往生要集上
(十楽)
一、聖衆来迎の楽
・・・およそ悪業の人の命尽くる時は、風・火まず去るがゆえに動熱にして苦多し。善行の人の命尽くる時は、地・水まず去るがゆえに緩慢にして苦なし。いかにいはんや念仏の功積り、運心年深きものは命終の時に臨んで大いなる喜おのずから生ず。しかるゆえんは弥陀如来本願をもってのゆえにもろもろの菩薩、百千の比丘集とともに、大光明を放ち、皓然として目前にまします。時に大悲観世音、百福荘厳の手を申べ、宝蓮の台をげて行者の前にいたり給ひ、大勢至菩薩は無量の聖衆とともに同時に讃嘆して手を授け、引接したまふ。
このとき行者目のあたり自らこれを見て心中に歓喜し、身心安楽なること禅定にいるが如し。・・
(十楽)
一、聖衆来迎の楽
・・・およそ悪業の人の命尽くる時は、風・火まず去るがゆえに動熱にして苦多し。善行の人の命尽くる時は、地・水まず去るがゆえに緩慢にして苦なし。いかにいはんや念仏の功積り、運心年深きものは命終の時に臨んで大いなる喜おのずから生ず。しかるゆえんは弥陀如来本願をもってのゆえにもろもろの菩薩、百千の比丘集とともに、大光明を放ち、皓然として目前にまします。時に大悲観世音、百福荘厳の手を申べ、宝蓮の台をげて行者の前にいたり給ひ、大勢至菩薩は無量の聖衆とともに同時に讃嘆して手を授け、引接したまふ。
このとき行者目のあたり自らこれを見て心中に歓喜し、身心安楽なること禅定にいるが如し。・・