新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

東京スカイツリーの特別ライティングを見に行った。国連創設75周年記念の国連デー。

2020-11-03 | 東京探訪

 10月末、東京スカイツリーが5日間にわたって通常とは違った特別ライティングを行った。丁度日曜日、時間があったので、それを見に行った。

 この企画は「持続可能な開発推進=sustinable development goals 」を目的とする国連が今年創設75周年に当たることから、10月24日の国連デーに合わせて機運向上を狙いに実施されたもの。

 日没直後くらいにスカイツリー近くに到着した。この時間帯は、塔の先端部分が青、赤、白などに強い発色で輝くのが目立った。その変化に注目。

 すっきりしたブルー。

 鮮やかなピンク。

 そしてコントラストがきついレッド。

 もう夕日は沈み、ほのかなオレンジだけが地平線に残る。

SDGsでは2030年までに国連加盟193か国が17のゴールを目指すという目標を掲げており、ライティングもその17色をイメージしているという。ただ、はっきりと色が変化するのではなく、徐々に色が混じりあいながら変わって行くため、17色の違いを見分けるのは無理。でもそれなりに楽しむことが出来た。

 塔の中心部分では一番多くの色が混じりあっていて、その辺が17色を表現している部分かも。

17時45分から特別ライティングの開始。塔の根元から展望台まで主要部分が様々な色に変化し出した。

 グリーンからスタートした。

 次に塔は赤く染まる。

 今度は青。

 もちろん色の変化は瞬時ではなくスローに変わって行く。従って、このように青半分、黄半分といった場面も現れる。

 そこから全面的な黄色に変わって行った。

 こんな赤半分青半分といった状態も面白かった。

 帰りがけ、川面にツリーが映る場面も撮れれば、と思って十間橋まで足を延ばしてみた。ただ、三脚なしだったのでご覧のようなブレブレの写真になってしまった。

 

 

 

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令和元年 神田祭宮入りで神田明神の境内が人で埋まった

2019-05-13 | 東京探訪

 11日の土曜日、東京神田明神の神田祭に行ってきました。


 この神田祭は江戸からの歴史を持ち、徳川家の支持を受けたことから江戸を代表する祭りとして定着。京都の祇園祭、大阪の天神祭と並らぶ日本三大祭りとも呼ばれている。
 現在は、赤坂山王神社の山王祭と隔年開催となっており、今年が神田祭の本祭の年にあたる。

