
(写真は渋谷のアメリカンロック喫茶B.Y.Gで撮ったもの。)
年末の最もショッキングな事は、M.シューマッハのスキー事故と大瀧詠一の不慮の死去だ。
M.シューマッハはスキー場でその事故を知って驚いた。
F1では現場で何回も実物を見ていた人だ。
回復基調だそうで、やはり奇跡の人だと感じる。
大瀧詠一はリンゴを喉に詰まらせて家族の前で亡くなっているのが、あまりにもあっけない。
(死因の解離性動脈瘤が先かどうかは不明であるが。)
音楽史上、最も重要な人の一人であるのは誰もが認めるところだが、
私には「はっぴいえんど」の大瀧詠一が最も重要だ。
「はっぴいえんど」は大好きだったのだ。
バンド活動は1969年 - 1972年と短いのだが、この3年間はロックが最も輝いていた時代で
1972年は頂点だったと思っている。
そんな時代に活躍した「はっぴいえんど」は、バリバリのロックというよりも、
日本オリジナルなバンドでロックやフォーク、ヒッピーっぽさもありアメリカもあり、四畳半もあり、
宮沢賢治もあり・・・というような独特な、時にはとぼけた風合いもあったり、
日本独特の縁側でも聴けるようなバンドだった。
亡くなった自宅が福生だと知り、それも驚いた。
はっぴいえんど時代から福生とは関わりが深かったのだから。
そして改めて調べてみると、早稲田出身というのも初めて知った。
はっぴいえんどは、早稲田、慶応、立教、青学の4人組だったなんて。
松本隆も細野晴臣も附属あがりで裕福な家庭だというのは知っていたが、
大瀧詠一は釜石で裕福でない家庭だったのも知り驚いた。
ロックミュージシャンは附属から大学まで有り余る時間の中から才能を開花させた人が
多いからだ。
松任谷正隆も高橋幸宏もそうだ。
いちいち受験しているようでは才能を開花させる暇が無いのだ(笑)。
(鈴木茂の生い立ちは不詳)


「はっぴいえんど」
細野晴臣(ベース、ヴォーカル、ギター、キーボード)立教大学 東京都港区白金出身。
大瀧詠一(ヴォーカル、ギター)早稲田大学 岩手県江刺郡梁川村(現奥州市)出身。
松本隆(ドラムス)慶応義塾大学 東京都港区青山出身。
鈴木茂(ギター、ヴォーカル)青山学院大学 東京都世田谷区出身。


私が大好きな、「HAPPY SNAPSHOT DIARY:Tokyo1968-1973」
というマイク野上撮影の463カットにも及ぶ写真集を持っている。(2冊がボックスセットになっている)
この写真集ははっぴいえんどを撮影したもので、その周辺のミュージシャンもたくさん写っているものだ。
絶対に入手してほしい素晴らしすぎる写真集だ。
最初の頃はヒッピーっぽさもあって、その風俗がすばらしい。
そして、新宿花園神社の都電線路敷や渋谷・表参道、福生の1970年ごろのカットが泣ける。
スナップ写真が多く、作品として素敵な写真集だ。
SONY NEX-6、16-50mm F/3.5-5.6/PZ OSS
