今日は十斎日で六歳日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守 . . . 本文を読む
・二に正思惟というは苦集滅道の四諦のこと。四諦というて三界は皆苦なり、その「苦」は煩悩業で集めるから「集」という。涅槃は滅諦であるから涅槃寂静の境界に契ふを「滅」といふ。それに契ふ行がある。それを「道」といふ。その苦集滅道の四諦は羅漢方が観ずるゆえに小乗であかす所、四諦を観ずるとき、無漏の心相応して能々物の道理を思惟してそうして考えが増長して涅槃という彼岸境界に至られるそれを正思惟という。思も惟も . . . 本文を読む
神仏は心の中にいらっしゃいます。
「大方廣佛華嚴經夜摩天宮菩薩説偈品第十六」には「心佛及衆生 是三無差別」とあり、
「修証義、第五章 行持報恩」には「いはゆる諸仏とは、釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏、これ即心是仏なり。過去・現在・未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是仏なり。」とあります。
即心是佛は大乗仏教の根幹です。
そして神道でも、中世では本地垂迹説を期に . . . 本文を読む
華厳経巻二十六、十地品第』二十二ノ四「・・欲界色界無色界という衆生が流転する三つの世界はただ貪る心があるから存在するように見えるだけである。生死流転のもとになっている十二因縁は一心のうちに有るのだとわかれば、生死は、ただ迷いの心より起こっているとわかる。迷いの心をもし滅することを得れば、生死も則ちまた尽きることになる。」
「原文・・三界はただ貧心に従ってありと了達し、十二因縁は一心のうちに有と知 . . . 本文を読む
(無常の観想について)いかに観ずるかというと、先ず世間の法はみな因縁より生じたものだ、因縁より生じたものには自性がない、自性なき者は無常である。「あすありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは」。明日も桜の花が咲いておるともうても今夜雨が降ったり風が吹いたら明日は花はなくなる。その如く一切無常ならざるものはない。無常なるものは必ず無我である。・・お互い死なぬつもりで春は花、秋は月にと戯れて己が己が . . . 本文を読む
今朝、NHKこころの時間で元春日大社権宮司の岡本彰夫氏の大変いい話がありました。数項目思い出すままに記しておきます。
「・50代で本当に人の役に立つことをやりたいと改めて思った。
・上へ上へいくことを目指すのでなく、奥へ奥へと進みたい。
・供養のことを「ともらい」ともいうがこれは「訪う」こと、思い出してあげること。
・「中今」は続日本紀の聖武天皇のお言葉で大切な考え、過去・未来につながっている今、 . . . 本文を読む
本日の定例会模様
今日は靖国神社の例大祭の初日ということでまず靖国神社にお参りしました。予想に反してあまり人出はなく本殿も並ばずに参拝できました。作務衣でお参りしましたが神官の方々も特別の目で見ることもなく、気持ちよくお参りできました。般若心経と光明真言を心を込めてあげました。今月の社頭掲示は以下のようなものでした。「遺書 海軍少尉 上田兵二命 絶筆 出撃寸前 謹呈 小生いよいよ出撃突入す 遺品送 . . . 本文を読む
華厳経巻二十六、十地品第二十二ノ四「。「有情が経めぐるという、地獄から非有想非無想処までを含む、欲界・色界・無色界という三界すべては虚妄であり、ただ一心の作り出したものである。そして苦の発生現認とされる十二縁分(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)も心によるのである。(原文・・『三界は虚妄にしてただ一心の作なり。十二縁分は是皆心による。』)」 . . . 本文を読む
「五根の荘厳のゆえに深く信じて堅固に精進して懈らず、常に迷妄なく寂然調順にして諸の煩悩を断ず。」
五根とは信進念定慧の善根のこと。今この五つを善とのみいわずして根というはわけのあることで、世間の慈善事業、布施などは善ということができるけれども根ということは出来ぬ。何となれば今善根というは前に述べた四正勤(断断 - 既に生じた悪を除くように勤める。律儀断 - まだ生じない悪を起こさないように勤める。 . . . 本文を読む
靖国神社春の例大祭は4月21日から23日までの3日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・直会の諸儀が斎行されます。
当日祭に先立って斎行される「清祓」では、神職はもとより祭儀に用いる諸具に至る一切が祓い清められます。当日祭では、生前、お召し上がりになっていた御饌神酒や海の幸、山の幸などの神饌50台をお供えして神霊をお慰めし、平和な世の実現を祈ります。また、この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が . . . 本文を読む
「神足の荘厳のゆえに恒に身心をして軽安快楽ならしむ」
これは四神足即ち三十七道品の中の四神足じゃ。神というは不思議なこと。この神変不思議なことはどうして起こるかというと禅定の功が積むと自然と智慧が明瞭になり遂に通力自在になる。通力自在になると心の思う通りになるからこれを神足とも如意足ともいう。・・我が思う通り空を飛んで行こうと思うと行かれる、それから他心通というて他の心を知ろうとおもえば知られる。 . . . 本文を読む
華厳経巻二十五、十地品二十二ノ三「・・菩薩の天眼は・・諸々の衆生の此処に死し、かしこに生ずるを見る。形色の好悪と、貧賤なると富貴なると、善悪の道に赴くこと、業に従いて報をうけることとを皆実の如く知る。」 . . . 本文を読む
最近の高位高官の人々の恥ずかしい女難の記事を見るにつけて以下のような記事を編集しました。(私自身も現役の時様々な危機に遭遇していますが、観音様や御大師様ご先祖さまを拝んでいたおかげで無難に過ごすことができました。)
・(最上授所問経)「異性を見たならば、次の三つの思いを起こすべし。異性は戒の障害である。異性はサマーディの障害である。異性は智慧の障害である。」
・(月上童女所問経)には、次のように . . . 本文を読む
「高山に登るのは笠もいれば草鞋も用意せねばならぬ。この種々の品物を揃えるは目的ではないが富士山へ登るという目的をはたさんがために杖笠等を揃える。これを万便助道という。今もその如く涅槃という高山に登り真如の月をながめんとするには弁当杖笠の用意をせねばならぬ。ところが世間と違って涅槃へ行く道を助けるものは弁当ではない、金でない。ただ三十七の道品である。
(三十七道品とは
・四念住(四念処、四種の観想) . . . 本文を読む
華厳経巻二十四十地品第二十二の二
「是の菩薩は復た是の思惟をなす。此の十不善道は、上は地獄の因縁、中は畜生の因縁、下は餓鬼の因縁である。中において
・殺生の罪は能く衆生を地獄・畜生・餓鬼に堕さしむ。若し人に生じても二種の果報を得る。一は短命。二は多病。
・劫盜の罪もまた衆生を三惡道に落す。若し人に生じても二種の果報を得る。一は貧窮。二は共財において自在ならず。
・邪婬の罪もまた衆生を三惡道に堕す . . . 本文を読む