830円の自由席特急券を購入し、9時45分発の「つばめ337号」(800系U005編成)に乗車して筑後船小屋駅を後にしました。次の新大牟田駅までの駅間距離が僅か11.9kmで、矢張り新幹線にしては駅がありすぎだなと感じます。
9時52分に新大牟田駅に到着。対面式ホームの2面2線の構内です。
コンコースに下りました。おおむた大蛇山祭りがPRされています。200年以上続いており、火の粉が舞う勇壮な祭りです。大蛇(龍)が山車になっている珍しい祭りです。7月の第4土日に開催されます。尚、トイレはその真下にあります。
改札を抜けました。自動改札が3基あります。左手にはみどりの窓口があり、営業時間は6:00~23:40です。右手には待合室があり、中にはKIOSKがあります。
さて、西口に出ました。こちらにはタクシープールが形成されています。1階部分にはレンガ風のデザインが取り入れられ、石炭と共に歩んだ街の記憶を表現しています。
駅前には團琢磨像。安政5年(1858年)8月1日に現在の福岡市で生まれました。欧米留学を経て工務省に入った後、三池炭鉱の経営に成功して戦前の三井財閥の総帥となりました。三池港開港などにも力を尽くし、男爵位を授与されました。昭和3年に日本経団連初代会長を務められたが、昭和7年3月5日に、東京・日本橋の三井本館入口にて暗殺されました(これを血盟団事件という)。
駅前の様子。新大牟田駅は、大牟田駅から6.2kmほど内陸に入った所にあります。まるで九州新幹線全通を見越して造成されているかのように、新興住宅地となっています。
東口に出ました。こちらには広場が形成されています。デザインコンセプトは「未来の風を感じる駅」。木立の中を吹き抜ける風をイメージしたという駅舎外観のウェーブが何ともお洒落です。
県道を挟んで向かいには白山神社があります。東口の駅前は丘陵が迫り、何とも長閑です。
細い参道を歩いて本殿に到着。九州新幹線全駅下車達成や鹿児島本線全駅下車タイトル防衛を誓ってきました。
新大牟田駅は九州新幹線の単独駅です。大牟田の市街地から離れたところにあるので、もし私が大牟田の住民だったら、福岡に出る場合、鹿児島本線の快速か西鉄の特急を利用します。
誠に名残惜しいですが、830円の自由席特急券を買って、10時24分発の「つばめ339号」(800系U003編成)で後にしました。この後はずっと。
つづく
参考文献 『DJダイヤ情報3月号』
先日は失礼致しました。九州新幹線駅巡りに戻りましょう。
前回の模様はこちら
久留米駅8時59分発の「つばめ335号」(800系U009編成)に乗車して筑後船小屋駅へ。駅間が15.8kmしかないので、わずか8分で到着しました。
まずは構内から。博多発筑後船小屋ゆきの「つばめ」も設定され、相対式+島式の2面3線となっています。
まずコンコースに下りると、「筑後七景」というPRコーナーになっていました。周辺地域の自然や観光地の四季が絶え間なく流れています。
改札を抜けて入口前に出ました。西側には券売機とみどりの窓口(営業時間は5:40~23:40)があり、東側には待合室があります。トイレは改札を抜けて右左に分かれています。
まずは東口に出て駅舎撮影。木彫縦軸ルーバーとサッシを交互に配置することで、開放感を保ちながら変化とリズムを表現しています。
駅前は遺跡公園(筑後広域公園)になっています。向こうに山々を望み、何とも長閑です。
根元には、ユキヤナギの群落がありました。木の杭が所々にあることから、今正に造園途上といった感じです。
南側に目を転じると、すぐそこに矢部川が流れており、大きなトラス橋もあります。
西口に出ました。東口と同様の形態ですが、こちらにはロータリーが形成されています。デザインコンセプトは「公園の中の駅」です。
南側に転じると平田舟広場があります。ちょっとした休憩スペースとなっており、末端には滝のオブジェもあります。船小屋温泉についての言われも書かれており、日露戦争の頃から昭和初期にかけて陸軍指定の転地療養所として賑わったそうです。今でも訪問したら面白そうですね。
