日々の恐怖 5月20日 農家
平成4年の夏の話です。
当時はまだ北東北まで行くと機関車が客車を引っ張ってる普通列車が沢山あって、その写真を撮りに良く行ってました。
ただ、今みたいにレンタカーが充実してなかったので、列車で行って、駅から歩いて写真撮ってました。
あれは奥羽線の北のほう、大釈迦と言う駅から歩いた時の話です。
午後3時頃に駅へ降りて、そのまま線路沿いを弘前方面へ歩いていったのです。
途中で何枚も写真を撮って、気がつけば夕暮れを通り過ぎ暗くなる頃でした。
国道7号線こそ車がビュンビュンと走っていたのですけど、線路沿いの道は薄暗く、茂みからは蛙や虫の鳴き声がしてました。
駅へと急いだのですが、運悪く足を滑らせて用水へ落っこちました。
用水は2mほどの深さがあって、自力では這い上がれません。
とっさにカメラバッグと三脚を放り投げて身一つで落っこちたのです。
膝くらいまで水につかっていて、おまけに蚊が凄いしくもの巣だらけになりました。
ただまぁ、若かった事もあって無様に落っこちず上手く着地したのが救いです。
さて、どうやって脱出したもんかと思っていたのですが、まともに這い上がれそうな所は一箇所もありません。
これは困ったな、と。
当時はまだ携帯電話もなかったです。
しばらくしたら用水の上に人の気配がしました。
思わず『すいません!用水に落っこちました!助けてください!』と声をかけました。
そしたら何も言わずに竹のはしごが下ろされたんです。
上がって見たら小柄なおじいさんとおばあさんが並んでました。
お礼を言って駅へと急ごうかと思ったんですが、手招きして早口の津軽弁で何か言ってるんです。
言われるがままについて行ったら、踏み切りの近くの農家に入っていきました。
何かと思ったら、風呂に入って飯を喰っていけとの事でした。
最初は断ったんだけど、ありがたくいただく事になって、風呂に入り飯を喰い、おじいさんとアレコレ話をしまして、泊まって行けと言われたんですが、仲間が青森駅前のホテルにいるので最終列車で青森へ帰ると話し、丁重にお礼を言って財布を開けたんです。
メシ喰って風呂に入って『ありがとう』じゃ拙いです。
財布を空けたら5000円札が姿を現したんで『良かったらタバコ代にでも』と、置いていこうと思ったんですけど、どう言うわけか頑として受け取ってくれなくて。
で、列車の時間もあったもんだから、繰り返しお礼を述べて駅へ向かった訳です。
で、その夜はそのまま青森へ行って仲間と合流して、駅前の食堂で飲みなおして寝たわけです。
次の日、弘前行きの列車に乗って車窓を眺めていたら、踏み切り沿いに立ってたはずの大きな農家が無いんです。
気になって気になって仕方が無くて引き返し、駅から歩いて行ったら、確かここだと言う場所は雑木林になってました。
駅間の踏み切りは6箇所で、段々怖くなって結局大釈迦まで歩いたんですが、全部の踏み切りを回ったけど、そもそも踏み切り沿いに家なんか立ってないんです。
畑だったり田んぼだったり、或いは雑木林とか荒地とか、そんな感じで。
前の晩に見た、ぽつんと立ってる一軒家の大きな農家なんてもんが影も形もありません。
当時はおかしいなぁとしか思わなくて、何か勘違いしたんだろうと思っていたのです。
でも確かに風呂に入ったし飯食わしてもらったし、一体自分はどこで何をしたのか、未だに謎です。
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