ひける。惣て三事相應すること難くして東路遥かに下り給ふ。僧正必ず東国を執心し給ふことは佛法東漸とて末代には佛法皆東方にいたり給ふべし、故は東国は穢土にて人の心も荒氣に悪業の身をかざり、欲心深くある里になんありければ、是を救はんがために果たして佛教東漸すべしとは申すなり。此の旨を至誠心に信じ玉ひし平生の心緒に誘れて此の妄執の中にぞ趣き玉ひける。されば善悪の法熟し縁ある習にて奥州平泉と申す傍に美々敷家居の有りけり。僧正心寄せに思召して指し入りて見給ふに中門の添殿渡殿楼閣なんど作り續け奥深く栖成したる家あり。東夷の方にもかかる栖居して住みける人もありけるよと目をすまして此彼の局(つぼね)等委しく見行き玉ひけれども、更にとがむることもなし。僧正此の家に宿を借りばやと思て窺行玉へども家の中深く作りこめたり常の所は何やらんとためらひてたたずみて見玉ひければ、折節秋の夜の半の月にくまもなくさえわたりて軒端の萩もそよめきて松吹く風に傳へて誰引くやらん琴の音のつまをとたかく聞へつつ庭の草むら色ごとに虫の音すごくすだくなる。詮方なく引く琴の音を便りにて尋ね入りて見玉ひければ、それとはしらねどもさしもにやむごとなき女房達十余人並び居て和琴を鳴らし唱歌して心を澄まして真に由々敷く遊びける中に主の女房かとをぼしき人、其の年三十計りに見へて皃儀(ぎょうぎ・容貌)ことに美しく琴を調べ和歌なんど口吟しけるが経文をこそ交へられける。妻子珍宝及王位臨命終時不従と云て(大方等大集經卷第十六 虚空藏菩薩品第八之三「四大其猶如毒蛇 六情無實如空聚 妻子珍寶及王位 臨命終時無隨者 唯戒及施不放逸 今世後世爲伴侶」)声をひくくしてやら定め無の浮世や蜉蝣の有るが無きかの樂み夢幻のありさま思ひつつ゛くればなにを頼みの浮此の身かなと云て、弾ずる琴をさしをきて袂を顔に追當て泣に咽びければ並み居る女房達興をさまして、いかにいかにと申しければ良久(ややひさし)くありて、されば此の世の中のありさま、たのむべき子を持ちたる身なりとも誠に闇路に迷ひ、つひに羅刹の責めをはたすべきにあらず。況や産まず女と成りて独りある身の頼もしき方なき哀みを、つみしり玉はぬうらめしや、とて泣を流し手を合わせ南無地蔵菩薩我が罪障の暗き道をたすけ玉へ、さかんなるものは必ず衰ることはりなり。楽も末は必ず苦みなりと、佛の説き玉へども聞くにもをどろかず。よろず不足はなけれども一子を持たず来世の迷をば誰か導きたすくべきや。願はくは地蔵菩薩救玉へと祈り玉へば、僧正いよいよたのもしくありがたき人と思入れければ、此の人に託(やどり)たく思し召しける所に、其の夜は盤桓(たちもとをり・うろうろする)て居玉へり。次の日に入らせ玉へども是は何なる人やらんと申す人もなかりけり。彼の女房浴殿よりあがりて返らんとて御湯帷子を召なんとて輿にめされけるとき、僧正ふるひふるひ宿借り給へと云けれども、聞きも入れず咎る人もなかりし。彼人に取後れてはかなはじと思切て絹の裳に取付たりけれども、是は何如ともとがめず、若し人目を忍びて心に契はぬこともやあるらんと衣の裳よりいよいよ深く取り入て後にひしといだき付玉へば、何とやらん身の毛もよだちて心わるきなんどと仰せければ悦びはたの帯奉らんとて生絹の絹を畳て僧正の上をしかと結び付けたりければ、僧正いよいよ喜んで、さては彼の女房の子に成るべきやらんと心安く思し召しけるほどに月重なり十月にも成りければ、日来はなつかしく香かりけるに何とやらん世にうとましく成りて今は由なし、離れて何方へも行かばやと脇の下より手を廻し後ろよりすべり出給へば、御産目出度くありつるはと女房達取り奉ればあまりうとましさに吾は久能の別当なり放せゆかんとの玉へば、扨てもいみじき若君の御声のめでたさよとて御浴ひかせ奉る。