ロータリーを挟んで向かいには、鹿児島本線の筑後船小屋駅があります。従来の船小屋駅を廃して500m南方に移設されました。バリアフリー対応の跨線橋が矢鱈と目立つ、三角屋根の駅舎です。今回は入場しませんでしたが、対面式ホーム2面2線の構内です。トイレはロータリー上にあります。
ついでに内部も。簡易SUGOCA改札の横に窓口が設けられ、営業時間は7:00~21:00です。勿論、券売機もあります。九州新幹線全通を機に、無人駅から目出度く昇格となりました。
9時30分になりました。折角なので、からくり時計を眺めましょう。延べ4分間程度演奏され、ストーリーが進むにつれてブースがだんだん開いてくるつくりです。弥生ロマンを感じさせます。
筑後船小屋駅は今のところ周辺に何もないですが、これから発展していくことでしょう。私は、この駅の設置意義について疑問に思っています。周辺に見所が多い駅ですが、たった38分の滞在で立ち去るのが何だか勿体無かった気がします。
つづく
参考書籍 『DJ鉄道ダイヤ情報3月号』
2011年3月20日(日)の朝となりました。6時45分に起床。お握り3つの朝食をとり、歯磨きして7:40頃にチェックアウト。祇園駅から地下鉄に1駅だけ乗車して博多駅へ。この日は片道乗車券の旅を再開し、九州新幹線の駅を巡りつつ鹿児島中央駅を目指しました。新幹線の特急券に途中下車の制度があれば最高なんですけど。
ここで九州新幹線の概要を紹介します。九州新幹線は博多と鹿児島中央を結ぶ新幹線で、平成16年3月13日に鹿児島中央~新八代間の126.9kmが先行開業し、残りの129.9kmの区間も今年の3月12日に開業して今に至っています。開業のタイミングが悪すぎたのか開業セレモニーが開催できませんでしたが、100日目にしてようやくセレモニーが開催された次第です。途中に10駅あり、約半数が熊本止まりとなっています。列車は「みずほ」、「さくら」、「つばめ」の3種類があり、「みずほ」は最速達タイプ、「さくら」は速達タイプ、「つばめ」は各駅停車タイプで、「みずほ」「さくら」は新大阪から直通運転を行なっています。
8時6分発の「つばめ333号」(800系U006編成)で出発します。九州新幹線といえばこれだと思うのは私だけではないですか。
側面のロゴマーク。九州新幹線全通により「さくら」にも運用されるため、各優等列車に共通した「Around the Kyushu」のロゴに変更されています。
シートの座り心地を味わっているうちに博多駅を発車しました。始発放送を録音しますが、チャイムは九州新幹線全通に際して向谷実氏が作曲したものとなっており、上品で落ち着いた曲調です。女性のアナウンスが流れましたが、車掌であって客室乗務員は乗務しておりません。車内放送が終わる頃には、背振山脈を突き抜ける筑紫トンネルに向けて35‰の勾配を登っていました。久留米到着放送も録音し、8時26分に最初の途中下車。
改札を抜けてコンコースに出ました。ここには在来線乗り場が映っていますが、その右側には自動券売機、みどりの窓口があります。新幹線乗り場はその左手にあり、これに隣接して待合室があります。一方、通路の手前側は、西側は地場産くるめ、東側はFRIESTAとなっています。
エスカレーターを下りて東口に出ました。入口にステンドグラスをはめ込んだ、洒落た橋上駅舎となっています。平成22年4月に供用開始となりました。左手にはコンビニや居酒屋もあります。
駅前ロータリーには大きなからくり時計があります。平成11年11月に、田中久重の生誕200年を記念して設置されたそうです。毎正時には動き出すのですが、時間の都合上立ち会うことは叶いませんでした。
再び自由通路を通って西口に出ました。入口は東口と瓜二つです。ガラスカーテンウォールの採用でアートギャラリーをイメージしています。平成22年5月に供用開始となりました。周辺は閑静な住宅街で、水天宮までは約700mです。
博多方には「久留米の黒松」があります。黒松の生産が盛んな三潴地域から移植されたのだそうです。
