第三十 高祖恩徳章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・39
高祖大師一代の行果を伺い、無比の誓願を仰ぎ奉るに悉く是れ摂化の妙業大悲の本願ならざるはなし。其の発心の初め、仏前に祈誓して不二法門を感得し命を万里の蒼海に殉へて鉄塔の教風を承け真言秘密の法、曼荼灌頂の道を吾が扶桑国に流伝し給えり。遂に乃ち龍華三会の暁を期し身を百千に現じ影を万億に分かちて広く法界の衆生を利益せんがための故に . . . 本文を読む
「・・たとえば庭園の芝生が陽春の気候になると緑の芽を生じ繁茂して冬期には枯槁して死し了り春は新たに生まれ、冬はまた死して了うという様に外面よりは見ゆるが然れどもその地中の中の芝の根の方は矢張り何十年昔から消滅せぬ生命を有しておる。それの如く衆生の中の生命が全く生滅するとみゆるは外面から見ゆるので、その精神内面には永恒不滅の生命を根とし居る。(古来人生を外面から見て消滅するものとする説と、自我の根本 . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・38
(三密の功徳)
問。三密の中意密一つだにあらば身・語の二密なくとも成仏することを得べし如何?
答。意業観念の一つにて成仏すといふは顕教の意なり、真言密教の義には非ず。総じて顕教は真如を体とする故に定を修して智を起こし智に依りて真如を証するを究竟の仏果とす。真如は無相平等の理なるが故にこの理を証する時、空寂に帰して虚 . . . 本文を読む
「小乗の説では「業」が人生の根本という。(しかし業を為すものは何かということが説かれてない)
権大乗・法相家の説に依れば阿頼耶識という心的存在が万物の本源にて・・一切衆生尽くこの識を本として存在する。これが生の本体である。(しかしこの説も終局的真理ではない)
一乗教によれば、一切衆生心の体は仏性とも如来蔵とも名けて個々の本体は絶対唯一の心性体である。故に自己の心性を開発すれば各々悉くこれ佛である。 . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・37
(真言の信心とは、佛・法を信じ切る事)
問。信心の相、如何?
答。信心といふは佛を信じ、法を信ずる也。佛は大悲の故に妄語し給はず、法は仏説なるが故に誤なしと念ずる、これを信心といふ。・・大毘盧遮那成佛經疏卷第三入眞言門住心品之餘にいはく「深信とは梵音には捨攞駄といふ。是れ事により、人によるの信なり。長者の言を聞くに . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・36
(真言行者の三種菩提心)
問。龍猛菩薩の菩提心論によるに真言行者は勝義(智慧)・行願(慈悲)・三摩地(願心)の三種の菩提心を発すべしと見られたり。(金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論「諸佛菩薩。昔在因地。發是心已。勝義。行願。三摩地爲戒。乃至成佛。無時暫忘。唯眞言法中。即身成佛故。是故説三摩地於諸教中。闕而不言。一 . . . 本文を読む
シュバイッツアー「生への畏敬」1923年
・漫然と無意味な生活を送っている我々は引き綱に絡まってもがいている倒れた馬に似ている。我々は物質的な条件を変えたり、組織を改めたりすることによって、当面の難問題を解決しようとするが、効果は全然あがらない。倒れた馬をひきおこすにはまず馬具をはずしてから頭を支えて立ち上がらさなければならならない。われわれが再び正道に立ちかえるためにも、救いは物質的条件になぞに . . . 本文を読む
出雲大社の福神祭は、旧暦の大晦日から元旦にかけて大黒様の福を頂くべく神楽殿にお籠もりするお祭りです。
出雲大社のホームページには「平成31年(2019年)の福神祭は2月5日(火)午前1時から。2月4日(月)の深夜のお籠もりになります」とあります。
. . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・35
(真言行者の安心)
問。真言行者の安心は凡聖不二の観に住するにあり。因より果に至るまで総じてこの観心をはなれずと。しかるに初心の行者は凡聖不二の理を解せず、証せざるが故に、凡聖隔歴す。究竟の仏果に至りてはじめて凡聖不二の理を証す。何ぞ観心、初後始終に通ずといふべけんや。
答。真言行者初め阿闍梨の開示を蒙りて凡聖不二 . . . 本文を読む
大薩遮尼乾子所説經卷第五では、大薩遮尼乾子(元ジャイナ教修行者・ここではお釈迦様の弟子)が嚴熾王の戦争に関す る問に答えたが、お釈迦様がその答えを正しいと証明されています。王の質問は反逆者や外国王が侵略せんとした時の対処を問うものでした。これ に 封 し 大 薩 遮 は 「先 ず 国 王 は 、危 機 の 初 期 、中 期 及、末 期 に分けて考え、危 機 の 初 期 に お い て は、戦 争 . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・34
(真言宗には三十六流とも百流ともいわれるほど分派があるが、山高れば谷深く、源深ければ派分かれるは自然の理。事相教相に亘って多くの分派を生ずるはこれ即ち高祖大師所伝の真言密教が深高無際なる故である。)
問。真言宗には幾多の分派これはあるは如何?
答。高祖弘法大師御入定の後、久しからずして野沢二流(小野、廣澤)に . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・33
(善無畏三蔵、一行禅師の両祖を付法の相承の正嫡に加えていないのは弟子がなかったり,師が違ったりしているからで、両祖をくわえて「住持の八祖」を守覚法親王が大師の略付法伝の意を汲んでつくられている)
問。何故に善無畏三蔵、一行禅師の両祖を付法の相承の正嫡に加えざるや?
答。古来二種の八祖を立つ。いは . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章の続(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・32
(密教は龍猛菩薩が南天竺の鉄塔に入りて金剛薩埵より相伝されたとするが実在を確かめた人はいない、しかしこれは神力所変の塔なるがゆえに機あらば顕れ、機なければ隠る。隠顕出没自在である。)
問。真言密教を閻浮に流伝することは其の源、龍猛菩薩南天竺の鉄塔に入りて金剛薩埵より相伝したまへるに始まるといふ、しか . . . 本文を読む