日々の恐怖 5月15日 電話ボックス
これは、青木ヶ原樹海を深夜にドライブしていた時体験したときの話です。
その日、私は友達と二人で夕食を食べ、そのままドライブを楽しんでいた。
私たちの車が青木ヶ原樹海にさしかかったのは、深夜2時を過ぎていたと思う。
樹海の中を貫く国道は、時折、トラックとすれ違うぐらいで、車の通りはほとんどなかった。
鬱蒼と茂る樹海の木立に左右を挟まれた国道は、街灯も無く、本当の暗闇。
山梨県側に向って、真っ暗な樹海の道路をしばらく走ったときだ。
突然、車の調子が悪くなった。
アクセルをふかしても、スピードが上がらない。バッテリー系統も弱くなり、車が止まりそうになったのだ。
こんな真夜中に、樹海の真ん中で故障してしまうと思うと、普通ではいられなかった。
緑の青々とした樹海は、昼間はとても気持ちが良い。
だが、いったん日が暮れると、本当に不可解な何かが潜んでいるように感じられる。
車が完全に止まってしまう前に、私たちは車を路肩に停めた。
かろうじて回っているエンジンの音を聞き、友達は、このままエンジンを切らないほうがいいと言った。
エンジンを切ってしまうと、かからなくなってまうかもしれない、と言うのだ。
季節は晩秋だった。
夜の青木ヶ原樹海は深々と冷えてくる。万が一助けが来なかった場合に備え、せめてエアコンだけでも使えるようにしておいた方が得策だった。
とにかく、助けを求めるために電話をかけなくてはならない。
当時は携帯電話がやっと普及し始めたばかりだった。
樹海の中は電波の状態が悪く、携帯で電話をかけるのが難しかった。
仕方がないので、私は公衆電話を探しに、友達を車に残したまま夜道を歩き始めた。
友達は、エンジンが完全に止まらないよう、定期的にアクセルをふかす役目だ。
樹海の道は幾度も通っているので、確かこの近くに、観光施設があるのを私は知っていた。
観光施設の駐車場には、電話ボックスがあったはずだった。
10分ほど歩くと、電話ボックスの明かりが見えた。
こんな時間だから、勿論、観光施設には誰もいないし、電気も消えている。
樹海の暗闇の中で、電話ボックスの電気だけが白々と灯されていた。
その明かりを頼りに足早に歩き、電話ボックスに着いた時だ。
私は一瞬、足が止まった。
電話ボックスの中に、小学生ぐらいの女の子が、下を向いてうずくまっているのだ。
深夜2時過ぎの暗闇の樹海に、女の子がいる。
どう考えても不気味だった。
だが、その女の子は妙に現実味があって、幽霊や亡霊のようには見えなかった。
それに、その電話ボックスで車の故障を知らせなくてはならない。
私は、少し警戒しながら女の子に声をかけた。
すると女の子は、うずくまったまま私を見上げた。
デニムのミニスカートに、黄色いサンダルを履いている女の子の顔には、大きなアザがあった。
右目の下あたりに、殴られたような青アザがあったのだ。
“ 何かの事件に巻き込まれたんじゃないか?”
幽霊だの亡霊だの思う前に、リアルにそう考えた。
一体何があったのかと訊ねると、少女はこう答えた。
「 お母さんが帰ってこない。」
少女の母親は、娘を駐車場に残したまま、樹海の中に入ったきり戻ってこない、と言うのだ。
私はゾッとした。
自殺、という二文字が頭に浮かんだ。
少女は両膝を抱え、また下を向いてしまった。
その姿があまりにも哀れで、そのまま放っておけなくなった。
私はとりあえず、少女の座り込んでいる電話ボックスに入って、同級生がやっている自動車整備工場に電話をかけた。
真夜中だったから中々出てくれなかったが、しつこく何十回も鳴らすうちに、奥さんらしい女の人が眠そうな声で電話に出てくれた。
私は車の故障を告げ、ついでに、警察に電話をしてくれるよう頼んだ。
奥さんは、そこで待っててください、と言って電話を切った。
私が受話器を置いた瞬間だ。
ふと視線を移すと、少女が電話ボックスの中にいない。
いつの間に外に出たのか、少女は電話ボックスの前をフラフラと横切って、真っ暗な樹海の方へ歩いていく。
私は慌てた。
母親とはぐれ、真夜中の樹海に取り残された恐怖で、頭がおかしくなってしまったんじゃないかと心配になった。
急いで少女を追いかけたが、意外とその足は速く、どんどん樹海の暗がりの方へ向って行く。
いくら呼び止めても、少女は立ち止まろうとしない。
それどころか、何かに引き寄せられるように樹海の木立の中へ入って行くのだ。
暗闇に目が慣れてきたこともあり、私は駆け足で少女を追った。
樹海は溶岩大地にできた森だ。
未整備の場所には大小様々な穴がぽっかり口をあけている。
こんな真夜中にそこに落ちたら、怪我どころでは済まない。
樹海に入りかけた少女の腕を、私がやっと掴もうとした時だ。
私の二の腕を、後ろから強く引っ張る者がいた。
私はギョッとして振り返った。
私の腕を引っ張ったのは、車に残っているはずの友達だった。
暗がりでも、その友達の顔つきが異常なのが判った。
「 何やってんだ!!」
友達は声を荒げた。
私は驚いたが、それより、樹海に入ってしまった少女の方が気になった。
友達の手を振り払い、私が樹海の中に目を凝らすと、少女の姿はどこにも無かった。
「 女の子が樹海に入って行った。
母親を探しに行ったのかもしれない。」
私の言葉に、友達は不可解な顔つきをしたが、とりあえず、私を電話ボックスの明かりの近くまで引っ張って行った。
その時の私は、とにかく狼狽していた。
目の前で、小さな女の子が真夜中の樹海に入って行ったのだ。
これが落ち着いていられようか。
少女がどうなるかは歴然としている。
だが、友達はもっと狼狽していた。
私が電話をかけに行ったきり、二時間以上も戻ってこないので心配していた、というのだ。
私は ハッ、と我に帰った。
私が車を離れてから、せいぜい30分程度しか経っていないはずだ。
二時間以上経っているとは、どういうことだろう?
電話ボックスにいた少女のことも気になるが、とにかく、外部に連絡した方がいい、友達が冷静に意見した。
私が同級生の整備工場にすでに電話したこと、そこの奥さんが、その場所で待っているように指示したことを伝えると、友達は眉をひそめた。
整備工場の奥さんは出産の為に実家に帰っていて、その家に女の人は誰も居ないはずだ、というのだ。
私たちは気味が悪くなって、もう一度、整備工場に電話した。
電話に出たのは同級生だった。
彼は、すぐにこちらに来てくれると答えた。
電話を切る前に、私たちは、さっき電話した時に対応してくれた女の人について訊ねてみた。
同級生は私たちの言葉が理解できない様子だった。
今夜、電話が鳴ったのは一度きりだし、自分以外の人間は家に居ない、というのだ。
私たちは電話ボックスを出ると、わき目もふらず車を目指して走った。
とてもじゃないが、そんな場所にいられなかったからだ。
最初の電話に出たのが誰だったのか、あの少女が何者でどうなったのか、未だに謎のままだ。
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