春の訪れが遅い信州に、平年よりかなり早く、桜の季節がやってきました。さっそく、ガーデンストーリーから40分の場所にある上田城へ、花見に行ってきました。上田城は、戦国時代、この地を治めていた真田昌幸が、徳川家康から援助を受けて築いた城。しかし、昌幸はその後、家康に造反したため、徳川の軍勢から攻められますが、わずか1200の兵で、7000の徳川軍を撃退します。また、関ヶ原の合戦の際には、西へ進軍中の徳川秀忠に攻められましたが、これを防ぐことにも成功しました。
↑現在の上田城は桜の名所。この春も、屋台は一軒も出ていませんでした。
↑この櫓門は、平成6年に再建されました。
↑真田時代の上田城は、関ヶ原の合戦の後、徳川によって破却されました。この櫓は、江戸時代に建てられたもの。
↑城内にある眞田神社。上田合戦で「落ちなかった」城であることから、受験生の祈願が多いそうです。
↑真田昌幸の息子、幸村の兜。幸村は、幽閉中だった九度山を抜け出して、大坂冬の陣に参戦。大阪城の掘の外に真田丸という出城を築き、この時も徳川勢を苦しめました。また、大坂夏の陣においては、家康の本陣まで攻め込む活躍を見せ、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と呼ばれたそうです。
↑真田井戸。内部に横穴があって、城の外への抜け道があったという言い伝えがあります。
↑以前、堀の水を抜いて発掘調査が行われ、真田時代の瓦などが見つかっています。
↑上田城に天守があったかどうかは定かではありませんが、江戸時代に作成された絵図には、「御天守跡」という表記が残されています。
↑尼ケ淵から見上げる南櫓。その昔は、右側の石垣の下まで、千曲川が流れ込んでいたそうです。
↑例年だと、桜祭りの期間中は満車で停められない駐車場も、2年続けてご覧の通り。
↑花見客がシートを敷いてにぎわう本丸御殿跡も、誰もいませんでした。
↑六文銭の上り旗と、西櫓。
↑来春は、にぎわいが戻ってくるのでしょうか…?
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