月の廿四日に生れさせ玉へばとて御名を地蔵御前とぞ呼びまいらせ、いつきかしずきける程に漸く成長し玉へば父母の悦びはかぎりなし。僧正は生を轉じ玉へども地蔵は一生の苦厄をわすれ玉はずして生々世々行合ひ玉ひて導き、亦人道にぞかへり給ひける僧正は地蔵より宿命智を授けられ前生の本願忘れ玉はず。習學論談くもりなくをぼへ時々誦経し玉ひけるを聞く人あやまりて此の若君はあまりむつかり給ふことよと申合ければ母上、若君に打ち向ひ餘りむつかり玉ひそ、聞く人詫び奉るをわらは聞くも心苦しく覚ゆるとの玉ひければ、僧正さては我誦する經、人の耳に逆ひて喧しく聞こゆやらん、諸法は随喜を先とせり。今より後は止んと思し召して音もし玉はず。さればいよいよ目出度くある若君よとぞ人々申し合ひける。僧正打ち聞き玉ひて、さればよと佛も口をば堅く戒め玉ひて瓶といふ器の如く口は有るとも不説他人好悪長短とも説き玉へり(妙法蓮華経安楽行品第十四「若口宣説若讀經時。不樂説人及經典過。亦不輕慢諸餘法師。不説他人好惡長短」)此の郷のものども佛教のありがたきことを悪むにこそと思召して母公の御心に叶ひ奉らんと誦経言語を止玉ひけり。されば成長年月かさなりて、八歳になり玉ふに親の御喜悦たとへん方はなかりき。されば喜びの中の歎き玉にも疵あるためし此の若君癋(をし)と申す片輪人にて更に言の玉ふことなし。只御手を合わせて屏風障紙に打ち向ひ何事やらん思い入れて見へければ母上あまりの哀しさに彼の君を倩(つらつら)と護り居て御身近く引き寄せて口説き玉ひけるは、あはれ此の娑婆世界ほど哀しき里はよもあらじ。さればよな思ふことかなはねばこそ浮世の名あり。其の中に取り分て我等ほど世に罪深きものはあらじ。弓取の威き家に生るだにあさましきに穢土に栖居して心なき身の吾妻の末邊土の下國に生るる身とこそならめ、あまりの事に独子をも如是のものを産み成すこと佛や神を祈りて諸の願を立たる甲斐なくかかる浮身に憂を添ふことのかてしさよ、責めて一端の言(もののたま)へ聞き奉らん。浮世の中の望み唯此の一事實なりと泣(なみだ)は瀧よりも尚しきりなり。若君はさては言いへと思し召しけるよな吾は久能寺の別当なりとぞ仰せければ母上あまりのうれしさに、など今までものをいはざりけると問玉へば、いざとよ言事の喧とてわび玉ひし程に、仰せを違背せまじきとて此の年月は音を納めて申さざりきとの玉へば、母のいはく何とて久能の別当とはの玉ふぞとあれば、我は本駿河の國久能の山寺の別当にてぞありきと語り申さば静かに子細を聞召せ。我身大願ありけるに志ありて御内(みうち)を頼み御宿を胎内に借り奉りをぼへずして已に親子の道に入り奉りき。何事をか背くべきなれども今は暇をたまはれかし。久能の山寺の院主たりし時、五部の大乗経を四部書寫し奉り四恩法界に回向せんと思立ち、書き残して滞りあり。然れば彼の山寺に罷り上(のぼ)りのこる經を書き終わりて供養し奉りて後、御子なりと思召ば皈り参りなんと申させ給へば、母上思はざることなれば中々兎角の御返事にもをよばず。母公さるにても其寺とかやにては何式の人にて御座(をはす)なればこれまでは思い立ち玉ひけると問へば、源清僧正とて彼寺の弟丄(だいじょう)の位にて侍りしとぞ申しける。されば七八歳の少(をさなき)心にこれまでをとなしやかなる事を言ふべきや、ただごとならずとて母上はかきくれて、ものもの玉はず。