福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・8

2024-01-08 | 諸経

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・8

六、枷鎖の難

「設復有人。若有罪若無罪。杻械枷鎖檢繋其身。稱觀世音菩薩名者。皆悉斷壞即得解脱」

「設復」とは、「設」は不定の辞。復は上に対して重する言なり。

「若有罪若無罪」とは唯無罪の繋縛を被るを救ふのみにあらず、有罪の繋縛をも救ふと彰さんがためなり。

「杻械枷鎖」とは手を禁じて動かさざるは「杻」なり。てかせと訓ず。脚を勒めとるは「械」なり。あしかせと訓ず。頸をはさんで不自由ならしむるは「枷」

なり、くびかせと訓ず。身に遍ふして縛するは「鎖」なり、謂く鐵を以て造る縄なり。

「檢繋其身」とは「繋」は縄をかくるなり。「檢」は封檢の義にして縛せる上に封を著けて後に檢(かんがへ)へて其の非を作すや否やといふことを知るなり。是憂の重きことを云なり。初めより是に至るまでは苦を明かす。

「稱觀世音菩薩名者」とは、立行なり。前の「苦」に合して是機を明かす。

「皆悉斷壞即得解脱」とは、應を明かす。「皆悉」の二字は上の「杻械枷鎖檢繋其身」にかかるなり。如上の重き難も皆悉く解脱すと云て應の周きことを明かすなり。應験傳に曰く、山陽縣の蓋護と云ふ者、獄に繋がれて死罪に定まりしに、観音を念ずること三日三夜、心に間(ひま)なかりしかば即ち現に観音の光を放ち玉ふを見て、鎖脱け獄門自ら開く。光を尋ねて走り去るに、行くこと二十里にして光明やみぬ。又宋の呉郡の張暢は南譙王劉義宣(劉義宣  415?~454南朝宋の南郡王。武帝の第6子。はじめ竟陵王に封じられ、後に南譙王に転じ、444年に荊州刺史となり江陵に鎮した。 孝武帝の挙兵に従って劉劭を誅し、丞相・揚州刺史を拒んで湘州刺史を加えられ、南郡王に改封された。 翌春に江州刺史臧質・豫州刺史魯爽・兗州刺史徐遺宝らと挙兵したが、夏に江陵で敗死した。)が司空長吏となる。譙王、梁山の戦敗れて、王及び張暢、獄に繋がる。暢、普門品を誦すること千遍せしかば、鎖寸寸に断て不日に即ち赦さる。已上。宋書の五十九の張暢が本傳には、尋で見原(ゆるされ)て復た起って都官尚書と為て、侍中に轉ず、乃至大明元年(457)に卒すと云へり。侍中は天子の左右に陪侍して常に上の旨を承はる官なり。禁獄を許さるるのみにあらず、却って上官を授けらる。豈に観音を信ずる利益に非ずや。若し観心に約せば、一には果報の「杻械枷鎖」。謂く地獄は擧體極苦の牢獄なり。鬼及び畜生、皆籠繋の難あり。鳥は籠に閉られ獣は柵に入れられ牢に繋がる。蟋蟀(きりぎりす)は聲の故に捕られ、鷹隼は殺の故に絆がる。覊鳥(つながれた鳥)𦾔林を戀、池魚故淵を思ふ憂、誠に堪へがたき苦みなり。修羅は帝釈と戦ふて五縛を被る。北州と天上とには此の難なかるべし。されども第六天の魔王すら優波掬多の為に五縛をかけられて上梵天までに至って解せんことを乞へども梵王の神力も羅漢の道力に及ばざれば叶はず。遂に本處に帰て尊者に帰依して脱るることを得たり。況や其の餘をや。二には悪業の「枷鎖」。謂く過現巳造悪業、心首を繫縛すること鐵鎖にも過ぎたり。能く戒定を妨げ、又智慧を覆ふ。(周利槃特の過去に法師りし時、一の妙義を隠密せしに由て天性魯鈍なりしが如し)。能く善心を破壊し弥よ悪業を増長せしむ。若し菩薩の名号を念じ禮拝恭敬して事の懺悔を作し、或は一心三観を以て悪業の實相を観ずる時は、衆罪日の前の霜露の如くにして忽に消滅す。三には煩悩の「杻械」。謂く見思は空智を結縛して三界の有情を苦しめ、塵沙は假観を検繫して二乗及び偏の菩薩を不自在ならしめ、無明は中智を牢籠して大涅槃に優遊せしめず。かくの如き難にも一心に中道の観音を念じて精進勇勤なるときは、必ずその應あるものなり。

 

 

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