・菩薩摩訶薩は常に愛眼もて諸々の衆生をみればなり。もし衆生悪を抱き、菩薩の所に於いて怨逆の心を起こさば、菩薩摩訶薩は、一切衆生の為に善智識となりて広く為に諸々の深妙の法を分別す。たとえば大海の一切の衆毒も壊すことあたわざるがごとし。菩薩もまたまたかくのごとし、一切の童蒙愚痴にして智なく、恩を報いることを知らず、・・かくのごとき等の類の無量の過悪も菩薩の道心を動乱すること能わず。
・菩薩摩訶薩はまたこの念をなす。「一切の衆生は無量なる諸々の不善業をなす。この業によるがゆえに無量の苦を受け、如来を見奉らず、正法を聞かず、浄僧を識らず。この諸々の衆生には具さに無量の大悪罪業ありて、まさに無量無辺の苦を受くべし、われまさに彼の三悪道の中において悉く代わりて苦を受け、解脱を得せしむべし。われまさに代わりて無量の苦を受けるも苦の故を以て心退転、恐怖、懈怠せずして衆生を捨離せざるべし。
・菩薩摩訶薩は、もし家にあるとき、妻子と共なるもいまだかって暫くも菩提の心を離れず。・・本の大悲をもってのゆえに在家の属し、大悲をもってのゆえに妻子に随順するも、菩薩の浄道において障礙するところなし。・・(華厳経、金剛憧菩薩回向品第二一)
・菩薩摩訶薩はまたこの念をなす。「一切の衆生は無量なる諸々の不善業をなす。この業によるがゆえに無量の苦を受け、如来を見奉らず、正法を聞かず、浄僧を識らず。この諸々の衆生には具さに無量の大悪罪業ありて、まさに無量無辺の苦を受くべし、われまさに彼の三悪道の中において悉く代わりて苦を受け、解脱を得せしむべし。われまさに代わりて無量の苦を受けるも苦の故を以て心退転、恐怖、懈怠せずして衆生を捨離せざるべし。
・菩薩摩訶薩は、もし家にあるとき、妻子と共なるもいまだかって暫くも菩提の心を離れず。・・本の大悲をもってのゆえに在家の属し、大悲をもってのゆえに妻子に随順するも、菩薩の浄道において障礙するところなし。・・(華厳経、金剛憧菩薩回向品第二一)