SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

関西詣で 11  学園前にて

2010-07-11 | 旅行
学園前は私が未就学児から小学校の3年生まで過ごした町だ。
学園前という名称は駅裏にある帝塚山学園から来ている。
緑豊かな丘陵地で、当時は駅から1キロほど行くと山林だった。
近鉄の社長であった佐伯さんの豪邸があった場所で、
私が住んでいたのは、駅から500mほどの鶴舞団地だ。(公団)



私が住んでいた頃の学園前には「鹿のマークの特急」は停車しなかった。
鶴橋を出ると、西大寺までノンストップの速達ぶりを誇っていた。
最初は、生駒トンネルがまだ小型トンネルだったので、大阪から直通する特急は
800系だった。
その後、生駒トンネルが大きなものに変更されて、大型車8000系の特急が
走るようになった。
まだクリーム色に青い帯を巻いていた頃だ。
やがて私が大阪に引っ越したあと、奈良線に有料特急が走り始め、
従前の鹿の特急は、快速急行に変更された。
その時には、学園前に停車することになったのだ。

今は、奈良県内で最大乗降客数の駅になっている。




駅前のバスターミナルからはバスが頻繁に出入りする。
朝7時から8時までの1時間の乗り入れ数は126本もある。
朝は駅に向かう道路はバス、タクシーのみ通行可能の1方通行になるという
大胆な交通規制を行っており、バスが並んで駅に入ってくる風景が
見られるという。

ただ町の北方に、近鉄けいはん線の駅が延伸開業したために、
学園前への流入は減ったようだ。




奈良交通(近鉄)バスに乗り大渕橋へ向かう。
前のり、前降りであった。

大渕橋の上から大渕池を望む。
左側が元近鉄社長佐伯さんの居宅。
今は美術館になっている。

このあたりは、子供の頃によく遊んだ場所だ。
付近のおんたけさんにはクワガタを取りに行った。
木津行きのボンネットバスだった。




佐伯邸の玄関だ。
今は使われていないようだ。

佐伯社長は東大を出て、鉄道の現場で駅員、運転手、総務部庶務課を経て総務部長から
社長に登りつめた生え抜きの社長だったので、鉄道のあるべき姿を具現化することに長けていた。
鉄道マン社長なのだ。
近鉄は今でも、鉄道鉄道している会社だ。




大渕池をぐるっと一周した。
周りの家は超豪邸だ。
ただ豪邸といってもケバケバしい成金仕様の家があるわけではない。
とにかく落ち着いた日本風家屋が多く、東京の田園調布のような町とも違う。
不思議な感じがする町だ。

池の南側に、カフェを見つけた。
家を改造しているようだ。
「カフェ花猫」という名前。
残念ながら定休日だった。









実は、ネットで知り合ったhirobotさんが7/10にライブ出演する店なのだ。

http://weblog.seki.net/

hirobotさんには一昨年に学園前でお会いした。
私と同じドラムを叩く人で、ジムカーナでは近畿のチャンプ、勿論、無類の
音楽好きで、学園前在住ということで、とても親近感のある方だ。
今回、ひじょうに忙しいということで会うことはできなかったけれど、
出演するお店は見ておきたいと思ったのだ。
今回は女性ヴォーカルと二人での出演で、hirobotさんはギターだ。
音源を聴かせてもらったが、穏やかな風が流れているような
ゆったりした気分になれる演奏だった。
hirobotさんのブログにある「Sunday Morning」という曲を聴いてみてください。





とにかく暑い日だった。
昼食もまだだったし、涼しい場所に避難しようと思ったのだが、
やっと見つけたレストランも貸切中だった。

そのまま倒れそうになりながら、鶴舞団地に向かった。

ここは私が育った公団団地だ。
この団地は昭和37から入居開始なので、私が住んだのは出来て間もない頃だ。




いろいろな形の住居棟があるが、これは小型のもの。





滑り台も古いものだ。
昔の滑り台はコンクリ製だった。
団地にある公園の遊戯施設は魅力的だ。
あまり変わっていないのがいい。






小窓がずらっと並ぶデザインが面白い。
大体は2DKが中心の時代だ。




私の住んでいた35号館

もうひとつ思い出としては、夏になると毎年のように断水してしまうこと。
奈良には大きな川がなく、水が枯渇しやすかった。
木津川から取水していたのだが、干上がってしまうことがあった。
タンク車がやってきて、バケツを持って並んだのだ。
そのタンク車はガソリン用などのタンク車だったので、もしかしたら
ガソリン臭いんじゃないかと思ったものだ。
そんなことは無かったが。
稀に自衛隊の給水車が来ることがあったが、それは容量が小さく、
一回並んだら、もう無くなってしまうので、ガソリン用タンク車のほうが
人気があった。




右側の方の4階辺りに住んでいたと思うのだが。

過去の遺物であるダストシュートの跡が残っている。
生ごみは蓋を開けて、上からそのまま放り込んでいたのだ。
今考えたらすごい方法だ。




鶴舞団地の入り口にある給水塔。
今は使用していないだろう。
ここに水がくみ上げられて、上からの圧力で、団地の各棟に給水していたのだ。

こんな給水塔も無くなっていくのだろう。
なるべく撮っておきたい。


歩き回って、暑さと脱水症状と空腹で朦朧としてしまった。
小さい頃の思い出と暑さが交錯して、白日夢を見ているようだった。

学園前の駅前の喫茶店でゆっくり復活した。



SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)、タムロンA09、Minolta AF APO TELE Zoom 100-300mm F4.5-5.6


コメント (6)
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