打ちあきれて御座すが父師忠申されけるは、さても人間の習は昨日出で今日皈りて見るに知ぬ事こそ出来たるためし多し。其寺の事ども明らかに覚玉ひてんや所詮先(まず)彼寺に書簡を遣て試み玉へかし。昔の衆徒も見知ること言も中(あたり)奉らば登山して經をも書き供養し玉ふべし。宿願成就し玉ひて後は契を忘れ玉はず亦御下向有りて父母の罪深かからんことを戒め給ひて救玉へと申されければ、若君畏まり承るとて硯を召して年月久しく取り玉はぬ筆なれども御文あそばしけるに大乗経を書き残せしことを委しく書き給ひ法華の中、如我昔所願今者已満足と云文(妙法蓮華經方便品第二「 舍利弗當知 我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異 如我昔所願 今者已滿足 化一切衆生 皆令入佛道」)を以て書き止め玉ふ。此の経に念を止めて成就せしめんために亦人間に生を受け彼に来たれり。衆徒哀愍あらば登りて書写し奉り本願成弁して具に恩有るを報じ且つ鎮護国家の為にそなへ奉らんとぞあそばして、前の院主僧正源清と成し御判ありて進上久能寺大衆御中へ、としたためて父師忠に奉る。不思議と申すもをろかなりければ、急ぎ使者を以て窺ひ遣る紀則方(きののりかた)と云者承て主従十六人罷り向ひける。漸く寺に尋ね登りて坊中を拝見するに實に兼ねて聞きしにまさる貴き御寺にてぞありける。人の風情山の分野(ありさま)言語道断身の毛よだつばかりなり。まず院主に指入り庭上に踞き近習を招き申し入る。奥州より細様(さいよう)有りて御使ひに某と申す奴参上致し侍るなり。委曲の書中に記され候らんとて一通指出す折節、法会ありて座上の老僧歳百年にも成り玉ふらんと見ゆるが件の書を取り上げて拝見し玉ひけるに先ず頂きて言を出さず香染めの衣の袖をぞしぼり玉ひける。是を見奉る衆徒等奇異の思を成にき。良(やや)ありて老僧仰せけるは、これこれ見給へ人々、たちされば佛も六度満足の行をなし玉へり。さるから終に正覚は成じたまひしにされば善根をば身は終り命は果すとも忘れ玉ふべからず。當山の前の院主源清大僧正既に八旬にあまり玉ひしまでに佛法を流布せしめむ事を深く心底にさしはさみ疎學鈍智の人を諫めて廣門に入らしめて迷黨の輩を救はんとたしなみ玉ひき。中にも取り分け當山を思給ひき。故に再び人間に生れ来たって書き残して入滅し玉ふ御經を書満て供養を遂げんと思し召し、此の一念にひかれて穢土に生れ来たり玉へる者をや。されば名字観行隔生即忘と智者大師は判じ玉へるに(妙法蓮華經玄義卷第六下・天台智者大師説「若相似益隔生不忘。名字觀行益隔生則忘。或有不忘。忘者若値善知識宿善還生。若値惡友則失本心。是故中間種種塗熨。」(名字即とは、初めて仏法の名字を見聞し、一切の法は皆仏法であると知る位。 観行即とは、名字を知り、その教えのままに修行して、己心に仏性を観ずる位。 相似即とは、 見思 ・ 塵沙 の二惑を断じ、悟りに相似する六根清浄の位))今源清の御事有難く殊勝なり。此の老僧にをきては御迎に参りてまし、大衆は如何し玉ひてんや、とぞ申すもあへず衣の袖をしぼりける。満山の衆徒も一同して大蔵経を開き納置たる聖教の箱を披き拝見するに件の昼、書き残し給へる御經はましますなり。いよいよ疑ひなしとて一山挙って御迎に参るべしとぞ決しけり。座上より下知せられて若大衆ばかりすぐり百人にて下向す。彼の使者登着(とうちゃく)の日は源清僧正三十三年の御弔の法會にてぞ侍る。奇特のことにあらずや。