福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

徳大寺實能熊野詣の事幷こりさほの事

2022-03-09 | 法話

「古今著聞集 神祇第一」「徳大寺實能熊野詣の事幷こりさほの事」

「いつごろのことにか、徳大寺の大臣(注1)、熊野へ参り給ひける。讃岐国知り給ひけるころなりければ、かれより人夫多く召しのぼせて侍りけるが、おほく余りたりければ、少々返し下されける中に、或る人夫一人、頻りに歎き申しけるは、「高き君の御徳によりて、幸に熊野の御山拝み奉らんことを悦思ひつるに、余され参らせて帰下らんこと、悲しきことなり。ただまげて、召し具せさせ給へ」と奉行の人に言ひければ「さりとては余りたれば、さのみは何の用にせんぞ」と言ひければ、泣く泣く愁へて、「ただ御功徳に食ばかりを申し与へ給へ。いかにも、宮づかひは仕り候ふべし」と、ねんごろに申しければ、哀れみて具せられけり。げにも、かひがひしく、宿々にては人もおきてねども、諸人が垢離の水を一人と汲みければ、「こりさほ(注2)」と名付けて、人々もあはれみけり。

さて、大臣参り着き給ひて、奉幣はてて、証誠殿の御前に通夜して、参詣のこと随喜のあまりに、大臣の身に藁沓・脛巾(はばき)を着して、長途を歩き参りたる、ありがたき事なり、と心中に思はれて、ちとまどろまれたる夢に、御殿より高僧出で給ひて、仰られけるは、「大臣の身にて、藁沓・脛巾して参る、ありがたきことに思はるる事、この山の習ひは、院・宮(注3)、みなこの礼なり。あながちに独り思はるべきことかは。こりさほのみぞいとほしき」と、仰せらるると見給ひて覚めにけり。

 

驚き恐て、そのさほのことを尋ねらるるに、「しかじか」と始めよりの次第申しければ、あはれみ給ひて、国に屋敷など、永代限りて宛給ひけり。

いやしき下臈なれども、心をいたせば、神明あはれみ給ふこと、かくのごとし。」

 

  • 注1。徳大寺の大臣。藤原實能。徳大寺家の祖。待賢門院の同母兄。久安3年(1147年)徳大寺を建立し、徳大寺左大臣と称された。
  • 注2。こりさほ。垢離竿か。
  • 注3。院・宮。上皇や親王。
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