福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日12日から18日は筥崎宮放生会です

2024-09-12 | おすすめ情報

今日12日から18日は筥崎宮放生会です。筥崎宮のホームページには「春の博多どんたく・夏の博多祇園山笠とならび博多三大祭りに数えられる筥崎宮放生会は「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りです。その起源は「合戦の間多く殺生すよろしく放生会を修すべし」(注)という御神託によるもので、千年以上続く最も重要な神事です。また、一年おきに福岡市無形民俗文化財指定の御神幸(御神輿行列)が行われ、七日間の期間中は参道一帯に数百軒の露店が立ち並ぶ、九州随一の秋祭りです」とあります。

『金光明最勝王経』長者子流水品には、釈迦仏の前世であった流水(るすい)長者が、大きな池で水が涸渇して死にかけた無数の魚たちを助けて説法をして放生したところ、魚たちは三十三天に転生して流水長者に感謝報恩したという本生譚が説かれています。六度集経第三、雑寶蔵経、梵網経等にも放生は説かれています。こういう御経を受けて放生会は中国の天台大師智によって始められ、わが国では、天武天皇5年(677年)8月17日に諸国へ詔を下し放生を行わしめたのが初見とか、持統天皇[689年]の御代に、全国各地に放生所を定めて、法会を行ったのが始まりとかいわれています。しかしウィキぺヂアに依れば「殺生を戒める風はそれ以前にも見られたようで、敏達天皇の7年(578年)に六斎日に殺生禁断を畿内に令したり、推古天皇19年(611年)5月5日に聖徳太子が天皇の遊猟を諫したとの伝えもある。聖武天皇の時代には放生により病を免れ寿命を延ばすとの意義が明確にされた」とされています。



 (注、八幡宮宇佐御託宣集(13世紀)には何度も御託宣に「放生すべし」と出てきます。
たとえば、「聖武天皇元年甲子託宣したまはく。吾この隼人等を多く殺却する報には年別に二度放生会を奉仕せんてへり。一万度の放生のこと畢りぬ。眷属を引率して浄刹に送らんてへり。扶桑略記第二にいわく、養老四年九月征夷のこと有り。大隅・日向両国乱逆す。公家宇佐八幡に祈請す。その祢宜辛島勝波豆米、神軍を相率ゐ、彼の国を行きその敵を打ち平ぐ。大神託宣したまはく。合戦の間、多く殺生を致す。宜しく放生を修すべしてへり。諸国の放生このときよりはじまる。・・。称徳天皇二年天平神護二年日丙寅正月十二日に託宣したまはく。新羅国の訴えによりて大唐国一千の船に軍兵等を乗せて日本国に遣わす。責め罸すべき由、宣旨あり。仍って神吾、大唐国にわたって八か年の間、疫気を発す。然れども宣旨を下してより以後、件の疫気留まる。明年件の軍来着すべき日、西風を吹かしめて我が城に狩入れて来り。以て滅亡せんものぞ。即ち一日一夜夜に城の嶋を建立する間、多く生類を滅亡せり。これにより毎年放生会を勤行して彼の含霊を覚岸にいたらしめんてへり。・・」

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