筑前船小屋駅に行くべく、830円の特急券を購入しました。ここから新鳥栖までは僅か7.9kmで、新幹線を利用するのが馬鹿馬鹿しい距離です。博多まで利用してもこれと同額の830円です。前日に新鳥栖駅に行ったのはこのためです。
上り列車を絡めて構内を撮影。新幹線は相対式2面2線です。尚、在来線は久大本線と分岐して2面4線です。
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参考サイト さいきの駅舎訪問
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折尾駅から15時59分発の鹿児島本線4257M(813系R216編成+R214編成)に乗車して鳥栖へ急ぎました。例によって、博多からは大混雑。鳥栖駅にて17時26分発の長崎本線2871M(817系V27編成)に乗り換え。翌日へのために、九州新幹線の駅を1つ訪問することにしました。
17時30分に新鳥栖駅に到着。在来線ホームは2面2線の構内で、両ホームは跨線橋で結ばれています。上りホームには乗り換え改札があり、駅蕎麦屋が併設されています。
まずは東口に出ました。デザインコンセプトは「はばたく~新しい時代、新しい交流ゲート~」で、鳥の翼をイメージしたゆるやかな曲線の駅舎です。駅前ロータリーが狭いので、まるで羽ばたいているかのような絵作りが出来ました。
駅前の様子。背振山脈の山々に抱かれた、長閑な集落です。新幹線の駅だとはにわかに信じ難いですが、開業したばかりですからね。
東口から中に入りました。左側が九州新幹線乗り場方面、右側が在来線乗り場方面と考えます。東側を見ると、左手にはみどりの窓口があり、右手には観光案内所(営業時間は8:00~20:00)があります。西側を見ると、左側は待合室、右側はファミリーマートとなっています。
観光案内所脇には、地元の小学6年生81名によるタイルアートが飾られていました。右上には九州自動車道の鳥栖JCTがあるし。左下には長崎の武家屋敷があるし。
西口に出ました。東口とは左右対称です。鳥の翼のイメージに周囲の山並みを調和させた斬新な外観です。躍動感とスピード感があわせて表現され、鳥栖市の新しい玄関口となるでしょう。広い駅前ロータリーが形成されています。
駅前の様子。西口も長閑な風景が広がっており、桜がようやく咲き始めました。駅舎の目の前では、九州重粒子線がんセンタープロジェクトが進められていました。10年後にはどうなることやら。
折角なので、九州新幹線のホームに入ります。入場券は160円で、JR東日本より高いです。コンコースには「N700系さくら」の有田焼のミニチュアが飾られていました。
ホームに上がりました。将来は長崎ルートへのジャンクションになるだろうということで、2面4線の構内となっています。折角なので、発車メロディーを録音。平成16年の暫定開業時と同様に向谷実氏が作曲した踊るようなメロディーで、1度聞いてすぐに好きになりました。
もっと聴きたかったところですけど、長崎本線の普通列車の本数があまり多くないので在来線ホームに戻りました。そこで、京都から来た「18きっぷ」で旅する年配の女性の同士と出会い、談笑しながら長崎本線2628M(817系V25編成)~鹿児島本線4270M(813系R209編成+R232編成)と乗り継いで博多に戻りました。東日本大震災により厳しいシーズンとなった春シーズンに2冊目というから羨ましいです。
18時45分に博多駅に到着。すぐに九州新幹線で久留米に行った彼女と別れ、私は歩いて祇園駅前の東横インに宿泊しました。
夕食は焼麦弁当。本来は鳥栖駅での販売ですが、博多駅で購入しました。かしわ飯とシュウマイが同じ器に入っており、美味しいディナーとなりました。
つづく
参考書籍 『DJ鉄道ダイヤ情報3月号』
リニューアルオープンされた博多駅を撮影した後、10時13分発の鹿児島本線2132Mに乗車し、「青春18」の旅を始めました。
10時42分に新宮中央駅に到着。複線間につくられた、対面式ホームの駅です。