さて百人の使僧は平泉に着きて、忍辱の袈裟をゆりかさねて命令を待つありさまは、佛在世の往昔数百の羅漢、金口を聴聞ありし道道場の化儀も角や有らんとありがたし。見る者此の為に伏し、聞く者之の為に信起こす。若君に此の由を申す。父母にいとま申し法体になり法衣を着してこそと思召す折節四月十五日の夜なれば、父母に出家の儀乞受給へば、許し奉るとの玉ひけり。其の後常の所に皈り給ふに、何方よりともなく僧六人来臨し玉ひて、出家の作法を成し玉ふ。羯磨の法は心すごきならひなるに化佛の御音澄み渡りて聞く人涙を流しつつ無始の罪障も忽ち皆此の時こそ消ぬらんと覚へて感涙袂をしぼりけり。母君は寺より来たり玉ふ僧達の所にてぞ有らんと貴く思召しけり。衆徒は又當國の僧の経唄かと思て頗る耳をすまして聴聞す。是の如く法用ありて僧と成し戒を授けて僧達は行方しらず失せ玉ふ。思ふに是は地蔵菩薩にてぞましますらんと覚へていよいよ尊くありける。若君法体に成り玉ひて三日ありて大衆に対面し玉ひけり。願くは成就の後にいそぎ皈り申すべしと父母に暇を申し請け久能山へ上り玉ふこそ末代にも又有難きためしなれ。程なく登山の御山のありさまを細かに見玉ふに山も木も昔にかはらねども人のありさま行儀の作法すたれはてたる風情なり。我が植置きし若木も苔むして、なかりし草木も茂りつつ見し人はなくなり、幼かりし童の翁となるを見玉ふにこそ昨日の夢の心地して由無き袂は濡らし給ひける。大蔵を開かせて件の経を取り奉りて拝見し玉へば明鏡に向かって面を見るよりも明らかに疑ひなし。されば一字三礼の書写を始めてかき続玉ひけり。奥州の父母は明け暮れ戀く思し召し文の音信絶ずして下向遅しと待玉ふこそ親子の迷ひかと覚へて哀れなれ。僧正もさすが断と思召、現当二世の結縁ともなり、又妄執を止奉る心慰みと思召して、身長三尺二寸(136㎝)に地蔵を画き我が身を見ると思召して此の本尊を拝し奉玉へとて御返事に添て進ぜられけり。母上悦び給ひて信仰供養斜めならずありし。感應道交して平生夢想の告げありて万事を知らしめ玉ひけり。僧正は本願の經を果たして供養の文を宣べ玉へば、聞く人随喜の涙を流し在世の富楼那斯に現じて説法し玉ふやらん。香を説き色を説く、道場の枯木忽ち春和の氣を得つらんとぞ覚ふ。されば聴衆門前に充満し群衆稲麻の如し。これやこの釈尊霊鷲山にして妙法蓮華経の御説法のとき敗種(声聞・縁覚の二乗)の喩に比して永不成佛と嫌果てられし二乗の真是声聞の悟を開きて疑網皆除の講延かと疑はる。希代の供養珍奇の結願霊場と云ひ、再来と云ひ、疑を除くと云ひ、無碍遂行と申し、誠に四美具はり二難幷せてぞありがたし。已に供養も過ぎぬれば奥州より飛脚到来して急ぎ御下向ましませとて頻りに使をたてられければ理(ことはり)胸に徹りて、かくてもあらまほしく思し召しける御山なれども、父母の命に背き奉ること不孝の至怖ろしく恩を忘るる者畜生に異ならずと久能の御山を立ち出て平泉に下向ある僧正の御心の中たとへやるべき方ぞなき。僧正は下着ありて内に入らせ給へば父母の喜びかぎりなし。僧正常に人を集めて法門を説き、念比(ねんごろ)に諫め往生浄土の由々敷ことをのべ玉へば、心なき荒夷も自然に心融け罪を畏れ因果の理を会得し佛宝の尊く、僧宝の敬ふべく法宝のありがたき、三ながら皈入して目出たくこそなりにき。僧正母公に向て仰せけるは、凢そ佛法は無二とは申せども中間有相無相に分かれ唯其の行者の氣機に随って接得す。譬ば男女の形は別なれども本性の一なるが如し。只女人は堅く信を執りて一三昧(いっさんまい。雑念を去り一心に修行に専念すること)の念佛門に入り玉ふべし。