日々の恐怖 5月9日 証拠
Yさんはレンタルビデオ店で働くフリーターだった。
その晩も日付が変わるまで働いた後だった。
仕事中に取り置きしておいた新作ビデオが楽しみだった。
コンビニで軽い夕食を買い、家までの八分ほどの夜道を歩く。
角を曲がると二十メートルほど前に一人の男がYさんと同じ方向に歩いていた。
ひょこ、ひょこと体を揺らしていた。
Yさんの歩くスピードが早いせいか、距離は近づいていった。
禿げ頭の下には巨大な体躯。
いつか夢で見た赤鬼のようだったという。
異様なルックスとぶつぶつと繰り出される独り言から、Yさんはアブナイ人だと思った。
“ 一気に追い抜こう。”
そう決めて足に力を入れると、
「 えう?」
男は振り向いた。
「 いま、ばかにした?」
Yさんも振り向いたが背後には誰もいなかった。
男の視線は明らかにこちらを貫いていた。
「 ひとをぉ、ばかにぃ、してはぁーいけませんっ!」
ゲリラ豪雨に似た突然の激昂だった。
狼狽したYさんは、後ずさりながら必死に手を振り、
「 してません。」
と答えると、
「 では、しょうこをみせてください!」
と迫られた。
真っ赤に染まった顔が近い。
呼気は放置した炊飯器の匂いがした。
男の手の届く範囲であることを理解し、足がすくんだ。
「 そんなのはありませんし、私何も喋ってませんし・・。」
とYさんが答えると、彼は首を傾げ骨董品を眺めるようにYさんを観察した。
「 しょうこないの? ばかにしたしょうこ?」
緊張に耐えられなくなったYさんが、
「 ないですっ!」
と叫ぶと男はしょんぼりした様子で言った。
「 そっかぁ、ないのかぁ、それはざんねんんんん。」
男が俯いた隙をうかがい、Yさんは逃げようとしたという。
身を翻して全力疾走しようとした時、足首を捻った。
予期していなかった痛みに、顔をしかめる。
腕をつき、転びはしなかったものの手のひらを擦りむいた。
「 あぁー、あぶないですようぉ、ほらぁ、おてて。」
差し出された手を、握ることに躊躇をした。
「 あ、ばかにするぅ?」
Yさんは擦りむいていない方の手で、男の手を握った。
痛みは即座にやってきた。
男の力は加減を知らなかった。
握られた骨がメキメキと軋んだ。
振り払おうと思えないくらいの力強さだった。
小指側の骨がゴキっと音をたてて折れた。
一瞬の痺れのあと、意識する間もなく絶叫していた。
涙が噴水のように自然にあふれ落ちた。
「 しぃいいぃい。」
朦朧とする意識の中、男が赤ん坊にするように人差し指を口にあてた。
瞳は白濁しているように見えた。
グローブくらいある両手で顔を覆い、広げた。
「 いないいないばぁ。」
Yさんは意識を失った。
「 気づいたのは早朝でした。
警察官に起こされて。
すぐに病院に運ばれました。
被害届も出したんですけど・・・・。」
あまりに特徴的な男だったのに、未だ逮捕までにはいっていないという。
「 一時は歪な形だったの・・・。」
とYさんは大事そうに手を撫でた。
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