階段を上がり、改札を出ました。3台の自動改札の手前に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:05~0:55です。トイレは改札内にあります。
まずは東口に出ました。平成22年3月開業で、テラスのある橋上駅舎です。もちろんバリアフリー設備が完備しています。1Fに歯科クリニックがあります。駅前からはバスが発着します。
そのテラスから見る眺望を。スッキリとしたロータリーで、正に造成中の町並みです。10年後はどうなることやら。
そこには沖田中央公園があります。水辺の広場にパネルがあり、何ともいえぬ水景が形成されています。向こうには浄化センターがあります。
再び駅舎に上がって中庭へ。木の周りにベンチがあり、一種のオアシスとなっています。新宮中央駅は、雨水を利用して植物に散水してエコな駅を目指しています。
西口に出ました。箱状の東口に対し、こちらは階段が左右に伸びているように見える形状です。でも、地上への出口は南側しかなく、北側の階段はホームに出る階段です。こちらもバスが発着します。
駅前の様子です。付近に大和物流がありますが、こちらも造成中です。新宮町役場はこちらが便利で、この駅が新宮町の代表駅となるべく新設された要因となっています。
滞在時間が予定よりオーバーしたので、11時24分発の150M(813系R002編成+R232編成)に乗車。以前は木造駅舎だった駅に向かいました。
11時38分に福間駅に到着。当駅折り返しもあり、3面5線の構内となっています。下り本線は4番乗り場です。
改札を抜けました。自動改札が4台あります。窓口営業時間は5:30~23:00です。自由通路を挟んで向かいには、行政観光情報ステーションがあります。尚、トイレは改札内にあります。
2011年2月5日に開通したばかりの東西自由通路を通り、東口に出ました。エレベーターがあるものの、まだこの状態です。正面からは撮影出来ません。
駅前は当然ながら造成中です。数年後にはどのような街が出来るのだろうか。
再び自由通路を通って西口に出ました。
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お待たせしました。これより、「九州新幹線全通記念乗り継ぎ」をお伝えします。
実行予定日は2011年3月18日(金)~21日(月)でした。皆様もご承知の通り、1週間前にあの東日本大震災が発生しました。多数の被災者が発生し、この時期に遊んで歩くのは常識外れも甚だしいです。私も、正直言って、この時期に九州新幹線に乗りにいくのは気が引けました。あの時に気仙沼線駅巡りを実行しなければ、中止することは出来ました。しかし、1度使った「青春18」は、払い戻すことは出来ません。よって、他人の目を気にしつつも、予定通り決行しました。
しかし、震災前に予定したプランというわけにはいきません。当初は、「きたぐに」で出発し、鹿児島本線の未訪問駅などを巡りながら九州新幹線の完乗だけでなく全駅下車を果たし、翌日にはJAL1866便で羽田空港に出た後に上越線で帰るプランでした。しかし、東日本で中規模以上の地震が続発し、「きたぐに」の運転も不確定ということで、行きと帰りを変更し、旅割で購入した航空券を泣く泣く払い戻しました。ました。行きは、京都まで高速バスで出た後に「のぞみ95号」で九州へ、帰りは、鹿児島中央に到着した直後に高速バスで大阪に出て、そのまま北陸線経由で帰るというものでした。
それでは、出発しましょう。
2011年3月18日(金)。この日も仕事でした。家に帰った後、とにかく準備に追われ、21時10分過ぎに出発できたのがやっと。それでも、21時28分発の信越本線2243D(キハ111-203+キハ112-203)に乗車して新潟駅へ。名古屋行きの夜行バスよりも22分、「きたぐに」よりも105分早い出発となり、誠に厳しい条件となりました。
22時5分発の「おけさ号」に乗車。自粛ムードが広がっていましたが、連休直前ということで4台運行でほぼ満員でした。私が乗車したのは、新潟交通の「新潟200か308」。指定された座席は最後尾で、リクライニングできず眠れず最悪でした。途中、栄PA、草津PAで休憩。
