福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

各省幹部公務員の不祥事が頻発

2020-06-13 | 法話
最近またしても各省幹部公務員の不祥事が頻発しています。現役最高幹部の破廉恥罪や汚職罪的な行動、いたいけな幼児を殺傷する交通事故を起こしても恬として恥じないOB、等々当方も霞が関にいたものとして恥ずかしい限りです。
役人の質が落ちるということは国家的大損失です。しかしこれは明治以来の教育制度が生んだもので宿痾は深いものがあります。昭和6年に安岡正篤がつくった「日本農士学校設立の趣旨」なる一文があります。今日の世相にぴったりですので記録しておきます。「日本農士学校設立の趣旨。人間に取って教育ほど大切なもののないことは言ふまでもない。国家の命運も国民の教育の裡に存すると古人も申して居る。真に人を救ひ世を正すには、結局教育に須たねばならぬ。然るにその大切な教育は今日如何なるありさまであろうか。
 今日の青年は社会的には悪感化を受けるばかりで、その上に殆ど家庭教育は廃れ、教育は学校に限られて居る。そして一般父兄は社会的風潮である物質主義功利主義に識らず識らず感染して、只管子弟の物質的成功、否最早今日となっては卑屈な給料取りたらしめんことを目的に(実は今日それも至難になってきて居る)力を竭して子弟を学校に通はせる。その群衆する子弟を迎へて学校は粗悪な工場と化し、教師は支配人や技師、甚だしきは労働者の如く生徒は粗製濫造された商品と化し、師弟の道などは滅び、学科も支離滅裂となり、学校全体に何の精神も規律も認めることが出来ない。その為に青年子弟は、何の理想もなく、卑屈に陥り、狡猾になり、贅沢遊惰に流れ、義理人情を弁へず、学問や道に対する敬虔の念を失ひ、男児に雄渾な国家的精神無く、女子に純潔な知慧徳操が欠けてしまった。これで我等民族、我等の国家は明日どうなるであろうか。・・・」

この明治以来の教育の荒廃ぶりはいまでも引き継がれ、東大の教養課程でも倫理や印度哲学などを必須科目とはしていません。入学試験・公務員試験・司法試験等で深い倫理を問うものはありません。人事院の研修でもそのようなものは取入れらていません。それは当然です、出す側の試験官がそういう人生を深く真摯に考えるという問題意識を持たずに出世主義という浅薄な人生観で育ってきているのですから。しかも最近では市場原理主義者の「小さい政府」主義の跋扈や内閣人事局という日本的なスポイルシステムまで完備され、政治の個利により人事がなされるようですから、こういう公務員の劣化は一朝一夕には治りません。

ではどうすればよいのか、個々の公務員が人生を全うしたいと思うならば日本民族を古来から陶冶してきた信仰を持つべきと思います。神道でも仏教でもいいのですが民族の歴史が詰まっている信仰を持ち、先祖に見守られつつ日々の公務に勤しむべきと思います。長い公務員生活では様々な「魔」がさすことがあります。この時にいかにこの「魔」から逃れられられるかで公務員生活を全うできるか否かが決まってきます。何十年も前、公務員であったころ重要法案の責任者だったことがありますが、そのとき国会職員の人に「これからは身の回りに気をつけなさいよ。仕事はできても最後に身を誤った幹部を何人も何人も見てきていますから・・」と言われたことがあります。以前「福来友吉博士訳 ゴーンウエスト」だったと思いますが、地獄の悪霊が地上のいろいろな聖職者等に取り付いて悪行をさせる、という下りがありました。皆さん「魔」に魅入られて沈没したのです。是を逃れ得るのは信仰しかありません。
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