先月訪れた雲野宿に続いて、今回は和田宿を訪れました。中山道の宿場として、1602年に江戸幕府によって開設されました。江戸から数えて28番目の宿場で、当時は、30を超える諸大名の参勤交代や一般の旅行者などで賑わい、旅籠(宿)だけで28軒もありました。難所である和田峠の入り口、標高820mにあり、次の下諏訪宿まで23kmと距離が長かったため、伝馬役や歩行役の家も数多くあったそうです。
↑江戸末期の面影を残す和田宿。最盛期には170の家々が軒を連ねていたそうです。
↑明治初期の様子。1861年(江戸末期)の3月に発生した火災で、宿場の大半が焼失しましたが、この年の11月に、仁孝天皇の8女、和宮(かずのみや)様が、江戸幕府の第14代将軍、徳川家茂の正室として、京都から江戸へ移ることが決まっており、幕府より二千両(およそ四億円)を拝借して宿場を復興。わずか8ヶ月で宿場を再生し、無事に3万人を超える和宮様ご一行の大通行を迎えたそうです。
↑復興の際に建て直されたご本陣。
↑屋根の上には、屋根板が飛ばされないように石が置かれています。
↑ご本陣は中を見学することができます。
↑ちょうど、私たちしか見学者がいなかったので、受け付けに座っていたおじさんが、1時間もかけて館内を案内してくれました(^^)
↑2階には、当時の籠が展示されていました。
↑和田宿と並走する国道の道の駅で、くるみそばを食べた後、白樺湖へ向かいました。
↑うっすらとですが、富士山を望むことができました。
↑こちらは、勇壮な八ヶ岳の山並み。
↑最後は長門牧場へ。
↑観光牧場になっているので、お食事処とおみやげやさんもあります。
↑そして、長門牧場の名物がソフトクリーム。とても濃厚で、おいしかったです!
↑後ろに見える高い方の山は、標高2531mの蓼科山。日本百名山に数えられています。
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