予定より5分早い、6時ちょうどに京都駅烏丸口に到着。もう夜が明けました。時間が空いたので、待合室で朝食タイム。
6時56分発の「のぞみ95号」(N700系N1編成)で一気に九州入りしました。地震の影響というのも何ですが、キャンセル待ちで喫煙所近くの席が取れました。あれほど自粛ムードが広がっていたのも拘わらず、3両の自由席は大混雑だったそうです。
定刻9時40分に博多駅16番乗り場に到着。このまま「さくら」に乗り継げば、一気に九州新幹線全線踏破出来ますけどね…。
ある目的があるので、一旦改札を出て筑紫口に出ました。この入口は以前と何ら変わっていません。
お土産屋が並んで混雑する自由通路を通過し、最初の目的の駅舎に出ました。2011年3月3日に「JR博多シティ」に生まれ変わりました。複合商業施設・アミュプラザ博多です。東急ハンズ、Tジョイ・博多(9F)、JR九州ホールなどが入居しており、ロゴマークも付いています。エントランスも時計も独特です。
道路の向こうにある、とある銀行前のポイントが駅舎の全貌を撮影できるポイントです。JR博多シティーの最大のポイントは、何と言っても阪急百貨店です。井筒屋の時代に比べると、随分明るい印象に変わりました。
このポイントは西鉄バスの終着停留所ともなっています。おびただしい数のバスが引っ切り無しに到着し、撮影チャンスは限られます。
駅前広場には黒田清隆像。目の前には博多駅前郵便局があります。
本当は、アミュプラザ博多を見たいところでした。しかし、片道乗車券から「青春18」に切り替えて、10時13分発の鹿児島本線2132M(813系R213編成+R006編成)に乗車し、鹿児島本線内の未踏破駅を目指しました。
つづく
定刻15時21分に川内駅に到着。整備中ながらも裏口が新設されており、東横インも開業していました。
鹿児島県も決して暖かいとはいえないが、折角なので440円の白熊を購入し、15時55分発の2455M(817系V19編成)の車内で召し上がります。矢張り、新津の原信などで買うものとは全然別物です。
16時7分に串木野駅に到着。築堤上にある、島式ホームの1面2線+側線1本の構内です。駅裏にはプリマハムの工場があります。
トンネルを抜け駅舎に出ました。前回訪問時は仮駅舎でしたが、平成19年3月に新駅舎完成ということで、今回の駅巡りに組み入れました。黒系の長方形の駅舎です。窓口営業時間は5:30~0:30です。
駅舎北方には68660の動輪が保存されています。昭和48年12月に、開業60周年を記念して設けられたそうです。
駅前の交差点の様子。「甑島航路」という表示が何ともいえない旅情を醸し出しています。よう考えたら、私って1月末に続いて凄い所まで旅しているんだな。
今回もかつおラーメンにありつけぬまま、16時33分発の2457M(817系V10編成)に乗車して次なる新駅を目指します。
17時4分に、上伊集院から3つ目の第2松谷トンネルと4つ目の広木トンネルの間設けられた、本日開業の新駅に到着。ホームは対面式です。
伊集院方にある構内踏切を渡り外に出て、鹿児島線全駅下車のタイトルを1日で奪還しました。上伊集院~鹿児島中央に新設された広木駅は、対面式ホームとトイレのみの無人駅です。総工費は4億9000万円で、JR九州が駅構内を、鹿児島市が駅前ロータリーや駐車場(39台)、駐輪場(200台)などを整備しています。
駅前は丘陵地ですが、星ケ峰ニュータウンをはじめとした住宅地が形成されています。広木駅の開業はこの地区の通勤・通学の利便性向上が目的だそうで、1日当たり550人の乗降客が見込まれています。
そうこうしているうちに、肥薩おれんじ鉄道の気動車が通過。それにしても、この駅の入線放送は音量がバカでかく、上り列車の案内が下りホームまでよく聞こえます。
17時50分発の2459Mにて鹿児島中央駅へ。415系FK516編成で、南福岡から配転されたロングシート車です。
改札を出た後にを買い、ざぼんラーメン(チャーシュー丼&漬物付き)で夕食。その後、高見馬場電停まで路面電車を利用し、東横イン鹿児島天文館Ⅰにチェックイン。入浴後、五橋カップ(山口県岩国市の地酒)とさつま揚げなどで打ち上げしました。