帰敬し玉ふところ即ち西方阿弥陀佛是也。龍畜蛇身すら猶無垢の浄刹に生ず。韋提希是何人ぞ、希求(こひねがいもとむ)我身是也。されば彼の西方浄土に往生なさん無量壽如来の授記にあずかり玉はば、成仏豈疑はん。されども女人は五障三従とて。男に勝れたる重罪の候なり。此の外に又自然不審ともうすことのありて 物を疑ふ科ありて、はかなきこといたるまで曲りつつ直からず。心を先として苦しからざる事をも隠し妬み恨む意を種としてよろずの事を怨む。かかる障りの重きことかぎりなし。三従と申すは一、親従と云は少年の時は親の家に深く養隠し置かれて心ならぬ苦を受るなり。二に夫従と云は其の身成長ののちは夫の家に入り容顔盛ならんことを隠しつつみて夫の命に随従ひ我が身侭にならざる苦あり。三に子従と云は年老て立居につけて見苦しく万慮心に叶はず、万(よろず)に付けて憚り多し。子の室にありて扶持を待ち煩ふの苦あり。五障とは内外の胥(すべて)に付て十種ある中に女人不成仏ととき玉ふ(妙法蓮華經提婆達多品第十二「又女人身猶有五障。一者不得作梵天王。二者帝釋。三者魔王。四者轉輪聖王。五者佛身。云何女身速得成佛」)。これにましたる難あるべきや。是も只女人の心は妄執深ければ一念にひかれて或時は蛇身と成りて百千の苦を受けぬれば前佛の教に背き奉るべき謂れによりてなり。又虚妄と申してさしてのことにてなきことをも偽りかくして人をうたがひ人にも疑れて何こぞ晴もやらぬ路に迷て奈落の底に沈み浮かびもやらぬこそあはれあんれ。爰を佛に成らずとは説き玉ふなり。上の件の心を捨て玉ひて偏に正路を守り十善の道を願ひ玉はばなどか佛には成り玉はざらん、されば八歳の龍女すら須臾に成仏す。唯御心を強く持ちよろずに哀愍ましまして、深く地蔵の誓願を頼み奉りて信心にありの侭の御心を以て立ち居に佛を念じ僧を敬ひ、法を崇び玉ふべきなり。是則ち清浄戒と申して五百戒十重禁戒も皆此の中に含み侍る。常に心をしずめて彌陀を念じ極楽國に参らんと思召して口には地蔵の名号を唱奉り玉はば終には寂光無為に生じ玉ひて芥子ばかりも苦あるべからず。されば人の死するときは兼ねて思設けたる幾(いくばく)の事をも皆忘却して心身狂乱すれば天魔波旬来たりて其の魄を取りて悪道に行き無間に沈めんとす。只常に仏前にありて一心に小病小悩無垢世界成等正覚(妙法蓮華經提婆達多品第十二「當時衆會皆見龍女。忽然之間變成男子。具菩薩行。即往南方無垢世界。坐寶蓮華成等正覺。三十二相八十種好。」)と申すは生者必衰會者定離の習なり(蓮如上人御文「タトヒマタ榮花ニホコリ。榮耀ニアマルトイフトモ。盛者必衰會者定離ノナラヒナレハ。ヒサシクタモツヘキニアラス。タタ五十年百年ノアヒタノコトナリ。平家物語―十「生者必滅、会者定離はうき世の習にて候也」)。譬ば水上なる泡の有るか無きかの浮世なり。されば心に思ふ事の叶はずは御身一つもかぎるべからず。誰も叶はぬ此の国なり。一つ足りなば必ず十をばかけてまし。喜は必ず愁の本これほどに浅間敷心憂里に構て御心を留むべからず。念を止むるを輪廻とは申すなり。子を思ひ親を慕ひ申すを恩愛とは云ふなり。はかなき念にひかれてかかる物憂き里に存(ながらへ)たるを煩悩のきずなに係れたるに喩て浅間敷罪人とは申すなり、と念比に諫め玉へば母君愛子の説法なれば仮令よこしまに申させ給ふとも従ふべきに、況や聖教明白に演べ玉ひければ信受こまやかに在(ま)しまして、念仏礼拝怠なく信力佛意に契ひ、六十八にして四月中の五日に正念端座合掌して西に向ひ睡る如く臨終し玉へば花降り紫雲靉靆(たなびき)菩薩来迎音楽頻りにして、ありがたくぞ見へき。