 祭り自体は何日にもわたって行われるが、とにかく最も祭りらしい雰囲気を味わえる催しということで、神輿の宮入り風景を見に出かけた。

 神社の境内に入ると、もうあふれるほどの人、人、人。最初の横山町の神輿が入場するころには立錐の余地もないほどの混雑ぶりになっていた。そこにまず提灯が入場してきた。

 さあ、神輿入場。一斉に歓声が上がった。

 担ぎ手の中には女性の姿も見かけられる。

 別の神輿には本当に楽しそうに担ぐ女性の笑顔も見られた。

 神輿第一号が本殿前に到着した。頭領の拍子木に合わせて一本締めが行われた。

 それに合わせて担ぎ手たちも全員が手締めをし、宮入り一号の儀式が終了。

 二基目の神輿は馬喰町。入口の門をくぐって入ってきた。

 境内の群衆はさらに膨れ上がったようで、神輿がなかなか進まない。

 担ぎ手たちの手に力がこもる。

 先頭を担う若者の懸命な表情がさわやかだ。

 対して長老たちも負けてはいない。

 一連の宮入儀式が続く。神輿に付き添ってきた人たちはみな真剣な面持ちでそれを見つめる。

 境内には喜多川歌麿作の江戸時代の神田祭風景が展示されていた。

 さらに、アニメ仕立ての神田祭ポスターまで。

 ここで神社を出て、神幸祭の行列を見ようと移動したら、ちょうど神田須田町付近で行列に出会った。

 福島県の伝統行事、相馬野馬追の武者も平成以来参加しているという。

 と思えば、浦島太郎を発見。

 さらに鬼のような巨大な顔の張りぼても登場した。これらは附け祭りと呼ばれるものだそうだ。

 行列の後方には、神田明神の祭神の一人である平将門の山車があった。

 一通りは見たが、やはり神輿の宮入りの興奮と華やかさは「現場で見るに限る」と実感した祭りだった。

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浅草寺の羽子板市を楽しむ。五重塔とスカイツリーの夜景も

2017-12-29 | 東京探訪

 浅草・浅草寺の境内で開かれた恒例の羽子板市(歳の市)に出かけた。

 浅草に到着したのは午後3時過ぎ。外国人観光客も含めた人出でにぎわう仲見世を通り過ぎ、境内に入ると、本殿に向かって左側に羽子板を売る出店が数十軒軒を並べていた。

 吉徳、久月など、人形で有名な店も含めて、各々の店には天井まで届く高さに羽子板が掲示され、まさに歳末の風情満点。

 店をのぞいてみると、やはり着物姿の女性を描いた羽子板が主流。歌舞伎の演目にあるテーマの装いをした女性像が目に付く。
 この姿などはまさに大和なでしこの典型的な美しさ。

 こうした女性たちの顔立ちは、和装でイメージする喜多川歌麿などの美人画に比べると、ずいぶん丸みを帯びている。現代の美人像は、よく見る長い顔の浮世絵とは変わってきているということなのかもしれない。

 顔立ちにもやはり流行はあるようだ。角度も大半は斜め45度の横顔が主流。

 柔らかい指の動きも優雅だ。

 こちらは藤娘のしっとりとした姿。

 男顔はほとんど歌舞伎役者の舞台姿。連獅子や助六などといった姿が見られた。

 伝統的なものばかりではなく、似顔絵の羽子板も。「35億」でブレークしたブルゾンちえみ。

 ベテランでは黒柳徹子と西川きよし、ヘレン夫妻。

 「やばいよ、やばいよ」の出川哲朗。

 売買が成立すると、337拍子の拍手がわく。

 数千円から数万円まで順調に売れていた。

 場所が浅草寺の境内だけに、建物の姿にも引き付けられる。

 夕暮れにライトアップされた本殿の堂々とした姿。

 五重塔とスカイツリーが一枚の写真に納まる貴重なスポットがあった。

 その五重塔は時間とともに刻々とビジュアルが変化する。
 まず、日が沈んでシルエットが浮かぶ。

 照明が当たり始めて次第に赤味を帯びてきた。

 しっかりと輝きを放ち始めた。

 青く沈みだす空と対照的に光を増した五重塔。

 宝蔵門越しに見るスカイツリーも存在感を増していた。

 江戸の情緒と現代の象徴とが一度に見える楽しみをたっぷりと味わった夜だった。



 

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富岡八幡宮・深川祭りの豪快さに酔いしれる

2017-08-14 | 東京探訪

 日曜日、深川の富岡八幡宮例大祭に行ってきた。

 この祭りは、1642年三代将軍家光の長男家綱の誕生を祝ったのが始まりとされる江戸三大祭りの一つ。豪華な神輿が特徴で、「神輿深川 山車神田(神田明神の三社祭) だだっ広いが山王様(日枝神社の山王祭)」とも称される。 
 今年は三年に一度の本祭りで、各町内から55基もの神輿が勢ぞろいする年に当たっている。

 見所の神輿巡行は、午前7時に先頭が八幡宮を出発し、東陽町、清澄、箱崎町、新川など各町を巡回して、午後1時過ぎに八幡宮に戻ってくる。

 この巡行の特色は、沿道から神輿に向けて「わっしょい」の掛け声とともに大量の水が浴びせられること。その勇壮な姿から「水掛祭」という別称も与えられているという。

 門前仲町へは昼過ぎに到着。永代橋付近で神輿を待った。

 最初の神輿が昼休憩を終えて永代橋に差し掛かってきた。早速水が掛けられる。それも、ここの場所では道の両側から消防署のホースで放水されるため、周囲が水しぶきに包まれる。