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参考資料 毎日新聞2009年3月15日号
平成20年3月下旬に竣工した、「交流サロンこのは」付きの合築駅舎です。この機会に訪問できてよかった。窓口営業時間は、6:50~17:50(日曜休み)です。
今回は写真付きで紹介しますが、2面3線の構内で、普通列車などが退避することもあります。2,3番乗り場の博多方では、「はやぶさ」狙いの方々が集結していました。
陸橋を渡って駅裏に出ました。ニュータウンはそれほど埋まっていません。吹き抜ける風が余りにも冷たく、とても散策どころではありません。
時間があるので、「交流サロンこのは」で暖をとります。玉東町案内図の隣に、2008年1月23日(チリ時間)に日本人女性で初めて南極点までスキーで踏破した續素美代さんの功績が紹介されており、彼女は玉東町名誉町民賞第1号に選ばれています。尚、館内には図書スペースもあり、持ち出さなければ自由に閲覧できるようになっています。
1番乗り場で5339Mを待っていると、まともな乗客の他に「はやぶさ」待ちの方々が集まってきました。委託駅員に尋ねたところ、「はやぶさ」より普通列車の方が早く来るということで、崇城大学前駅で撮影と決定!
木葉駅から817系V16編成で揺られること13分、2分遅れの13時44分に崇城大学前駅に到着。この再訪の目的は勿論、前回のリベンジです。
駅舎の撮影に成功した後、熊本~川内の乗車券・自由席特急券を購入し、いよいよ来るべき列車を迎えます。上りホームには、駅員の付き添い付きで子供達が何人か待機中。私は、跨線橋の上から狙うことにします。
14時2分頃、遂に「寝台特急はやぶさ」が崇城大学前駅を通過しました牽引機はED76 94。特に増結はなく、発売開始から10秒でソールドアウトしたそうです。あの子供達にとっては、一生の思い出となったことでしょう。
振り返って後追い。架線に阻まれてすっきり撮れませんが。寝台特急がこの駅を通過することは、もう二度とありませんひょっとしたら、「リバイバルはやぶさ」が九州新幹線全通前に設定されるかも。(最終日の「富士」の編成は大分到着後、翌15日に「リバイバル富士」で鹿児島中央に行き、熊本鉄道事業部熊本車両センターに回送されたそうです)
今日は広木駅レポートまで行なう予定があるため、6分遅れの5341M(815系N11編成)で熊本に赴いた後、特急リレーつばめ13号(787系BM13編成)と「つばめ13号」(800系U004編成)を乗り継いで川内まで抜け道。熊本駅は凄い事になっていたようで、病院に搬送された者まで出ました。
つづく
2009年3月14日。ダイヤが変わって最初の朝となりました。7:00に起床。朝食をとり一連の身支度を終え、7:45頃にチェックアウト。今日は寒の戻りということで、春仕様で臨んだ私にとって震えるくらい寒いです。
小倉駅8時3分発の各駅停車の1185M(811系P105編成+P15編成)で鹿児島線の旅が始まりました。北九州市内はでしたが、次第にに変わりました。福間駅は、木造駅舎が健在だったものの、ホームなどは大改造工事中です。次の新駅と絡めて要再訪です。
9時16分に、本日開業のししぶ駅に到着。橋上駅舎と対面式ホームを有する駅です。集計が正しければ、私にとって1800番目の訪問駅となります。
いよいよ駅舎撮影開始。まずは、正面口となる東口です。美明口ともいいます。ざっと見る限り、シンプルな橋上駅舎です。この時間帯は、開業セレモニーの準備が最終段階に入っていました。
駐輪場前の案内板。古賀~福工大前間にあり、古賀市最南端の駅だということがわかります。
再び窓口の前を通過し、西口に出ます。日吉口ともいい、もともと住宅地だったところで、隣保館が目の前にあります。
下りホームから南西側に目をやれば工業団地が広がっています。
