休校中の息子と、気分転換を兼ねて、上田城の桜を見に行ってきました。上田城は、戦国時代、この地域を治めていた真田昌幸が、徳川家康から援助を受けて築城しました。しかし、昌幸はその後、家康に造反したため、徳川の軍勢から攻められますが、約1200の兵で、約7000の徳川軍を撃退します。また、関ヶ原の合戦の際には、西へ進軍中の徳川秀忠の軍勢に攻められましたが、これを防ぐことにも成功しました。
↑千本桜祭りが中止になった上田城。例年だと、満車で停められない駐車場も、ご覧の通り。
↑満開の桜が迎えてくれました(^^)
↑内堀。桜が散り始めると、水面がピンクに染まります。
↑真田昌幸の息子、幸村の兜。幸村は、大坂冬の陣に際し、幽閉中だった九度山を抜け出して、大阪城の掘の外に真田丸という出城を築き、ここでも徳川勢を苦しめた。また、大坂夏の陣においては、家康の本陣まで攻め込む活躍を見せ、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と呼ばれたそうです。
↑真田時代の上田城は、関ヶ原の合戦の後、徳川によって破却され、現在は江戸時代の櫓などが残っています。
↑石垣をバックに。
↑尼ケ淵から見上げる南櫓。
↑城内にある眞田神社。上田合戦で「落ちなかった」城であることから、受験生の祈願が多いそうです。
↑現在の上田城は桜の名所。右側の櫓門は、平成6年に再建されたもの。
↑例年だと、花見客でにぎわう本丸御殿跡も、閑散としていました。
↑城内の公園。
↑発掘調査の際、堀の中からは、真田時代の瓦などが見つかっています。
↑西櫓。上田城に天守があったかどうかは定かではありませんが、江戸時代に作成された絵図には、「御天守跡」という表記が残されているそうです。