今朝4時過ぎに「下血があったので直ぐ来て欲しい。」との電話が母からありました。今月5日にも大腸に出来ている憩室からの下血があって、この時は5日間の入院でした。
急いで駆けつけると台所で椅子に座って落ち着いてはいますが浮かない表情の母がいました。直ぐに掛かりつけの病院へ電話です。幸い母の主治医が当直で泊まっていたので職員さん経由ではありますが、容態を説明したところ「暫く様子を見て下血が頻繁にある様なら病院へ来てください。」とのこと。落ち着く様なら8時半以降の外来でも大丈夫とのことでした。
5時までの1時間で3回の下血がありましたが、その後は少量になり落ち着いてきたので8時40分に父をデイサービスに送り出してから病院へいくことにしました。
しかしその後病院へ行ったら間違いなく入院になるので昨日から始まった私のアルバイトですが、休むしかありません。職場には8時少し前に電話をして事情を説明の上、取り敢えず今月は休みになることを伝え、その後のことはまた後日の連絡となりました。
折角楽しみにしていたアルバイトですが、こうなることも予想していたことの一つです。前回同様に1週間程度で退院出来たとしてもその後のリハビリや認知症自体が進んでしまったりで直ぐにアルバイトに復帰できることはないでしょう。現実的に今回のアルバイトはこれにて終了ということだと思います。残念至極ですが90歳代の両親を抱えているということはこう言うことなのです。私のショックは計り知れませんが受け入れるしかないのです。
私がアルバイトをする間にお願いしておいたヘルパーさんもキャンセルしました。私が実家に居れば彼らにお願いする必要はなくなります。
そして9時少し前に病院へ到着し、主治医の先生と話したところ即入院となりました。明日大腸の内視鏡検査をして出血場所の確認をするそうです。まあ母の大腸には100個以上の憩室が出来ているそうですからいつどこから出血するのか分かりませんよね。たとえ今回も無事退院できたとしても毎月入院することになってしまうのかも知れません。後は病院に全てお任せするしかないのでしょう。
大腸憩室と憩室からの出血、クリップでの止血の様子。(にしむら内科クリニックさんの画像をお借りしています)
入院手続きって結構時間が掛かるのですよね。何だかんだで自宅に戻れたのは昼12時を過ぎていました。
正直なところ、母が入院したことよりも私のアルバイトが飛んでしまったことに大いなるショックがあって、午後は無気力状態のまま洗濯やケアマネさんなどへの連絡をしていました。立ち直るのに大分時間が掛かりましたが現在は事実を受け入れました。また明日から精力的に出来ることをしていく予定です。
そして今夜からは実家に寝泊まりで父の介護をすることになりますが、来月で満95歳になる父は比較的元気でデイサービスへ週3回通ってくれているので介護と言ってもまだまだ楽な方なんでしょうね。明日からの父との生活はある程度予測が付きますが、母の容態がどうなるのか全く読めません。1日でも早く退院してくれることを望むだけです。
ところで昨日2回目の新型コロナウイルスのワクチンを接種しました。その副反応ですが、今朝の状態は接種をした方の腕にほんの少しの痛みがある程度で発熱や倦怠感、筋肉痛などは全くと言って良いほどありませんでした。高齢に行くにしたがって副反応の出る割合が低くなっているそうですが、私は堂々たる高齢者の仲間入りだとお墨付きをいただいた感があります。まだ67歳、高齢者と言われるには大分早いと自分では思っているのですが、ここでもまた現実を突きつけられた思いです。
ケアマネージャーさんからはバイトを辞めないで済む様にヘルパーさんの利用をもっと考えてみたら、という趣旨のことも言われたのですが、毎日朝、昼、夕と来てもらうと結構な金額にもなりますし、鍵を預けることに抵抗もあったりします。自宅での介護はなかなか難しい問題です。
私も大腸に憩室がいくつかあるので将来が心配ですが、病院の人も驚いていましたが、母の場合はどうやって100個以上にまで増えたのでしょうかね?何かのはずみで突然できるのか?(お腹に力を入れた時?怒ると出来る?)不思議ですね。
オリンピック男子サッカー、昨日のフランス戦での日本はお見事でしたね。メキシコオリンピックの時に私は中学1年生だったですが今でも日本が銅メダルを取った当時のことを覚えています。今回も是非メダルを取って欲しいです。金メダルを。
非常に残念ですが今は両親の介護に専念します。それにバイトがなければトレーニングの時間も作れるので楽しみもありますからね。
副反応のことはそうかもしれませんね。両親のことで頭がいっぱいなので副反応どころではありません。(笑)
『現実的に今回のアルバイトはこれにて終了ということだと思います。残念至極ですが90歳代の両親を抱えているということはこう言うことなのです。私のショックは計り知れませんが受け入れるしかないのです。 』
こういう実際の苦労を、体験の無い人は政治家も含めて案外知らないと思って来た。僕も同居の連れ合いの母を看取った後、僕の実家に同居になって、父が82歳、母が93歳で亡くなった。そういう僕よりも、ゲタさんのここの記事は、はるかに大変だと読んできた。政治家は簡単に「自宅介護」とか「コロナの自宅療養」とか言っているのだが。
憩室写真も勉強になった。僕にもいくつかあるので・・・。それにしても百個って? 驚き。
僕のブログ、メキシコ戦記で「勘違い記述」があって直しておきましたので、よろしく。