北東側に目をやれば、造成中の美明ニュータウンが広がっています。数年後には、信越本線の荻川~さつき野の東側みたいにでびっしりになるでしょう。
「はやぶさ」狙いの者が続々やってくる中、9時56分発の1387M(811系P5編成+813系R213編成)に乗車して福工大前駅へ。
10時1分に福工大前駅に到着。ここでは退避する「はやぶさ」を見るべくしばし待機します。先頭部分には家族連れが既に陣取ってました。しかし、何時になっても現れません。
半分諦めモードで駅舎撮影を先にします。駅名が変わっている以外は、この前と比べても何ら変化はありません。
ampmで昼食を調達して戻ると、さっきの「同業者」達は姿を消してました。その間に「はやぶさ」が行ってしまったと思い、10時32分発の4121M(811系P3編成+P108編成=南福岡で切り離し)でとにかく鳥栖へ向かいますが、沿線には大勢の「同業者」が待機中。「寝台特急はやぶさ」は未だに通過せず、安心しました。(後で分かったことですが、兵庫県内の人身事故などの影響で1時間以上遅れているとのこと。)
鳥栖にて5332Mに乗り継いで熊本方面へ。815系N10編成でしたが、発車直後から昼食タイムにしました。
つづく
御殿場線全駅下車から2週間も経っていませんが、1月30日夜から2月1日にかけて熊本方面に行ってみました。全駅訪問達成した路線は三角線と篠栗線です。
出発は、23時10分発の急行きたぐに号(583系B2編成)で。今回は、訪問駅数の割に旅費がかさんでいるので座席車を選択。ボックスが空いていないので、仕事帰りの女性の所にお邪魔させてもらいました。長岡で彼女が下車してボックス独占を果たしたので、越乃白雁を投入して『崖の上のポニョ』を聴きつつ。しかし、リクライニング出来ない座席が災いし、それほど寝られずにそのまま関西へ。彦根を出たところで早くも朝食タイム。
湖西線での風規制ですったもんだし、4分遅れの6時20分に京都着。ここで車両点検があったので、京都乗り継ぎを選択して正解でした。
12番乗り場の入線音&発車ベルを録音し、6時59分発の「のぞみ57号」で一気に九州へ。N700系N6編成で、車内テロップにて暗いニュースに紛れてN700系のことを盛んに宣伝していました。低気圧の影響が懸念されましたが、沿線はで輸送障害は皆無でした。
定刻9時40分に博多到着。目的の列車の入線まで時間があるので、在来線ホームでしばらく撮り鉄。すると、国鉄色415系が普通列車門司港ゆき(450M)に運用されたのででした。その後、白ソニックなどにも食指を立てました。
10時8分頃、この旅最大の目的である、寝台特急はやぶさ号が博多駅7番乗り場に入線しました廃止まで2ヶ月を切っているので、ヒルネを志す者や で納める者が少なからず居ます。最終日(3月14日)はどうなることやら。
博多でかなり降りたので、5号車(オハネ15 1)の空きボックスに収まってヒルネを堪能します。熊本までの1時間37分は、みかんを食べたり車内放送を録音したりして過ごしました。尚、鳥栖でも何人も記念乗車があり、私の向かいにも乗ってきました。
終着放送の録音に成功し、定刻11時49分に熊本駅3番乗り場に到着。狭いホームに多くの者がひしめき合い、何人かやり過ごした後に を果たした次第です。
6号車では、のような遊びも見られました。ブルトレの歴史を感じさせる一幕ですが、今度のダイヤ改正で東海道ブルトレは絶滅しちゃうのね。
今度はベストポジションである、跨線橋と815系の切れ目から編成全体を。気付いた時には「同業者」が4,5人陣取っていて、しばらくしてから した次第です。ED76 69+14系客車6連という、往年とは比べ物にならないみすぼらしい姿ですが、現代における寝台特急の置かれている立場といえるでしょう。最終日にはどのような姿になるでしょう。この場所も陣取りすら困難になることは目に見えてますが。
熊本までの片道切符と立席特急券の持ち帰りに成功し、併設のラーメン屋で馬筋ラーメンにて昼食タイムです。次からは長い蛇足(駅巡り)です。
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