僧正、父に申させ給ひけるは、凢そ人身を受けぬることは譬もなき大事とこそ経の中にも見え侍るに、たまたま人間に生を受けさせ給ひて幸にかかる目出度き家に生み給ふ御ことは尋常ならぬ佛法値ひ難きに今いたずらに聞法をもなし玉はず徒に月日を送り玉ふは盲聾にことならずと色々に申させ玉ひければ、父の玉ひけるは、されば吾若き時より是の如きの謂(いはれ)を知らず、八旬に逼り愚の極りなき身のいかんすべきや。僧正の云く、誦経習学今更に老躰にかなひ難し。念佛三昧は御口をもしとの玉へば力に及ばず。但し六度万行の中には静慮定と申すは是第一と見へたり。御手を洗ひ口をもすすぎ、御足をひきしきて御手を組み目を閉じて佛像に向ひ奉り端座し黙然として睡り来たり睡り去るとも一念も動かさずして、念中に罪あることの来たらば早く改悔を申し、万事を打ち捨て玉ひつつ諸縁を起こすことなく、空寂として行じ安然として坐し玉ふべし。是を静慮定と申して目出度き行道にて侍るなり。自然成仏とて第一の法なりとてすすめ玉へば、父此の修行を信受して日夜に彼の一三昧の定をぞ修せらる。去れば其の行成就して行年八十五と申しける八月十五日に端座合掌して入滅し玉ふ。奇瑞さまざま有難き往生なり。されば如来も棄恩入無為真実眞實報恩者と説き玉へり
(四分律刪繁補闕行事鈔・道宣撰・沙彌別行篇第二十八「欲出家者著本俗服。拜辭父母尊者訖口説偈言。流轉三界中恩愛不能脱。棄恩入無爲眞實報恩者。乃脱俗服。」)凢そ犬馬にいたるまでみなよく養ことあり。敬せずんば何を以てか彼と別たん。敬するに無為を以てし、養ふに法味を以てせば其の大孝豈之に如んや。しかのみならず過化存神(「孟子・尽心篇上」に「夫君子所過者化、所存者神、上下与天地同流=それ君子の過ぐる所の者は化し、存する所の者は神なり、上下は天地と流れを同じうす」)の徳一國に充満し郷人悉く仏道に皈入してければ釣すれども網せず、弋((よく)は矢に糸を付けた短い矢で、鳥を絡め捕らえるためのもの)しても宿りを射ず(論語・述而第七「子釣して綱せず。弋して宿を射ず」)因果歴然の道理をしりて念佛流布の里とぞなしぬ。角て僧正二親の所帯等悉く彼の久能寺に御寄進ありて菩提の資量となされける。かかりしかば彼の上人國ありても必ず聞こへ室に御座すに名誉ありて偏に下化衆生の應作なり。行年八十二の仲春二十四日の寅の一點(午前四時頃)に終に入寂し玉へり。入棺の後傳法の衆、御名残惜しみ開て見奉れば錫杖のみありて御正体はましまさず。さてこそ地蔵薩埵の應迹とぞ申し侍りけれ。其の持尊幷御自筆の地蔵今に至るまで欧州に現在し玉へり。久能寺にもありけるとぞ。されば物の哀れも知り、事の理非を辨へ玉はん人々の御為に地蔵菩薩にみやずかへ奉りて不思議の御利生にあずかり玉ひし事の端も聞も知らせたてまつらんために戯れながらも此の薩埵を頼み奉り結縁をも成り参らせ玉へと申すばかりに其の奇特ばかりを書き留め侍る。全く其の寺の縁起の為にもあらず。法門流布のためにも記し申さず。利益済度の方便のありがたきことを傳聞く事に任せて是の如くなるのみなり。伏して願くは聞見の人、因果を怖れ真も路に入り玉へ。草を結んで寺と名くる、戯れに南無と戯言しあざけりて地蔵と唱へ玉ふとも皆成仏道の金言、豈徒然なるべきや。然る故に彼の經に曰、若し一人も残れば我成仏せず(無量壽經優婆提舍願生偈註 ・ 曇鸞「若有一衆生不成佛我不作佛」)と誓給へり。誰か信ぜざらんや。仰ぐべし尊ぶべし。
地蔵菩薩三国霊験記巻十一終。