 水がかからない時のすっきりした神輿の姿は、こんな具合に黄金の輝きを発している。

 巡行の先触れとして赤い法被姿の女性たちが行進。

 また、少年少女たちがこれに続く。

 そして神輿。威勢よく担ぎ手たちは神輿を上下動させて気勢を上げる。

 これを、神輿を取り囲む若衆たちがびしょぬれになりながら見守る。

 神輿は数トンクラスの重さだそうだが、それを担ぐ女性の笑顔がカッコいい。

 その重さを差し上げた時、各々の手が重なり合って、まるで絆の象徴みたい。

 次の神輿が走るような勢いで近づいてきた。

 そんな様子をパパの肩車で見物する少年。

 行列の中に外国人女性も混じっていた。

 永代通りは、こんな風に人、人、人で埋め尽くされていた。

 担ぎ手たちは水攻め状態でずぶぬれ。

 その様子に拍手でエールを送る。

 本当に迫力十分の祭りだ。

 ゴールに近づいた佐賀町ではトラックの荷台に貯めこんだ水をバケツで神輿めがけて浴びせかける。

 そんな豪快な風景に、しばし「日本の祭りっていいなあ!」と見とれた数時間だった。


 この勇壮な祭りの当日に八幡宮に通じる永代橋が崩落し、死者行方不明者計1500人を超える犠牲者を出した歴史的な事件も起こっている。

 1807年のことだ。雨で何日も延期になったこの祭りを見ようと、江戸市民たちが老朽化していた橋に押しかけて橋が落下した。

 そんな悲惨な歴史を持つこの祭りだが、今年は担ぎ手、観客、関係者、皆幸せそうな笑顔に包まれていたのが印象的だった。


 
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東京探訪 「千登勢橋」  過ぎ去った季節への哀切を想う瞬間

2017-05-15 | 東京探訪

 ある時期、北海道出身の倉橋ルイ子という歌手の歌に魅せられたことがあった。

 その中の一曲「幾春別の詩」 

 遅い北海道の春。廃坑となった炭鉱の町に吹きすさぶ風の冷たさと、荒涼とした風景を思わせる旋律と情感。 彼女独得の声質によって増幅され、胸に迫った。

 幾つもの春と別れを告げてきた半生を振り返るとき、戻れない時代への哀切を、その歌に見た。


 そして「千登勢橋」。

 別れの歌。
 池袋という盛り場からほんの少しだけ離れた場所。だが、決して人の温もりがないわけではない。

 橋の下には、高速で行き交う車と

 まだ昭和の香りを含んで走る都電荒川線の電車が行き過ぎる。

 大都会の片隅で育んできた 小さな恋。 でもガラスのように壊れやすい恋。
 それは、ちょっとしたきっかけで破たんしてしまうこともある。

 そんな瞬間に、この橋の上で遭遇してしまう。

 何かのはずみで手から離れたハンカチが ゆっくりと踊りながら 橋げたから落ちて行く

 見つめる女の耳元で、男がつぶやく 「さよなら」
 ハンカチと共に はかなく奈落に落ちて行く女の心


 倉橋ルイ子のふりしぼる歌声も、暮れて行く橋のたもとの雑踏にかき消されて ドラマは終わりを告げる。


 夕闇。 遠くにそびえるビル。動かない橋。

 この歌を繰り返し聞いたのは、もう何十年前だったのか。
 一度千登勢橋の上に立ってみたいと、思い続けて、忘れたころ ここにたどり着いた。


 この日も たくさんの人たちが橋を渡り、また橋に佇んで、
 それぞれの思いを胸に抱えながら、一日の終わりを迎えようとしている。 


 
「千登勢橋」 作詞 門谷 憲二  作曲 西島 三重子

 駅に向かう学生達と
 何度もすれ違いながらあなたと歩いた
 目白の街は 今もあの日のたたずまい
 指をからめ いつもと違う あなたの優しさに気づき
 もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震えて悲しかった
 電車と車が 並んで走る それを見おろす 橋の上

 千登勢橋から落とした 白いハンカチが
 ヒラヒラ 風に舞って
 飛んで行ったのはあなたが
 そっと さよならを つぶやいたときでしたね

https://www.bing.com/videos/search?q=%e5%8d%83%e7%99%bb%e5%8b%a2%e6%a9%8b+%e8%a5%bf%e5%b3%b6%e4%b8%89%e9%87%8d%e5%ad%90&view=detail&mid=57A11AF3F896AF5CE77557A11AF3F896AF5CE775&FORM=VIRE

明日からしばらくイタリアに行ってきます。そのため6月上旬までブログはお休みしますが、その後はイタリアの新しい風景、祭り、美術などを紹介したいと思っています。よろしく!
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