日々の恐怖 4月14日 おい(1)
大学生になりたての頃の話です。
いくつか教養科目をとるなかで、一つ心に残った授業がありました。
その授業を担当していた教授は、とても優雅な老紳士で、いつも和服で教壇に立っておられました。
話すこともかなり古めかしく、少し前の昭和・大正の世の中を生きているような、そんな雰囲気を身にまとっておられました。
その教授が、こう話すのです。
「 大学生ともなりますと、自主的にでも強制的にでも、かなりの量の本を読まなければいけなくなりますね。
皆さんはまだ、あまり意識がないかもしれないが・・・。
私の古い生徒の話なんですが、ひとりちょっと変わったのがいました。
彼は非常に勤勉で意欲もあり、私が授業の内外で話題にする本を、ほぼ全て読んで知っているような人だったんです。
その生徒が学業に励み、課題に出した以上のことをノートなりレポートなりで提出してくるのです。
本当に、精力あふれる青年でした。
私も授業に気合いが入りましたしね、この子はきっとよい研究者になり、日本の学界の権威になるんだろうなと期待もしていました。
ですがその彼が、ある夏休みを境に変わってしまったんですね。
質問もしなくなり、授業中何かにおびえるような態度を見せるようになった。
レポートなどの提出は相変わらず精力的でしたが、どうも精彩を欠いているような、そんな感じでした。
私は疲れているんだろうな、と思ったくらいでさほど気に留めなかったのですが、ある時彼と、私の研究室で懇談をする機会があったんです。
その時、ようやく彼は打ち明けてくれました。
『 先生、はじめは声が聞こえたんです。』
彼はそう言いました。
『 声ってなんだね?』
と聞くと
『 誰もそこにいないのに、声だけが聞こえてくるんです。
はじめは大学図書館でした。
おい○○、と男性が僕を呼ぶ声がきこえたんです。
静かにしなければいけない図書館で無礼だな、と思って振り返りましたが、そこには誰もいませんでした。
一番近くには女子生徒がいましたが、何も聞こえなかったように書架で本を探しているんです。
そういうことが図書館で何度か続いて、それがしまいに、下宿先の部屋にも聞こえてくるようになったんです。』
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